第337話 リッドの回答

僕は今、帝都のバルディア家の屋敷の来賓室において、エラセニーゼ公爵家の令嬢ヴァレリと子息のラティガと対面している。


その中、僕が深呼吸をしてゆっくりと仰向き「ふぅ……」と息を吐くと、ファラが心配そうに声をかけてくれた。


「リッド様、大丈夫ですか……?」


「うん、ありがとうファラ。それと、『前世の記憶』についてはとても大切なことだから、この場ですべて話せる事じゃないんだ。だから今日の夜にでもきちんと説明するから、今はこの答えで許してくれないかな」


「はい、承知しました」


ファラはそう答えると、嬉しそうに頷いた。


そんな彼女の笑みを見て、心が落ち着いてきた僕は改めて正面にいるヴァレリとラティガに視線を向ける。


先程のやり取りから、『ヴァレリ・エラセニーゼ』が『前世の記憶』を持っていることを知ることができた。


そもそも僕が一番恐れていたことは、誰ともわからない『前世の記憶持ち』による予想不可能な動きだ。


だけど、元々何かしら監視しようとしていた彼女が『前世の記憶持ち』ならこちらも動きやすいだろう。


何にしても、一番知りたかった『ときレラ!』を模した『物語』をラティガに教えた人物がヴァレリだと確認することができたわけだ。


つまり問題となるのは、これから彼らとする話し合いになるだろう。


その時、僕とファラのやり取りを見ていたヴァレリが扇子で口元を隠しながら呟いた。


「貴方達、仲が良いのね。羨ましい限りだわ」


「それはどうも。さて、ヴァレリ様、ラティガ様。こんな回りくどい方法を使って僕にこの『メモ紙』を見せた理由はなんでしょうか」


僕は話しながら、ラティガが机の上に先程出したメモ紙を彼女前に移動させる。


「言葉通りの意味よ。私の立場からなりふり構っていられない部分があること……貴方ならわかるでしょ? 少しでも、協力者が欲しかったのよ」


「協力者……ですか」


彼女の話す様子からは、特に嘘を言っている印象はない。


それに、悪役令嬢という立場からなりふり構わずという部分も理解出来なくはないけど……問題は、彼女に協力している彼だろう。


そう思いながら僕はラティガに視線を向けた。


「ちなみに、ラティガ様もヴァレリ様と同じお考えでしょうか」


「あ、ああ。そう思ってもらって構わないよ。だけど、驚いたな。ヴァレリの言う通り『前世の記憶』を持っていると言う人が本当に妹以外にいるなんてね」


「それは、どういう意味でしょうか」


彼は僕の問い掛けに、苦笑しながら語り始める。


何でも、『前世の記憶』を取り戻したと言い始めたのはヴァレリが六歳になった時からということらしい。


また、彼女が『前世の記憶』を取り戻したことを知っているのはエラセニーゼ公爵家において、ラティガだけだそうだ。


「最初は驚いたよ。何せ『思い出せ』って叫びながら壁にヴァレリが頭突きしていたからね。ともかく奇行を止めることを優先して、妹の話に協力していたのさ」


「か、壁に頭突きですか」


思わず呆気に取られながら、僕は彼女をチラリと一瞥した。


すると、ヴァレリは僕達の話に眉を顰めていたらしく、ラティガに鋭い視線を向けた。


「兄様……やっぱり私の話を信じていなかったんですね」


「はは、全く信じていなかったわけじゃないさ。まぁ、半信半疑という感じだよ。でも、ちゃんと協力はしていただろう。それに、ヴァレリが急にあの日から大人びたことも事実だしね」


「なるほど。では、これからについてはどうお考えなのでしょうか」


二人の話す様子から察するに、仲の良い兄妹なのは間違いないだろう。


だけど、彼がどこまでヴァレリの話を理解しているかは気になる部分だ。


「そうだね。リッド殿が『前世の記憶』を持っているとわかった以上、ヴァレリから聞いた話に現実味を感じているよ。だから、僕も今後の為に出来る限りのことをしたいと思っている……これで、良いかな」


