部下の推し活

砂鳥はと子

部下の推し活

唯花ゆいかさん、お昼行きましょう」


 私のデスクに駆けつけた菜々は犬ならしっぽでも振ってそうな笑顔で、私を見ていた。


「一人で食べたい気分なんだけど」


 私はわざとらしく嫌な顔をしてみせて、言葉を吐き出すけど、菜々ななはにこにこしたまま変わらない。


「えー、何でそんな私の推し活を邪魔すること言うんですか? 交差点近くにできた新しいイタリアンのお店行きましょう。ね、唯花さん」


 私は今日も強引な菜々に負けて、彼女と一緒にお昼を食べに行く。菜々には敵わない。


 全く、何がどうなれば芸能人でも何でもないアラフォー女に推し活なんてするのか分からない。


 菜々が若いからついていけないのか、菜々がどうかしてるからついていけないのか。


 きっと後者だ。だって他の若い部下は私に無駄に懐いたりしないもの。


 

 

 去年の春からうちの部署に異動してきた菜々は、顔を合わせた時から随分と私に好意的だった。


「私、もっと太刀川たちかわ課長のこと知りたいので、下の名前で呼んでもいいですか?」


 いきなりこんな事を言うのだから、なかなかに菜々は侮れない存在だった。


 私はお世辞にも愛想がいいとは言えないし、若い子たちから好かれるような要素なんてありはしない。


 なるべく部下から嫌われないように振る舞っているつもりだけど、取り立てて好かれるような振る舞いもしてはいない。


 だけど、菜々だけは例外だった。


「下の名前で? 別に構わないけど」


「本当ですか? 今呼んでみてもいいですか?」


「え、ええ⋯⋯」


 何だか変に積極的な子だなと若干引きつつ、困惑していた。怒るようなことでもないし、拒否するようなことでもないし。


 でもこんな事を言い出した部下なんて初めてだった。


「⋯⋯唯花さん。唯花部長の方がいいですかね?」


「どちらでもいいけど⋯⋯」


「それじゃ、唯花さんと呼ばせてください」


 単にフレンドリーすぎるのか、はたまた上司にこびを売っているのか。判断はつかなかったが、私は菜々の圧倒してくるようなパワーに押され気味だった。


「これからよろしくお願いいたします、唯花さんっ」


「ええ、よろしく」


 初対面は完全に私の負けであった。



 

 

 あれはいつだったろうか。確か秋だった。部署のみんなで飲み会を開いた。


 呑兵衛が多いせいか、飲み会はけっこう盛り上がるし、みんな見た目には仲良くやっていた。


 私はよく意外と言われるのだが、お酒はそんなに得意ではない。


 だから飲み会の時はなるべく目立たない場所でひっそり飲む。そうしていればみんな勝手に楽しむから。


 でも菜々だけは私を放っておいてはくれなかった。ちゃっかり隣りに座って、こちらが反応しなくてもつらつらと世間話を流してくる。悔しいけれどそれはそれで何となく心地よくはあった。


 そんなことが続いたから、少し酔ったこともあって私は思いきって菜々に聞いたのだ。


「ねぇ、どうしてそんなにいつも私の傍にいるの?」


 菜々は意外なことを聞かれたと言わんばかりに目を丸くしていた。


「どうしてって、そんなの唯花さんが好きだからに決まってるじゃないですか。私入社した時から唯花さんに一目惚れというか、ずっと憧れの人で。異動で唯花さんの部下になれた時は舞い上がったんですから! 私にとって唯花さんは『推し』なんです」


「お、推し?」


「はい、推しです」


「私ただのおばさんだけど?」


「私にとってはアイドルと変わりません。推しです」


「あなたは出世したいのかな? 私簡単には懐柔されるつもりないからね」


「出世は特に興味ないです。むしろ出世しても面倒なこと増えそうなんで、したくないです」


「本当、変わってるね」


「そうですか? 私は普通で平凡ですけど」


 どこが普通で平凡なのか。そこらの人は私みたいなおばさんを推したりはしないというのに。


「唯花さん、私この部署で働くことになった時から、全力で唯花さんを推すって決めてました。推し活は生活の潤いですから、私頑張りますね」


 一体何を頑張るというのか。


 私は理解不能な彼女に戸惑いながらも、でもほんの少しだけ喜んでいる自分もいた。

 

 


