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冬気

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 私は、昔から彼を推している。

 彼の写真を何枚も持っているし、彼のことなら何でも知っている。誕生日はもちろん、どんな食べ物が好きか、どんな音楽が好きか、どんな本が好きか。服の好みや、何を考えているかまで全てを知っている。分かる。彼からもらった、ファンレターのお返し。綺麗とは言えないけれど丁寧な字で、気持ちを乗せて書かれていた。私はそれが嬉しくて、今でもそのファンレターのお返しを大事にしまっている。

 彼との出会いは唐突だった。詳しいことは恥ずかしいのであまり言わないけれど、優しいひとだ、とすぐ分かった。それから私は彼に夢中になった。彼の写真を何枚も撮り、彼との思い出をいくつも積み重ねていった。今まで静物しか写さなかった私のカメラには、次第に彼の笑顔が増えていった。

 でも、もうこんな『推し活』もお終い。私は彼との記憶をゆっくりと思い返しながら目を閉じる。涙が頬を静かに流れる。


 僕は、昔から彼女を推している。

 彼女の写真を何枚も持っているし、彼女のことなら何でも知っている。誕生日はもちろん、好きな景色、好きな歌手、好きな作家、好きな映画、好きなアニメ。彼女の好きな花も、そしてその花言葉も知っている。彼女が何を考えているかも、だいたい予想がつく。彼女からもらったファンレター。達筆な文字で書かれたそれは、普段クールな雰囲気の彼女にしては珍しく熱烈なものだった。

 彼女との出会いは唐突だった。詳しいことは、顔が赤くなりそうなので省くけど、ク―ルで冷たい印象を与える表情に反して、心は春の日差しのように暖かかった。それから、僕は日常で彼女を無視できなくなった。視界に入れば、無意識に目で追ってしまうほどに。写真が趣味の彼女は、カメラの練習だとか言って、よく僕を撮った。彼女は誤魔化しているつもりなのかもしれないが、僕はそれを知っていた。まあ、僕も彼女と会う口実ができるからまんざらでもなかったけど。

 でも、こんな関係はもうお終い。数日前に、彼女に「もう終わりにしたい」という趣旨のメールを送った。今まで楽しかったな、と思いながら僕は彼女と待ち合わせの約束をしている場所へ行く。


 川の上に架けられたこの橋は、僕と彼女が初めて会った場所だ。

 春の今は、川沿いの桜の花が咲いていて、風が吹くと桜の花びらが舞った。

 橋の上に彼女の姿が見える。僕は緊張しながらもゆっくりと近づく。彼女も僕に気が付いたようでこちらに近づいてくる。

 どう、彼女にこの話を切り出そうか考えてきたが、結局頭が真っ白になってしまい、ぎこちない歩き方をする。

 僕と彼女は向かい合って立つ。僕が口を開き一文字目を言おうとした時、ちょうど風が強く吹いて桜の花びらが僕らに吹き付ける。

 舞う花びらの間から見える君はとても綺麗で、僕はしばらく言葉を失っていた。

 しばらくして、彼女が「まだ?」と聞いてくる。僕は我に返り、言うべきことを言う。

 そのとき、彼女が一体どんな顔をしたかは、舞う花びらと、向こうを向いてしまった彼女のせいで分からなかった。


 私は、彼を推していた。

 これは何年たっても変わらない事実だ。

 休日の朝。太陽はとうに出ていて、時計の針はまもなく十時を指す。あれから一年が経った。パジャマのまま、静かな部屋ので、外を飛ぶ鳥の鳴き声を聞く。

 家の奥から扉の開く音がする。

 「おはよ」

 私は、私と同じくパジャマ姿の朝が弱いその人物にそう言う。

 その人物も、寝ぼけた柔らかな笑顔で私に

「おはよ」と返す。

 その人物――彼は窓の外を見て「今日は晴れたねぇ」なんて呑気に言う。

 あの時は、別れ話をされるかと本気で信じたもんだ。だが、実際は、彼は真剣な顔をして、「もうこういう関係は終わりにしよう。僕と結婚してください」とひざまずいて婚約指輪を差し出してきた。正直、何が起きたか理解するのに数分はかかった。でも、私が黙っている間も彼はひざまずいたままで、真剣な顔をして私に婚約指輪を差し出す。

 私がなんて返したかなんて、分かりきっているだろうからわざわざ言わないけど。


 今でもリビングにある小さな棚には、あの日の婚約指輪と、あの後、照れ隠しで無理して撮った『私と彼』の写真。

 そしてその隣に、二つの結婚指輪。

 二人とも、普段はつけないから、ここに置いてあるけれど、かえってここに置くことであの日からずっと続いている幸せな日々を感じている。

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写真 冬気 @yukimahumizura

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