「承知しました。ラティガ様、ご回答ありがとうございます」


彼の回答に会釈をしてお礼を伝えると、ヴァレリがスッと身を乗り出した。


「それで、協力してくれる……という認識を持って良いのかしら」


「そうですね……」


僕は彼女の問い掛けにすぐに返事はせずに、口元に手を充てながら考えを巡らせた。


まず考えるべきことは、彼らと協力体勢を作ることによって発生する問題は何か? という点だろう。


しかし、現時点において、問題は特に無さそうだ。


当初、彼らの言動に驚きはしたけれど、何か実害が出たわけじゃないからね。


むしろ、彼らと協力することで得られる利点の方が大きいかもしれない。


現状に置いて、僕が帝都の情報を得る方法は限られているけど、ヴァレリやラティガを通してエラセニーゼ公爵家から見た帝国貴族の動向を探れるのはかなりの強み、情報になるだろう。


恐らく、ある程度の力を持った帝国貴族じゃないと得られない情報もあるはずだ。


その上、バルディア家とエラセニーゼ家は親同士の親交が厚いから、僕と彼らが連絡を取り合うことを不自然に思われることも基本的にないと考えていい。


しかしふとある事が気になった僕は、質問を投げかけた。


「ちなみに、ヴァレリ様は『ときレラ!』のことをどこまで覚えているんですか」


「う……鋭い質問ね。実は、私の場合は記憶が明確ではないのよ。日本という国で、大人として過ごしていたいたという感覚はあるけど、名前とか覚えてないの。それと、『ときレラ!』というゲームを大分昔にやったという感じがするだけなのよね。後は、日常生活の知識や記憶があるぐらいだわ」


彼女が警戒する様子もなく話す内容に僕は少し意外に感じながらも、「なるほど……」と相槌を打ち話を続けた。


「あと、ヴァレリ様は記憶を取り戻してから知識を活かして何か開発とかはされたんですか?」


「いいえ。残念だけど、何か開発できるような知識なんて私は持っていなかったみたい。それに、公爵令嬢として学ぶことも、監視も多くて出来ることはかなり限られているから現状は難しいわね」