 菜々はあれから変わらず、私を推しているらしい。一緒に昼食に出かけるのも推し活の一つだし、夜にもご飯を食べに行くのもそれだ。私と過ごすことが全て推し活なのだそう。


 上司と部下の些細な時間が彼女にとっては全て推し活というわけだ。


 それで幸せだと笑ってくれる。


「唯花さん、実はずっと言いたくて我慢してたんですけど」


 家へ帰るために乗った電車に揺られながら、思わせぶりに菜々は私を伺う。


「何を我慢してたって言うの。菜々は思ったこと何でもすぐ口にするでしょう」


「唯花さん、ひどい。私そんなに何でもペラペラ喋ったりしないです。あのですね、そろそろプライベートでもご一緒したいなぁって話をですね⋯⋯」


「プライベート? 今もプライベートでしょう」


「仕事終わりだと完全プライベートじゃなくないですか。例えば休日におでかけとか」


「こんなおばさんとどこに出かけたいわけ」


「それはもう水族館でも映画でも。ショッピングモールで買い物もいいし、日帰り温泉とか。何でもいいですよ」


「お友だちと出かけないの?」


「私は休日も推し活したいんです。だめですか、唯花さん」


 甘えた声で上目遣いにお願いされて、私の理性がほろほろと崩れそうになっている。


「そうだ、菜々。彼氏いないの? あなた可愛いのに浮いた話ないけど、実は彼氏いたりするんじゃない?」


「いないですよー。推し活に彼氏なんて邪魔なんでいません」


 不機嫌もあらわに菜々はむっとしてみせる。


「私は唯花さんと過ごしたい。過ごしたいんです。まだ完全に信じてもらえないですか?」


「それは⋯⋯」


 飽きもせずに私に懐いてくれるのは嬉しい。付き合っているうちに、菜々は裏表もなく、私といたいのだと察したけれど、私はどうしていいか分からない。


 だってこのままだと私は菜々を⋯⋯。


 気づいたら最寄り駅に着いていた。


「取り敢えず今日はここまでね。菜々、また来週」


「唯花さん⋯⋯」 


 私は席から立ち上がり電車の扉へと向かう。座ったままの菜々は寂しそうな瞳で私を見ている。まるで捨てられた子猫みたいに。


(もうそんな顔されたら去りがたいじゃない) 


 扉が開く。駅へと次々と人が吐き出され、でも私は逆行して菜々のいる席に戻った。それから菜々の手首を掴んで立たせると、急いで駅のホームまで降りる。


 菜々はぽかんとした顔をして私を見上げる。電車が発車する。


「ねえ菜々、家に来る? 来たところで何もないけど。泊まっていく?」


 勝手にそんな言葉が口から出ていた。


「唯花さんにお泊りできるんですか?」


「嫌ならいいのよ。電車は行ってしまったし。また来るのを待てばいいけど⋯⋯。それとも今日はお酒飲んでないし、車で送ろうか。泊まるなら駅ビルで着替えや下着を買って⋯⋯。パジャマくらいなら貸すけど、私のなんて着たくないかな」


 自分でもどうしてこんな行動したか分からなくて、自然と早口でまくし立ててた。


「泊まります、泊まります! 嘘みたい⋯⋯。唯花さんとお泊り⋯⋯。嬉しいです、唯花さん」


 菜々は私に飛びついた。目が少し潤んでて。年かな、私ももらい泣きしそうになってしまった。


 こんなことで喜べる菜々は私が『推し』だからなのだろうか。


 二人で駅ビルに入って必要なものを揃えて、私の住むマンションへと向かった。 


 家に着くと菜々は明らかに緊張した面持ちで、そわそわと辺りを見回している。


「取り敢えず適当に座って」


「はっ、はいっ、しっ、失礼すますっ」


 最後は噛んでいた菜々は、やはり緊張しているみたいだ。


「あんなに私に推し活だって言うわりに、家に来ただけでそんなに緊張して。大丈夫よ、取って食べたりしないから」


「⋯⋯私は食べられてもいいですけど。な、なんて」


 菜々は顔を真っ赤にしている。


 そんな態度をされて私はどうすればいいのだ。


「あのっ、私⋯⋯。唯花さんにはその、一目惚れなんですよ。一目見た時に、雷に撃たれたみたいに、この人だ。この人が私の運命の人だって、思ったんです」


「そ、そう。菜々は変わってる。私に一目惚れなんて」


「嫌ですか?」


「全然。最初は戸惑ったし、訳が分からなかったけど、今は菜々のことちょっと特別かな」


「特別⋯⋯」


「うん。特別」


 私も菜々の隣りに座って、そっと彼女を抱き寄せた。


 菜々の私への特別は私の想像している特別じゃないかもしれないけれど。


「私にとって菜々はいつの間にかすごく大事になってたの。強引だけど、いつも『推し活』だって言って傍にいてくれる菜々のことがね」


 私はそっと菜々の頬にキスをする。


「こうして触れたいくらいに」


「唯花さん?」


「ねぇ、菜々の特別と私の特別は同じもの? もし違うならはっきり言ってほしい。そうじゃないと私、ずっと勘違いしたままになるから」


 菜々はぶんぶんと大きく首をふる。


 そしてその愛らしい瞳から涙が溢れていた。


「唯花さん、唯花さんっ。私、唯花さんが好きです。推し活だなんて言ってたけど、恋の好きだったんです。でも私も唯花さんも女だから、そうでも言わないと何も伝えられなくて」


 泣き出した菜々を私はしっかりと抱きしめた。


「よかった、菜々。私もね菜々が好きだよ。大好き」


 私たちはそれからお互いのぬくもりをしばらく感じていた。


 言うまでもないが、菜々の推し活は恋へと移行した。             

   

 

  

                                           

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

部下の推し活 砂鳥はと子 @sunadori_hatoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