女勇者のダイエット飯 ~魔王を倒して世界の危機は退けましたが、平和を満喫していたら今度は体重がピンチです~

瘴気領域@漫画化してます

女勇者のダイエット飯

 緑色の風景が、ぼんやりとした輪郭で流れていく。

 まっすぐ走っているつもりなのに、腕が枝にぶつかり、足は倒木につまづく。


 背中の荷が重い。

 自分自身の荒い息遣いと、心臓が鳴る音で耳の中が爆発しそうだ。


 この森の中を、もう3日も飲まず食わずで走り続けている。

 もう一筋の汗すらかいていない。


 そんなときでも、長年戦いに身を置いていた私の感覚は正直で、森のあちこちに潜む魔物の気配が伝わってくる。


 スライムに、角付き兎、あとはヤミガラスが少々か。

 こいつらはどこにでもいて、弱った人間をいやらしく狙っている。

 この私も、もし倒れてしまえばあんな雑魚どもの食料になってしまうのだろうか。


 食料……そう、食料だ。

 意識した途端、絶食3日目の腹が悲鳴を上げる。

 空腹感を通り過ぎて、もはや痛みを感じるほどだ。


 地面を蹴る足がゆるゆると動きを止める。

 分厚く積もった落ち葉の地面に、前のめりに倒れ込んでしまう。


 ――ここまでか……。


 残された力を振り絞って仰向けになる。

 木々の隙間から見える青空が妙に美しく見えた。


 まだまだ諦めたくはないが、身体がどうしても言うことを聞いてくれない。

 指先を動かすのも億劫おっくうだ。


 ――もういいや、眠ってしまおう……。


 まぶたを閉じようとしたそのとき、視界に人の顔が入り込んできた。

 引き締まった細面に翠玉エメラルドを思わせる緑の瞳。

 絹糸のようなさらさらとした金髪が風に流れている。


 私の理想を体現したような、いや、想像を絶する美形の男だった。

 人間は死ぬ前に走馬灯を見るというが、私の場合は理想のイケメンを幻視するのか。


 あるいは、これは教会の説法で聞かされる天使ってやつなのかもしれない。

 もしも天国がこんな美形の天使様ばかりなら、死ぬというのも案外悪くないことなのかもな……。


 私の記憶は、そこで一旦途切れた。


 * * *


「おい、起きろ。そろそろ大丈夫なはずだ」

「う、うーん?」


 肩を揺さぶられる感覚。

 まぶたを開くと、気を失う直前に目撃した超絶イケメンの顔が私を覗き込んでいた。


「ここは……天国?」


 反射的に目の前のイケメンの頭をホールドしようとするが、残念なことにその手はすっと避けられてしまった。

 手を伸ばしても触れられないとは……ひょっとしてそういうタイプの地獄に落ちてしまった可能性もあるな。


 蜃気楼のように逃げるイケメンの幻影を追いかけ続け、ずっともやっとした気分で過ごさなければならないのだ。

 せっかく勇者として魔王討伐という大命を果たしたのに、死後がこれではあんまりにも報われないではないか。


 私がぶつくさと文句をつぶやいていると、幻影のイケメンが返事をした。


「何を寝ぼけてるんだ、ここは天国でも地獄でもない」

「へっ、そうなの?」


 頭を振りながら身を起こす。

 辺りを見渡すと、そこは私が倒れた森の中だった。


「お前が行き倒れているのを見つけてな。森の魔物が人間の味をおぼえると面倒だから助けてやったんだ」

「ああー、そうだったんだ。それはありがとうございました……」

「レンバスで粥を作って飲ませてやったんだ。感謝しろ」

「レンバスなんて貴重なもの、本当にありがとうございます……って、レンバス!?」


 レンバスといえば、エルフだけが製法を知るという伝説の保存食だ。

 私も噂にしか聞いたことがないが、それは見た目は普通の薄焼き菓子なのだけれど、滋養たっぷりで一口かじるだけで1日何も食べなくてもよいらしい。

 食道楽の貴族なら、金貨100枚くらいは余裕で積むと言われている。

 そのレンバスを持っているってことは――


「もしかして、あなたってエルフ?」

「それくらいは見たらわかるだろう」


 イケメンが金髪を片手でかき上げ、長い耳を見せてくる。

 白い首筋がセクシーだ……って、そうじゃない、長く尖った耳は確かにエルフの特徴だった。


「ごめんなさい、私、いつの間にかエルフの領域に入り込んじゃってたんだ……」

「出入りを禁じているわけではないからかまわん。だが、のたれ死にされるのは迷惑だ」

「えっ、そうなの?」


 エルフといえば、美しい容姿を持つ強力な弓と魔法の使い手だ。

 反面、高慢で排他的、他種族と馴れ合おうとしない孤高の種族として知られている。