そう言うと彼女は、おどけた仕草した。


つまり彼女の話から察するに、前世の記憶はあるが僕と違って曖昧。


恐らく、僕が扱う『メモリー』のような記憶を呼び起こす魔法も使えないのだろう。


それから、『ときレラ!』を『大分前にやったという感じ』という言葉も少し気になる。


あのゲームは、そんなに古いものではなかった気がするんだけどな。


まぁ……何にしても彼女は、こちらの活動や計画に支障になるようなことは今のところしていないらしい。


だけど、何か引っかかるなぁ。


まだ、何かあるような気がした僕は思い切って尋ねた。


「協力する、しないの返事をする前に、もう隠し事はありませんよね?」


なにやら彼女はバツの悪そうな表情を浮かべてポツリと呟いた。


「……別に隠していたことじゃないけど、私と第一皇子の婚約が『仮決定』しているわ」


「それは……初耳ですね」


「それと合わせて、少し問題が発生していてね。実は……」


その後、淡々と彼女は自身の取り巻く現状を説明し始めた。


僕はその説明を聞いて、呆気に取られてしまう。


彼女……というより記憶を取り戻す前の『ヴァレリ』が、婚約者となる前に『デイビッド・マグノリア皇太子』を怒らせてしまったらしい。


その問題が今も尾を引いており、彼女とデイビッド皇太子の関係性は険悪ということだ。


「勿論、今までも仲直りする為に色々と手を尽くしたのよ? 手料理を作ってみたり、一緒に湖に行って泳いでみたり、勉強してみたりとかね」


「は、はぁ……それで、なんで改善出来なかったんですか」


当然の問い掛けだと思うけど、彼女は顔を開いた扇子で隠すと口惜しそうに小声で「……したのよ」と呟く。


しかし、内容が聞き取れず「はい?」と首を傾げて僕が尋ねると、ヴァレリは半ばやけくそ気味な声を発した。


「ああ、もう、全部悉く失敗して裏目に出たのよ!」


「ど、どういうことでしょうか」


それから彼女は、恥ずかしそうに失敗談を語り始めた。


まず、仲直りするにはこれだと思い、デイビッド皇太子の来訪に合わせて『お菓子』作りに挑戦してみたそうだ。


しかし、何故か何度やってもうまくいかない。


彼女の父親であるバーンズ公爵は「美味しいよ」と言いながら食べてくれるが、兄のラティガは口にすると同時に真っ青になったそうだ。


彼曰く「あの味はね。生涯忘れることはなさそうだよ」ということらしい。


さすがのヴァレリも、こんなものは皇太子に出せないと思ったらしく、お菓子作りを諦めたはず……だった。


その日、皇太子のデイビッドがバーンズ公爵家に予定通り来訪。


つっけんどんな態度を取るデイビッドに対して、ヴァレリは何とか仲直りしようとしていた。


その時、彼女の父親であるバーンズ公爵が部屋に訪れ「ヴァレリ、折角の手作りお菓子を皇太子殿に出し忘れているよ」と持ってきたのである。


彼女は慌てて失敗したから食べなくて良いと言ったが、バーンズ公爵はニコニコ笑顔でデイビッド皇太子の前にお菓子を差し出した。


「皇太子ともあろうお方が……我が娘、もとい婚約者が心を込めて作った手料理をまさか食べられないとは仰いませんよね」


バーンズ公爵はそう言うと、目の前でそのお菓子を口に入れ「うん、美味しいよ。ヴァレリ」と笑みを浮かべた。


そんな中、デイビッド皇太子は「はぁ……」とため息吐くと訝しげにクッキーを見つめてから口に放り込むが、案の定その場で悶絶したそうだ。


それだけにとどまらず、ヴァレリが皇太子と湖に行けば浅瀬で誤って皇太子を水浸しにしてしまう。


一緒に勉強する機会があれば、皇太子より先に問題を解いていき調子に乗ってついドヤ顔をしてしまった結果、彼から「お前……やっぱり大嫌いだ」と言われる始末。


何故か彼女が皇太子と仲良くしようとすればする程、逆効果になるらしい。


今のままでは断罪から逃れられないと、彼女が考えていた時にバルディア家から『化粧水』や『リンス』などの『前世の記憶』にあるものが出現し始める。


極めつけは、バーンズ公爵がヴァレリに話した『木炭車』の存在だった。


彼女は自分以外にも『前世の記憶』を持っている人物がいることを確信する。


しかし悪役令嬢という立場もあり、『ときレラ!』のことを知っている相手に普通に会っては警戒されてしまう。


だから、虚を突くような動きで今回バルディア家にやってきていたそうだ。


「な、なるほど。大体の状況はわかりました」


僕はそう答えると、また口元に手を充てると頭を整理しながら考えを巡らせた。


『ときレラ!』に存在していた悪役令嬢『ヴァレリ・エラセニーゼ』と同一人物はいるが、中身は僕と同じ『前世の記憶』を持っているし、皇太子との関係改善に努力している。


それなら、目の届くところにいてもらって皇太子との関係や、帝都の情報をこちらにもらえるよう協力体制を構築しておくのが一番良さそうだ。


下手に、突き放したりすれば今の彼女だと暴走しかねない感じがするしなぁ。


改めて、ヴァレリとラティガの表情を見た後、僕は考えを決めて答えた。


「ヴァレリ様とラティガ様からの協力したいという申し出について、僕も同じ意見ですが正式な回答は少しだけ待っていただけませんか」


「……⁉ ど、どうしてよ。同じ意見ならこの場で賛同してくれて良いじゃない。それに私は嘘なんて言っていないわ」


「わかっています。だけど今後に関わる重要なことですから、正式な回答はファラにもちゃんと『前世の記憶』について説明した上でしたいんです」


こうなった以上、僕と運命を共にすることになったファラに『前世の記憶』について先に話すことが筋だと思う。


それに、父上にも確認と了承を取っておく必要がある。


ファラは、名前を出されるとは思っていなかったのかハッとして「リッド様……ありがとうございます」と嬉しそうに呟いた。


そんな彼女に僕はニコリと頷くと、改めてヴァレリ達に視線を移す。


「正式な回答は、後日ここで開かれる『懇親会』までにはお答えします。それで如何でしょうか」


「……わかったわ。こちらが急に提示したことだしね。それにしても、貴方達は本当に仲が良いのね。はぁ……本当に羨ましいわ」


彼女はそう言うと、僕とファラを交互に見つめる。


ファラは、少し顔を赤らめて俯くと「えへへ」と嬉しそうにはにかんだ。


そんな僕達のやり取りを見ていたラティガが、笑みを浮かべて頷いた。


「はは、二人共話はまとまったみたいだね。じゃあ、そろそろ父上達の居る部屋に戻ろうか」


「そうですね。承知しました」


こうして僕とヴァレリの邂逅は終わり、この場で起きた話し合いの結論は後日に持ち越しとなる。


そんな中、僕は父上に話したらなんて言うかなぁ……と少し憂鬱になるのであった。





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