勇者を諦めた俺はあいつを推す

寺澤ななお

リリー・アルテイルこそ英雄にふさわしい

洞窟の入口に張った結界を解き、走り出す。

森を抜け、街の入口の門をくぐり酒場に入る。

エールを注文し、カウンターの一席に座った。


ジョッキになみなみと注がれたエールを勢い良く流し込む。

喉が潤い、一息をついたころ、外が騒がしくなってきた。


バンッ


酒場のドアが勢いよく開かれる。


「牛魔が出た!招集だ!!」


中へ入ってきた衛兵がそう叫ぶ。


客がざわつきだし次々に席を立つ。冒険者は剣を携え、招集場所である中央広場へ、戦う術のない市民は家族の元へ戻る。


俺は一杯目のエールを飲み干し、おかわりを頼む。


「あんたは行かないのかい?」


マスターは俺の脇に立てかけられた剣を見て尋ねる。


「牛魔が出たんじゃおっさんの出番はないよ。命を落とすだけだ。守る家族もいないからしばらく飲ませてもらうよ」


俺はそう答え、追加分の銀貨をテーブルに置いた。


牛魔


牛頭人身の魔獣であるミノタウロスの上位種。

高い攻撃力と防御力を併せ持つことから、脅威度は上から二つ目のAランクに相当する。並の冒険者では一太刀をしのぐことも難しい。


中途半端な腕利きでも結果は敗北だ。


俺が鍛え上げた。

筋の良いミノタウロスを選抜し、捕獲。森の深部にある洞窟にて調教を繰り返し、対人戦特化の牛魔に仕上げた。

人が鍛錬するのと同じように負荷を与え、筋力の酷使と休息を繰り返した。

通常、知力が低いミノタウロス種では到達できない領域にある。

腕力だけならその強さは魔王にも匹敵するだろう。


あいつもきっと苦戦する。


しばらくして、近くの道を行進する大勢の足跡が聞こえた。

衛兵と冒険者で構成された討伐隊だ。


「敵は災害級の脅威だが単体だ!常に囲み、裏をとれ」


味方を鼓舞する女の声が聞こえる。


リリー・アルテイル


いまや勇者候補に名を連ねる戦姫だ。




彼女と初めて会ったのは9年前のこと。

王都で魔王の復活が宣言された時だ。


「10年後、魔王が復活する。武に自信のあるものは腕を磨き、その時に備えよ」


神からのお告げを伝える神官の言葉を聞いた俺は引退を決意していた。


魔王は100年の周期で復活を遂げ、この世に災厄をもたらす。

ただし、周期は正確ではなく、神官がお告げを得るまで、正確な時期はわからない。今回は15年のズレが生じたことになる。


お告げを聞いたとき、俺は既に成長の限界を感じていた。

そしてこれからの衰えを覚悟していた。

10年後の俺では魔王と渡り合えない。それは明らかだった。


冒険者として前期の魔王時代を生き抜いた両親のもとに俺は生まれた。

物心ついた頃から魔王を倒し、勇者になることを夢見ていた。

成長するにつれ、剣と魔法の才能に恵まれたことを知り、

夢は目標、そして果たすべき義務へと変わった。

やがて最強の一角と称されるまでになった。

だが100年が経過してもお告げはなかった。


それから5年後のお告げ。さらに復活まで10年の年月。

その月日はあまりにも長すぎた。


魔王は俺じゃない誰かによって討伐される。


それが許せないわけじゃない。

だが、俺は何のために生きてきたのか、何のために生きていくのか

それを見いだせないことにいらだっていた。


いますぐに、目の前に魔王がいれば倒せていたはずだ。

決して慢心ではなく、その自信があった。


5年は長い。


そう考えていた時だった。


「5年は短い」


つぶやく女の声が聞こえた。


当時、10歳の少女であるリリー・アルテイルがそこにいた。


金色の髪をなびかせながら翡翠色の瞳は神官をまっすぐと見つめていた。


「10年が短いか?」


俺は意識せずにリリーに問いかけた。


「はい。とても」


こちらを向いた瞳は綺麗で、とても力強かった。



「私は弱い。10年間剣を振り続けても間に合うかわからない」



「お前じゃない誰かが魔王を倒すかもしれない」



「それならそれでいい。ただもしも誰も倒せなかったら私は私を許せない。のうのうと生きた時間を許せない」


その言葉を聞いた時から俺はリリーに惹かれ始めていたのかもしれない。