 対魔王軍との戦争でも、エルフは正式な援軍を出さず、ほんのわずかな義勇兵だけが参加したと聞いていた。


「ことさらに他種族を避けているわけではない。我らには我らの文化があるからな。その調和を乱すことはしないというだけだ」

「調和、ですか」


 大半のエルフたちは森に暮らし、そこで一生を過ごす。

 魔王軍との戦いに参加しなかったのも、彼らが暮らす森さえ守れればよいという考えで、身勝手な種族なんだと仲間のドワーフが悪口を言っていたのを思い出した。


「それで、どうしてお前はこの森に迷い込んだんだ? お前は平地族が言う勇者なのだろう?」

「えっ、どうしてそれを?」

「お前が背負っていた鎧だ」


 イケメンが私の横に置かれた鎧を指差す。

 これは選ばれた勇者だけが身につけられる光の聖鎧せいがい

 この鎧に認められた者だけが、魔王を倒すことができると王家に代々伝えられてきたものだ。


「このあたりならまだ強い魔物はいないはずだ。その鎧を身に着けてさえいれば、魔物の方から逃げ去っていただろう。それがなぜ、行き倒れるようなことになる?」

「あー、えーっと、それはですね……」


 どうしよう、すっごい言いづらい。

 でも命の恩人だしな、誤魔化すのもそれはそれで心苦しい……。


「話せない事情があるなら無理に聞くつもりはない」

「えっ、あー、いや、そんな大層なことじゃないんですが……その、鎧が着られなくなっちゃいまして」

「なんだと? 一度聖鎧に認められた者が資格を失うなど、聞いたことがないぞ」

「いや、そういう意味じゃなくてですね……」


 ――太って、着れなくなったんです。


 私の告白に、イケメンの緑の目が点になった。


 * * *


 魔王を倒すまでは問題はなかったのだ。

 いや、もちろん困難な道のりだったけれど、仲間たちと共に各地の魔王軍を破りつつ、実力をつけて魔王を打ち倒すところまでは。

 自分で言うのもなんだが、まるで物語の英雄そのままだったと思う。


 しかし、問題はその後に起きた。

 連日に渡った祝勝会。国民を鼓舞するための各種イベント。またプライベートでも貴族に招かれ、宴席で武勇伝をせがまれる。


 毎日毎日ごちそうを食べ続けて胃が辛くなることもあったが、魔王を倒せたのは私の力だけでなく、国の支援があったからこそだ。

 これも勇者の役目だと思い、すべての誘いを断ることなく半年を過ごしたのだ。 


 ……いや、正直に言おう。旅暮らしの中じゃとても味わえない美食に目がくらんでしまったというのはある。


 魔王の不安がなくなった世界は好景気に沸いていた。

 そこで王様から、魔王討伐1周年記念の祝典を行うと伝えられたのだ。

 私がパレードの主役となって国内の主要都市を巡っていくというイベントだ。


 それには当然、勇者の証である聖鎧を身に着けている必要がある。

 その他にも装飾品は必要なため、衣装合わせのために聖鎧を着ようとしたのだが――


 ――腰当ての金具が、締まらない。


 ひさびさに身につけようとした聖鎧は、お腹周りがキツすぎて金具が止められなかったのだ。

 半年に及ぶ暴飲暴食が祟って、すっかりだらしない体型になってしまっていたのだ。


 パレードは半年後に迫っている。

 それまでに、聖鎧が着られるよう痩せなければならない。


 パニックに陥った私は、聖鎧を背負って王都を飛び出し走りはじめたのだ。

 飲まず食わずで走りまくれば、すぐに痩せるに違いないと考えて。


 * * *


「お前は馬鹿なのか?」

「うう、なんかすみません」


 私の話を聞き終えたイケメンは、呆れたようにため息をついた。

 そうですよね……後先考えずに街を飛び出し、ずっと走り続けるなんて冷静に考えると馬鹿の所業でしかない。


「それも馬鹿だが、ダイエットの考え方として根本から間違えている」

「えっ、でも食べずに運動すれば痩せるよね?」

「たしかに痩せる。だが、リバウンドがとんでもないことになるぞ」

「リバウンド……?」

「そんなことも知らないのか。リバウンドというのはな――」


 イケメンの説明によると、ダイエットで決め手になるのは第一に基礎代謝量なのだそうだ。

 基礎代謝量とは、ただ普通に過ごしているだけで消費されるカロリー量のこと。

 そして、それは基本的に筋肉量と比例しているという。


「エネルギーが足りていない状態でトレーニングを行うと、筋肉が分解されて運動に使われてしまうんだ」

「運動すればするほど、筋肉が減って基礎代謝量が減っちゃうってこと?」

「そのとおりだ。結果として、無理な食事制限を伴うダイエットはかえって太りやすい体質を作ってしまう」

