娘が「ようこそ」と言った

nobuo

☆★☆★☆

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 突然背後から響いた大絶叫に、私は思わず包丁を手にしたままリビングへ駆け込んだ。


「なに⁈ どうしたの⁈」


 ソファーの上で体を丸めている娘・和花のどかに勢い込んで訊ねると、彼女はのろのろと体を起こし、ゆっくりと私へ顔を向けた。


「お母さん…」

「どうしたの⁈ どこか痛いの⁈」

「違ぅ…」


 真っ赤な顔をして目に涙を浮かべている和花。尋常でない娘の様子に慌てて駆け寄ると、テーブルの上に包丁を置き、和花の体中をくまなく調べた。


「あひゃ! きゃははははははっ! やめてお母さん! くすぐったい~!」

「…どこもケガしてないみたいね」


 ホッと安堵の息を漏らしていると、和花はぷくっと頬を膨らませ、めくれあがったTシャツの裾を直しながら文句を言ってきた。


「もう! 急に何するのよ!」

「なにじゃないでしょ! アンタが泣きそうな顔をして真っ赤になってるから、ケガとか具合が悪いのかと思ったのよ!」


 心配したのだと言い返すと、和花はちょっとだけバツが悪そうに、小さな声でごめんなさいと謝った。


「わかったならいいのよ。それよりも一体何があったの? さっきの悲鳴はなに?」


 まるでホラー映画のヒロインのような悲鳴の理由を訊くと、娘は途端に表情を明るくさせ、手招きして私に自分の隣に座るように指示した。

 訝しげにソファーに腰を下ろすと、和花はぴったりと体を寄せて、スマホの画面を見せてきた。


「ふふふ♡ 理由はコレ!」

「???」


 見せられたのはきれいな景色の画面。けれどどこか違和感がある。


「…これ、なに?」

「へへへ。これはYouTubeのゲーム動画なの」

「え⁈ これ、ゲームなの⁈」


 ”YouTube”って名前は聞いたことがあるけれど、パソコンから縁遠いうえに、未だガラケー族の私には全く未知のものだった。それにまるで実写のように美しい景色のゲームにもとても驚き、まじまじと画面を凝視した。


「すごいわねぇ。これがゲームなんて…」


 昔のゲームなんて大概が白黒で、ピコピコと動く程度だったように記憶している。

 子供たちが小さい頃、友達も持っているからという訴えに応えてゲーム機を買ってあげたこともあるけれど、こんなに精密で鮮明だったかしらと記憶を掘り返してみる。主人は取扱説明書を読みながら子供たちに教えてあげていたからきっと私よりは詳しいかもしれないが、ゲーム好きというわけではなさそうだし。

 そして私はせいぜい『ゲームばかりやってないで宿題をやりなさい!』と叱って取り上げた時くらいしか触ったことがないし、もちろん預かっている間にそれで遊ぶことはない。

 少し興奮気味に私に説明しながら画面に釘付けの和花の横顔を盗み見る。主人にそっくりな上の娘と比べ、私によく似ていると言われる二女のどか。―――楽しそうな娘の姿に自分を重ね、なんだか私自身も楽しい気分になってきた。

 そして彼女は更に言い募る。


「でねでね! さっき大きな声を出しちゃったのは、わたしが好きなユーチューバーさんが新しいグッズを出すって告知したからなの!」

「グッズ?」


 見て見てと指差された画面には、見たことのないキャラクターイラストの付いたパーカーとTシャツ。普通にお店でも売ってそうに見えるけど、和花曰く、これはファンリスナーにとっては特別なご褒美なのだそうだ。


「前回のキャップとTシャツも超よかったけど、今回のも最っ高! 前側はシンプルでちょっと大人っぽいのに、背中側には大きめのロゴとイラストがカッコよく入ってるの! もうね! 全種類注文する~!」


 そのためにアルバイトを頑張ってるんだから! と言いながら、和花は私の目の前で注文画面を開いた。

 嬉々としてスマホを操作する娘に、私は呆れと感心を込めて話し掛けた。


「このためにバイト始めたの?」

「うん。だってこういう限定グッズって、その時しか買えないんだもん。完全受注生産? お金がないから買えないとかなったら絶対泣く!」

「泣くほどなの?」

「当り前じゃない! どんなに欲しくても二度と手に入らないんだよ!」


 和花にそこまで言わせるほどの魅力があるものなのかと、注文し終えた和花に再び動画を見せてもらう。動画はゲームの画面だけで実況者自身の姿はなく、映画を見ているようにプレイヤー視点で物語が進行する。

 舞台は中世のヨーロッパみたいな感じ。古風な洋装の剣を構えた敵が次々に襲い掛かってくるのを、実況者は難なく倒してゆく。


「…ドラマとか映画を観てるみたいで、結構面白いわね」

「でしょ! ゲーム実況者っていっぱいいるんだけど、わたしが特に嵌ってるのが、この人と……ちょっと待って、えーっと……んー…あった! この人!」


 そう言って和花は慣れた手つきで、ひょいひょいと他のゲーム実況者のチャンネルをハシゴして見せた。そしてその中の一つのチャンネルになった瞬間、私の全身を雷のような衝撃が貫いた。

 反射的に和花の手ごとスマホを掴み、画面に顔を近づける。


「和花! この人だれ!」

「うわっ!」


 驚いて仰け反る娘にずずいと顔を近づけて、繰り返し訊ねる。


「この人もユーチューバー⁈」

「え? そりゃあそうだよ。だから動画上げてるんだし」


 不思議そうに答える和花の隣で、私はスマホに集中する。

 正しくは、ゲーム実況するユーチューバーの声に耳を澄ませていた。

 鼓膜を震わす魅惑的なテノールは、穏やかで落ち着いた話し方と相まって、私の心を惹きつけて止まない。

 若かりし頃、とあるアイドルに夢中だった時と同じトキメキに胸が占められる。

 心ここに在らずで動画に見入っていると、『お母さん』と呼ぶ声がして漸く我に返る。状況を思い出してそろりと顔を上げれば、頬杖をついてニヤニヤと意味深な笑みを浮かべた娘と目が合った。

 身じろぎせずにスマホに齧りついている私の様子から、和花は理由を察したのだろう。そしてその推測は間違っていない。


「いい声でしょ?」


 和花の問い掛けに些か気まずさを感じつつも、隠すことではないから素直に肯定する。すると彼女は勿体ぶることなく、そのユーチューバーの名前とその人がいかに有名なのかを教えてくれた。


「すごい人なんだよ。ゲームのCMにも出たことがあるんだから」


 そう言ってその人の偉業を一通り紹介した和花は、私にスマホを買うよう勧め始めた。


「ウチはWi-Fi設置してるから、スマホにすればYouTubeでいつでもこの人の動画が見られるよ~?」

「で、でもゲームなんてわからないし…」

「ゲームがわからなくても、この声を聞けるだけでも良くない?」

「…」

「ボイス付きLINEスタンプもあるんだけどなー」

「…」


 動画の音声を上げ、勝ち誇ったような得意満面の和花。

 その顔が癪に障ったので、私は不意打ちでデコピンをひとつお見舞いしてやった。


「痛っ!」


 娘が額を押さえ大袈裟にのたうち回るのを尻目に、やれやれと嘆息してテーブルの上の包丁を手に取って立ち上がる。

 リビングを出る手前で呼び止められて振り返ると、娘はソファーに寝転がったまま、すごく楽しそうな顔でこう言った。


「ふっふっふ。我が沼にようこそ。新たな同志よ」




 ――――――なんとなく敗北を感じた。





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