しばらくして、王都近くで起きた魔獣のスタンピード。

それに対処するための討伐隊として俺はリリーと行動を共にした。


俺はその時にリリーに心を奪われた。


彼女は誰よりも人間らしく戦場をかけた。

勇ましく剣を振り、敵である魔獣に鬼ような形相で牙をむく。

仲間との連携をおろそかにする冒険者に対しては、

目上の者に対しても憤りを隠さずぶつけた。

同じ部隊の冒険者が命を落とせば、人目をはばからず泣いた。

勝利を手にすれば、村にいる普通の少女のように喜んだ。

宴では笑顔をふりまき、よく食べ、よく飲んだ。

そして、そのあとは天使のような寝顔で眠りについた。


戦いに身を置くものは誰も心を隠す。

生きるために、強くなるために必要だからだ。


情は相手に隙を与える。

だからこそ、感情を一切捨てずに隠さない彼女は異質だった。


「長くは生きられない」

「強くはなれない」


そう噂する者も多かった。



だが、彼女は彼女のまま生き抜いた。彼女のまま強くなった。


その姿は光そのものだった。

リリーに接した全員が彼女に惹かれた。


リリーが魔王を倒し、勇者となれば、その英雄譚は語り継がれ、多くの者の希望になる。

俺は確信していた。


ふと目が覚める。昔のことを思い出していたら寝入ってしまったらしい。

カウンターの端ではマスターも船をこいでいる。


外が騒がしい。

俺は腰を上げ、背伸びをし、酒場の外へ出る。


討伐隊の凱旋だ。朝日が昇る前にも関わらず、多くの市民が討伐隊を称えている。


討伐隊の最前には戦姫・リリー・アルテイルがいた。

出会った時のようにまっすぐと前を見つめ、胸を張って歩いている。


討伐隊が酒場の前にさしかかったころ、リリーは俺に気づき、歩みを止めた。


「上級冒険者である貴方が討伐に参加しないのはいかがなものでしょうか?」


「老いぼれに無理をいうな。それに俺の役割はないだろう?」


リリーは苦笑いで応える。

俺とリリーの相性はよくない。二刀のレイピア(細剣)を手に踊るように戦うリリーと大剣で一撃を叩きこむ俺とではお互いの手技がかみ合わず、相反してしまうからだ。


「どうだった?」


「とても強かったです」


「倒したんだろう?」


「しかしパワーの差を痛感しました。相手の攻撃を躱すことしかできなかった。あの巨漢から繰り出される刃を受け止めることができれば、被害は無かったかもしれない」


「死者はいないんだろう?」


「怪我人がいます。つまり誰かが死んでいたかもしれない」


リリーは自分を責めるように唇をかんだ。


牛魔討伐。死者なし。

はたから見れば十分すぎる成果だ。

しかし、リリーは満足しない。己の足りない部分を常に見ている。

それでいて必要以上に卑下しない。

今夜の宴でも酒を飲み、肉を喰らい、仲間と交流しながら

明日からの鍛錬に向けて英気を養うはずだ。


心配になるほどに実直な彼女に、俺は黒ずんだ腕輪を差し出した。


「これは?」


「森で拾った呪いのマジックアイテムだ。全身にかかる重力が3倍になる。だが関節に不可はかからない。パワーを鍛えたいならうってつけだろう?」


リリーは腕輪を受け取った。

まるで花束を受け取ったかのような笑顔で。


俺の身体に残っていた疲れが一気に吹き飛んだ。


俺はリリーとすれ違うように酒場をあとにする。


「たまには一緒に飲みませんか」


背後から、少女の優しい声がする。年甲斐もなく、心がドキッとする。ほんの少しだけ。


「俺は忙しい」


そう強がって俺は彼女から遠ざかる。


そうなんだ。俺は忙しい。

彼女の成長の糧となる魔獣を育てなければならない。

彼女の訓練の時間を減らす小型魔獣を狩らなければならない。

彼女をくだらない政治に巻き込もうとする馬鹿どもを駆逐しなければならない。


そうそう。闇市でマジックアイテムを購入する資金も稼がなくてはならない。


1年がとても短く感じる。


注ぎこもう。勇者になれなかった自分の時間を。

俺が推す未来の勇者のために。

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