「うう、それはダメ……」


 パレードは翌年以降も継続する予定だと聞いている。

 景気浮揚と国民感情の慰撫いぶを兼ねた政策であると王様から熱く語られているのだ。

 最初をなんとか乗り切ったとしても、次回以降が厳しくなってしまう。


「一体どうやったら痩せられるんだろう……」

「バランスの良い食生活、適度な運動、規則的な生活を心がけるのが遠回りに見えても最短の道だ」

「そんなこと言われても……」


 長年に渡った魔王討伐の旅は、それらから程遠い生活だった。

 戦いの隙間を縫って詰め込めるときに詰め込み、時には飲まず食わずで戦い続け、夜襲の恐れがあるなら徹夜も上等。

 不規則な生活がもはや身体に染み付いてしまっているといいかもしれない。


「仕方がないな。乗りかかった船だ、俺がお前の乱れきった生活を正してやろう」

「えっ、どういうこと?」

「ついてこい。俺たちの村へ連れて行ってやる」

「は、はい?」


 有無を言わさぬ様子で歩き出したエルフの背中を追う。

 風になびく金髪からは花のような香りがして、思わずクンカクンカしてしまったのは秘密だ。


 * * *


「客人を連れてきた。平地族の勇者アイリスだ」

「ふんっ、ふんっ、へえ、勇者って女の子だったんだ」

「ラスト……もう一回っ! トドメの……モアワンっ! ふぅぅ、魔王を倒したって言うからてっきりマッシブな男だと思っていたわ」

「はぁっ! ふんぬらばぁぁぁあああ! よっしゃ、新記録じゃ! ほほう、リュージィが客人を連れてくるとは珍しいのう」


 リュージィというのは私を助けてくれたイケメンエルフの名前だ。

 そして連れられてきたエルフの村では、異様な光景が広がっていた。


 無数のエルフたちが金髪を揺らしながら、腕立て伏せや腹筋、器具を用いたウェイトトレーニングなどに勤しんでいたのである。


「ええっと、これ、何してるの……?」

「見てわからんのか。トレーニングだ」

「ええ……」


 いや、トレーニングなのはわかるが、何のためにそれをしているのかわからない。


「お前たち平地族の間では、エルフは美しい種族だと言われているそうだな」

「うん、たしかにそうだけど?」

「我々は、均整の取れた肉体を保つために、トレーニングを含めて規則正しい生活を心がけているのだ。だから、魔王軍との戦いにも加勢できなかった」


 えっと、それはつまり、自分たちの美しさを保つために、生活リズムが崩れる魔王軍との戦いには参戦しなかったってことなのかな……?

 エルフ族、やっぱり癖が強すぎるぞ。


「ともあれ、そろそろ午前中のトレーニングは終わる時間だ。昼飯を用意してやるからそこで待っていろ」

「は、はい」


 私はリュージィの指示に従って、広場に設けられた東屋あずまやに腰を掛けた。

 やることがないので辺りを見回していると、あちこちでトレーニングをしていたエルフたちの姿が消え、木造の家々から煙が立ち上りはじめる。

 リュージィが言ったとおり、お昼ごはんの時間のようだ。


「待たせたな。簡単なものだがこれを食え」

「わぁ! ありがとう!」


 キョロキョロしていたら、リュージィが大きな丼を持って戻ってきた。

 炊いたお米にたっぷりのカツとじをのせた丼料理のようだ。

 半熟の餡から甘い香りの湯気が立ち上り、お腹が鳴ってしまう。

 思わずがっつきそうになるが、危ういところで手が止まった。


「うう……でも、こんなの食べたらまた太っちゃう」

「安心しろ、これは大丈夫だ」


 リュージィはなにやら自信満々だ。

 大丈夫と言うなら食べちゃおうかな……。

 ううー、ぶっちゃけお腹は空いている。

 大きな丼に恐る恐る箸を伸ばし、カツを拾い上げ、口に運ぶ。

 じゅんわりと汁を吸ったカツの旨味が舌の上に染み渡る。


「ひさびさのお肉……おいしい……」

「よく噛んで、ゆっくり食べるんだぞ」


 一気にかき込みそうになったところをリュージィに止められる。

 子どもの頃、お母さんに注意されたのを思い出して赤くなってしまう。

 はしたなくならないよう、一口一口、じっくりと味わいながらお米のひと粒も残さずに完食してしまった。

 ひさびさのちゃんとした食事をして、すっかり満腹だ。


「ごちそうさま! おいしかったー! ……でも、ダイエット中にカツ丼なんて食べてよかったのかな?」

「ふん、いまお前が食べたのはカツ丼ではない。エルフ流衣笠きぬがさ丼だ!」

「エルフ流衣笠丼!?」


 って、驚いてみせたけれども衣笠丼って、何……?


「はるか東方の都市キョートに伝わる料理だ。ネギと油揚げをだしで煮て卵で閉じた料理が本来の衣笠丼だが、それを栃尾とちお揚げに変えたものがこのエルフ流衣笠丼だ」

「え? じゃあ、私がお肉だと思って食べていたのはその栃尾揚げってやつだったの!?」

「そう、栃尾揚げだ。ニーガタで伝統的に食されてきた、分厚い油揚げのようなものだと思えばいい」


 そう言って、リュージィは油揚げのお化けのような食材を取り出した。

 厚みは5センチ近くあるだろうか……油揚げと言うより、まるで厚揚げのようなボリュームだ。


「油揚げと同様、栃尾揚げの原材料も豆腐だ。そして豆腐の原材料である大豆は畑の肉と呼ばれるほどにタンパク質が豊富。これを油抜きして使用することで、脂質を押さえつつも肉のような食感とボリュームを実現したというわけだ」

「お肉のからくりはわかったけど……こんなにたくさんご飯を食べちゃったら意味がないんじゃ……」 

「ふん、お前の目は節穴だな。丼をよく見ろ」


 リュージィが空になった丼を持ち上げ、私の眼前に突き出してくる。

 私の顔よりも大きな丼だ。

 こんなものでお腹いっぱい食べたら、食材をどう工夫しても意味がないような……。


 あれ? でも、なんだか違和感がある。

 この丼、広さはあるけど深さがぜんぜんない!?


「やっと気がついたな。この広く浅い器に、薄く米を広げたのがさっきの丼の正体だ」

「見た目は超特盛のカツ丼みたいだったのに……」

「中央に向かって凸構造にしてあるからな、高さも稼げる。料理とは目で味わうものでもある。視覚的に量感を演出してやれば、食べたときの満足感も変わってくるのだ」

「なるほど……」


 騙されてしまったが、それがわかったところでお腹が空くわけでもない。

 私のお腹はすっかり満足していたのだった。


「魔王を倒したほどの腕だ。基礎的な筋肉量が不足しているはずがない。お前が聖鎧を再び身につけられるようになるまで、食事療法を中心に生活を改めていくぞ」

「ええっ?」

「返事は!」

「は、はいっ!」


 なんだか押し切られるような形で、私のダイエットブートキャンプがはじまったのだった。


 * * *


「あれ? 今日はトレーニングしてる人が妙に少ないような……?」


 私がエルフ村に来て5日目。

 午前中は筋トレ、午後は狩りや採集の手伝い、そして早寝早起きという規則的な生活に慣れてきたころのことだった。

 いつものようにトレーニングをするべく村の広場に出たが、村人の姿が明らかに少なかったのだ。


「ああ、今日は安息日チートデイだからな」

安息日チートデイ?」


 リュージィに尋ねると、また知らない言葉で返された。

 安息日チートデイとはなんぞや?


「7日に一度、好きなものを食べ、好きなように過ごす日だ。ずっとストイックな暮らしをするだけでは気が詰まってしまうからな」

「ええっ! じゃあ、お肉やラーメンも好きなだけ食べていいの!?」

「馬鹿者。お前はまだこの暮らしをはじめたばかりだ。気を緩めるのはまだ早い」

「ふええ……」


 盛り上がったテンションが急落してしまう。

 エルフ村に来て以来、ずっと疑似肉ばかりの生活で、炭水化物も控えめなのだ。

 美味しく工夫された料理ばかりだけれど、さすがにそろそろ本物が恋しくなってしまっていたのだ。


「とは言っても、多少は息抜きが必要だろう。まずはこれでも食っておけ」


 そう言ってリュージィが差し出してきたのは、細く裂いたジャーキーがたっぷり入った袋だった。


「それから今日は酒も飲んでいい。ただし、この蒸留酒を炭酸で割ったものだけだ。蒸留酒は糖質が少ないからな。飲み過ぎなければダイエットの害にはなりにくい」


 続いて竹筒に入った酒と炭酸水を渡してくる。

 うひょー! お酒も久しぶりだ。しかもエルフの酒といえば超高級品。

 琥珀色のそれを炭酸水で割り、魔法で作った氷を入れて冷やして飲む。

 くうう……生き返るぜ!!


 続いておつまみじゃー! とジャーキーをがさっと掴むと、手首をリュージィに掴まれた。

 白魚のような見た目とは裏腹に、硬く力強いリュージィの手のひらの感触にドキリとしてしまう。


「ジャーキーは一本ずつ食え。ゆっくり、ちゃんと噛んでな」

「は、はい」


 いかんいかん、つい羽目を外しすぎるところだった。

 リュージィによれば、ゆっくりよく噛んで食べると満腹感が得られやすいらしい。

 食事をはじめて15分から20分ほどで、人間は満腹を感じはじめるのだそうだ。


 ……酔っ払いすぎると、その感覚が壊れるから気を付ける必要があるらしいけれど。


 いやー、それにしてもひさびさの本物のお肉だ。

 細く裂かれているとはいえ、噛めば噛むほどにじみ出る旨さが違う。

 しかし、さすがにこればっかり食べてると飽きるな……。


「飽きたら、これをつけて食え。野菜スティックもある」

「すごーい! きれーい!」


 リュージィが小皿に何種類ものディップソースを盛り付けて持ってきてくれた。

 人参や大根、きゅうりなどの野菜スティックもセットだ。

 お言葉に甘えて、色とりどりのソースを絡めて味わっていく。


「どれも美味しいけど、この白いソースが濃厚でとくに美味しい。……でもこれって、チーズじゃないの? チーズは脂質が多くてダイエットには向かないって教えてもらった気がするんだけど……」


 ダイエットについて無知だった私も、リュージィによるブートキャンプにぶち込まれてから多少は知識が身についたのだ。

 チーズは健康に良いが、脂質が多いためダイエットに向いているとは言いにくい。


「ふん、お前も少しは学んだか。だが、これはチーズではない」

「えっ!? これってチーズじゃないの!?」

「これは塩漬けして水分をよく抜いた豆腐を潰して丁寧に裏ごしし、香辛料と和えたものだ」


 ええー!? またしても豆腐!? 豆腐万能だなこの野郎!

 しかし、この濃厚でクリーミィな舌触りはまるきりチーズそのものだ。

 貴族の宴会で食べた、香辛料入りのクリームチーズそっくりの味わいがする。


「それから、ラーメンが食いたいと言っていたな?」

「いや、食べたいけどさすがにそれはダメでしょ!?」


 ラーメン……それは背徳の食べ物。

 脂がたっぷり浮いたスープに、バラ肉を巻いて作ったチャーシュー、それに炭水化物を糸状に伸ばした物体であるところの麺!!

 まさしくダイエット食の対極にあるジャンクフードと言って間違いないだろう。


「ふん、問題ない。食っていいぞ」

「ほ、ほ、ホントにいいの!?」


 続けてリュージィが出してきた料理は、もやしがうず高く盛られたラーメンだった。

 山の如きもやしの横にチャーシューが添えられ、山頂ににんにくがたっぷり盛られたこのスタイルはまさしくサブローインスパイア。


 こんなもの……こんなものを出されたら嫌でも飛びついちゃうよ!


 まずは具材を減らそうと、もやしの山をスープにつけながらもりもり食べる。

 おお、これはサブロー系には珍しい味噌系スープか。

 味噌の濃厚さがさっぱりしたもやしと調和している。

 ザクザクとしたもやしから発する香りが、スープを通り抜けて主張してくる。


 続けてチャーシュー。

 これは極限までレアに近い鶏チャーシューだな。

 部位はおそらく胸肉。

 しっとりさっぱりの薄切りチャーシューが、濃厚なスープにこれまたぴったりだ。


 まさかダイエット中にこんな本格ラーメンが味わえるとは……。

 感動に震えながら、教えを守ってゆっくり具材を味わっていく。

 あれ、気がついたら具がなくなっちゃってたな。

 そろそろ麺を食べないと……って、あれ!? 麺がない!? なんで、麺はどこ!? どこかに家出しちゃったの!? メぇーン! カームバーック!!


「落ち着け馬鹿者。ゆっくり食べていると伸びるからな、麺は後入れだ」

「えへへ、そうでしたか」


 つい取り乱してしまったのを照れ笑いで誤魔化した。


「それで、麺はどれくらい食べたい?」

「もちろん、がっつり大盛りで!」

「癖で答えるな。本当にそんなに食べたいか?」


 リュージィに問い返され、お腹に手を当てる。

 あれ、大盛りの麺が食べられるほどもうお腹は空いてないぞ……?

 王都でサブロー系を食べるときは、いつも麺大盛りだったのに……、なぜ!?


「ふん、豆もやしを使った甲斐があったな」

「豆もやし……?」

「緑豆ではなく大豆を使ったもやしだ。普通のもやしよりもしっかりしていて食べごたえがある」


 なるほど! 普通のもやしよりもザクザクと歯ごたえが強い気がしていたのだけれど、普通にラーメンに使われるもやしとは違っていたのか!


「普通、単価が高く主張も強すぎる豆もやしはラーメンのトッピングとしては使われない。だが、この濃厚な味噌スープにはぴったりだったろう?」

「は、はい。たしかに」

「そして、味噌は旨味が濃厚だ。脂質の多い豚骨などを使わなくとも満足感のある重厚な味に仕上げることができる」

「はっ!? そういえばスープに脂はほとんど浮いてなかった!?」

「丁寧に脂を除きながら鶏ガラを煮出したからな」


 たった1杯のラーメンのために、そんなに手間をかけてくれていたのか……。

 いや、前から気になってたんだけどさ、どうしてリュージィは私に対してこんなに親身になってくれるんだろう?


「エルフは、魔王を倒した勇者に礼を尽くさぬような種族ではない」

「えっ!?」


 エルフは対魔王の大連合にも援軍を出さなかったのだ。

 魔王のことなんでどうでもいいと思っていたが、感謝はされていたのか。


「そんなことより、結局は麺はどれくらいにする? 1玉でいいか?」

「あ、いや、半玉でちょうどよさそう」

「すぐ茹でるから、ちょっと待っていろ」


 リュージィが茹でてくれた麺は、コシが強くてどっしりした太麺で、濃厚な味噌味に見事にマッチしていた。


 * * *


 エルフの森で暮らしはじめて数ヶ月が経った、ある夜のことだ。


 異様な殺気に、私は眠りから覚まされた。

 そして金属が叩きつけられる甲高い音が連続して響き渡る。


 これは、半鐘?


 村全体から、一斉に人が動く気配が沸き起こる。

 私もほとんど本能と化していた動きで、剣を片手に表に飛び出していた。

 辺りには、小剣や弓矢で武装したエルフたちが周囲を警戒している。


(何かに襲撃されている?)


 精神を集中し、殺気の源を探す。

 肌を突き刺すような黒い感情の群れが北から流れ込んでいる。


「こっち!」


 私は雄叫びとともにそちらに向かって走り込む。

 この気配は邪悪な魔物のものだ。

 それも、魔王城周辺でも感じたことがない濃密なもの。

 相当な強敵が複数迫ってきている。


「最近はあまり来なかったんだが、ひさびさだな」


 村外れで魔物を待ち構えていると、隣にリュージィが立っていた。

 新月の闇の中に、長髪がさらさらと金色に光っていた。


「下がっていろ、と言うのは勇者に対して無礼かな?」

「当然」


 リュージィはそれから余計なことは言わなかった。

 背後に味方のエルフたちの気配が増えていく。

 ちらりと確認すると、男も女も関係なく、武器を手に闇の奥を見つめていた。


 そして、おぞましい咆哮。

 闇を引き裂いて異形の群れが突進してきた!

 

「放てぇ!」


 リュージィの号令とともに、無数の矢が異形に襲いかかる。

 エルフの強矢が魔物たちの命を確実に奪っていくが、それでも勢いは止まらない。


「前衛、突撃!」


 再びの号令。

 小剣を持っていたエルフたちが突撃していく。

 当然、私もだ。

 誰よりも速く駆け、先頭の魔物に聖剣の一撃を叩き込む。


 それは牛頭人身の魔物、ミノタウロスだった。

 王国の分類では上級に分類される魔物ではある。

 私にかかれば一撃のはずだが……頭蓋を砕いた手応えがない。

 即座に二撃目を首筋に叩き込み、とどめを刺す。


「勇者とは伊達ではないな。いい腕だ」

「普通の魔物じゃないよね、これ」

「ああ、深淵の森から流れてきた魔物だ」

「ずいぶん手慣れてるね」

「不定期だが、恒例行事だからな」


 短く言葉をかわしつつ、押し寄せる魔物たちをなぎ倒す。

 油断はしない。油断ができるレベルの敵ではない。


「こんなやつらが何度も襲ってくるっていうの?」

「ああ、そうだ」


 また一体、また一体と敵を屠りながら短い会話をする。


「そんな危険な土地なら、引っ越せばいいのに」

「それはできん。ふるき盟約がある」

「盟約?」


 今度は中型のドラゴンだ。

 リュージィの矢が羽を貫き、墜落したところを私が仕留める。


「深淵の森の魔物を野放しにすれば、平地族は後背を突かれる」


 そんなことになれば、魔王軍との前線に戦力を集中させていた王国はあっという間に瓦解してしまうだろう。


「平地族がほことなり魔王を討つ。我らがその背を守る盾となるのが旧き盟約だ」


 そういうことだったのか……。

 エルフたちは身勝手で魔王討伐に手を貸さなかったのではなく、王国の背後を守るという形で魔王討伐に協力していたんだ。


 エルフたちがみんなトレーニングに熱心なのも納得がいった。

 単なる健康マニアってことじゃなくて、強力な魔物たちと戦う力を得るための鍛錬だったのだ。


 強力な魔物たちとの戦いは半日近くに渡った。

 その間、エルフたちは休みなく戦い続け、その強さと勇猛を存分に発揮していた。


 * * *


「勇者よ、よくぞ戻った」


 王宮、謁見の間。

 魔王討伐一周年記念パレードの1週間前に、私は王国に戻っていた。


「うむ、聖鎧を身に着けた姿が以前に増して凛々しいのう。さすがは我が王国が認めし勇者じゃ」

「はっ! お褒めに預かり、身に余る光栄です!」


 王様の言葉に内心で冷や汗をかきながら答える。

 なんとかダイエットが間に合って聖鎧を着られるようになったところだったのだ。

 エルフの村でダイエットに勤しんでいる間は、「より高みを目指すために修行中である」という旨の手紙を出して誤魔化していた。


 いや、太って鎧が着れなくなったとか、恥ずかしすぎて言えないじゃん。


 まあ、深淵の森に未だ脅威が潜んでいることを知ったので、あながち嘘ではない。

 とはいえ、あれからエルフたちと偵察を繰り返したところ、深淵の森の魔物の数も激減しているようだった。

 これも魔王を討伐したことが影響しているのだろうか。


「これは1週間後のパレードがいよいよ楽しみじゃ」

「はっ! 浅才ながら精一杯努めます!」


 そう応えた瞬間だった。

 謁見の間に黒い靄がかかり、不吉な雰囲気が場に満ちたのだ。


 ――ククク……。魔王討伐記念パレードとやら、我も楽しみにしておるぞ……。


 そして、どこからともなく不気味な声が響き渡った。

 謁見の間に集まっていた大臣たちがどよめく。


 この声は、まさか!?


「魔王っ! 貴様、生きていたのか!」


 忘れようはずもない、この手で仕留めたはずの魔王の声だったのだ。


 ――ククク……。勇者よ、久しいな。我は確かに殺されたよ。だが、我を追い詰めた貴様ら人間どもを打ち倒さんがため、地獄より蘇ったのだ。


 生き返っただと……?

 くそっ、いくら魔王と言っても無茶苦茶すぎるだろ!


 ――死ぬ前の我は人間を侮りすぎていた。配下どもの好きに各地を攻めさせておったからな。戦力が分散し、その隙をまんまと突かれてしまったというわけだ。


 確かにそのとおりだった。

 各地で魔王軍に戦いをしかけることによって戦力を分散し、その隙に私たちが少数で魔王城を急襲して魔王を仕留めたのだ。


 ――もはや同じ愚は犯さん。我らの全勢力を結集し、ひとつひとつ貴様らの街を灰に変えてやる。まずは勇者、貴様のいるこの街だ! 1週間後、我を倒した記念の祭りの日とやらに攻め込んでやるから首を洗って待っておれ……。


 魔王の気配が消え、部屋に満ちていた黒い瘴気が消えた。


 * * *


 祝賀パレードの準備は、そのままいくさの準備に切り替わった。

 非戦闘員は隣国に避難させ、街には戦えるものだけが残った。


 これまで、魔物の軍はろくに戦術というものを用いなかった。

 だからこそ個々の戦闘力で劣る人間でも互角に戦うことができたのだ。

 魔王が戦術を意識し、魔物を統率して攻めてくるとなればその強さは想像を絶するものになるだろう。


 王国を滅ぼした後は人間の街をひとつひとつ虱潰しらみつぶしにしていく思惑のはずだ。

 ならばここで少しでも魔王軍の足を止め、他国が反撃の態勢を整える時間を稼ぐ必要がある。

 可能なら、援軍を寄越してくれるまで。


「はは、完全に負けるつもりになっちゃってるな……」


 エルフ村に宛てた手紙を書きながら、思わずぼやいてしまう。

 内容は魔王軍への注意喚起。

 そして出来れば逃げてほしい……というもの。


 魔術士団の遠見魔法による偵察では、魔王軍は数万以上の規模らしい。

 いくら精強なエルフたちでも多勢に無勢だ。

 一息にもみ潰されてもおかしくない。


 魔王が宣言した開戦の日は、もう目前に迫っている。

 やれることはすべてやり切らなければ。


 * * *


 戦場のあちこちから、魔物の咆哮と鬨の声が上がっている。

 城壁の上からは、大地を埋め尽くす魔物の群れが見えていた。


 ガーゴイルやハーピー、ワイバーンなどの空を飛ぶ魔物が城壁を守る兵士を頭上から牽制し、ゴブリンやオーガ、ミノタウロスなどといった魔物がその隙をついて城壁に取り付き、城門に破城槌をぶつける。


 こんな連携は、以前の魔王軍ではありえなかった。

 魔物は群れを作るが、基本的には単一の種族で構成され、動物のそれと変わらないものだったのだ。

 違う種族だと、魔物同士で殺し合いをはじめることさえあった。


 それが、この戦場では各々が役割に沿って行動している。

 魔王による統率が効果を発揮しているのだろう。 


 城壁を乗り越えようとする魔物を切り払いながら、魔物の軍勢を観察する。

 中央に岩巨人トロールが担ぐ御輿みこしに乗った魔王の姿が見えた。


 開戦から数日、籠城ももう限界だった。

 ここは一か八か、打って出て魔王を狙うしかない。


 * * *


 王への進言が受け入れられ、100名余りの決死隊が結成された。

 顔ぶれはどれも歴戦の騎士や名うての冒険者たち。

 この100名が一斉に城壁から飛び降り、魔王の心臓を貫く矢となるのだ。


 当然、私もこの中に含まれている。


 城壁に並ぶ魔術士たちが、残りわずかな魔力を振り絞って攻撃魔法を放ち、魔物の軍勢を牽制する。

 タイミングを合わせて城壁から飛び降り、魔物に躍りかかる。


 目指すは魔王の首、ただ一つ。

 立ちはだかる魔物を次々に斬り捨てて、魔王の御輿に向かって駆ける。


 湯につけた砂糖菓子のように、決死隊がぼろぼろと崩れていく。

 私も手傷を負いながら、歯を食いしばって魔王のいる場所へにじり寄っていく。


 あと100歩。残り50歩。

 距離を詰めるごとに、魔物の圧力が高まってくる。

 やはり近衛にはより強力な魔物を配置しているようだった。


 もう少し、もう少しなのに。

 残り50歩の距離が縮まらない。

 前に進めぬまま、決死隊が次々に倒れていく。


 くそっ、あと一息なのに、このまま届かないのか!?

 精根尽き果て、膝を折りかけたそのときだった。


 天から無数の矢が降りそそぎ、私と魔王の間にいる魔物を打ち倒したのだ。

 城壁からは矢が届かないはず。一体誰が?


「走れ! アイリス!」


 この半年ですっかり耳に馴染んだ声。

 反射的に背筋が伸び、魔物の死骸を乗り越えて疾走する。

 目標は当然のこと、魔王。


 担ぎ手を倒され御輿の上でバランスを崩していた魔王に、渾身の一撃を叩き込んだ。


 ――ぐぅ、またしても貴様……。だが人の心に闇がある限り、我は何度でも……

「そういうのはいいから」


 続く一撃で、魔王の首をはね飛ばした。


 * * *


 魔王が倒れたあと、魔王軍はもはや軍としての体裁を保てなくなっていた。

 異種族同士で共食いが始まり、弱い魔物は散り散りに逃げ出し、強い魔物はそれを追いかけた。

 地を埋め尽くさんばかりだった魔物の大群は、数時間後には嘘のように消え失せていたのだった。


「リュージィたちのおかげで勝てたよ、ありがとう」

「ふん、たまたま近くを通りかかっただけだ」


 フル装備のエルフ戦士団が数百人でこんな遠くまでたまたまやってくるって、かなり無理があると思うけどなあ……。

 私は苦笑いしながら、ツッコミを自重した。

 さすがにそれは野暮ってもんだ。


「深淵の森の魔物は大丈夫なの?」

「ああ、あの魔王とやらの軍勢に加わっていたようでな。盟約を破るようなことにはならないから心配は要らん」


 また盟約だ。

 エルフたちはマイペースな種族だと勘違いしていたが、実はとてつもなく義理堅く、頑固な種族だということをいまの私は知っている。


「それより平地族の街まで来たのはひさしぶりだ。何か美味いものでも食わせろ」

「エルフ村みたいに栄養バランスに気を付けた食事とか難しいよ?」

「かまわん、今日は安息日チートデイだからな。お前が美味いと思うものを用意してくれればいい」

「えっ、安息日チートデイってまだ2日も先じゃ……」

「ふん、街に戻ってさっそく惚けたようだな。安息日チートデイでもなければ我らエルフがこんなところまで来るはずもないだろう」

 

 そんなはずはない。

 約半年に渡ったエルフ村での生活で、そのリズムは私の身体にも染み付いている。

 リュージィの顔を見ると、白い頬がわずかに紅潮していた。


「ま、そういうことにしておいてあげようか。しかし、リュージィでも照れることがあるなんて意外だね」

「なっ、誰が照れるものか!」

「はいはい、照れてなんかないですねー。ともあれ助けてもらったお礼をしなくちゃいけないからね、サブロー系ラーメンとかどう?」

安息日チートデイらしいジャンクフードだな、たまには面白いだろう」


 そして私は、リュージィたちエルフ戦士団を連れて城下町のサブロー系ラーメン屋に向かうのだった。


(了)














「だが、営業はしているのか? 非戦闘員はみな逃したのだろう?」

「あっ」


(おしまい)

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女勇者のダイエット飯 ~魔王を倒して世界の危機は退けましたが、平和を満喫していたら今度は体重がピンチです~ 瘴気領域@漫画化してます @wantan_tabetai

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