第6話 僕が倒したはずのこいつは
自分ではない誰かが見ている夢の中で、赤佐は巨大な化け物と戦っていた。
その化け物がどんな姿かは、夢ゆえにおぼつかない。
どんな戦い方だったかといえば、きっと“あのとき”の記憶の再現なのだろうが、消された記憶だからこれもハッキリしない。
一つだけ確かなのは戦いの終わりに、赤佐が魔物の腕を食ったこと。
これだけは覚えている。
何度もくり返し見てきた悪夢だ。
だけどいつもただの夢だった。
目が覚めれば霧のように消えていった。
この夢だって朝になれば、見たことすらも忘れているはず……
食いちぎる。かぶりつく。
体液と筋肉組織の中に顔を埋める。
どうせここは魔界だ。
醜い姿をさらしたって何ともない。
見ているやつらだって似たようなもんだ。
むさぼる。飲み込む。さらにむさぼる。
赤佐は突然、冷静になった。
いつもの教室で、クラスのみんなが赤佐を見ていた。
高校のクラスメイトだ。
中学のクラスメイトなら、異世界での体験を共有しているから、これが何の意味かわかってくれる。
でも高校のクラスメイトには、こんな自分を知られたくない。
「うっ……!」
赤佐は吐いた。
吐しゃ物は赤佐の体積を超えて赤佐の口からあふれ出し、あるかないかも判然としない暗闇の床を埋め尽くしていく。
赤と緑と……さまざまな色が毒々しく混ざりあった、汚染物質にしか見えない吐しゃ物は……
もとよりそういう形の
城を取り巻く十の塔。
そんなシルエットの巨大な怪物が、ガラス窓のような生気のない双眸で赤佐を睨み、触手のように塔をくねらせて蠢いている。
特に大きな二本の塔が鞭のようにしなり、それぞれ金と銀にきらめきながら、赤佐めがけて振り下ろされた。
赤佐は飛び退った。
「……ペインクェーデ……!」
赤佐の唇から自然とその化け物の名が漏れた。
金銀二本の塔はすぐまた振り上げられ、カマキリのようなポーズで赤佐を威嚇してくる。
残る八本の赤青黄緑橙紫白黒の塔はすでに塔ではなくなり、カニの足のように横に広がって地面を捉えている。
その上に建つ城本体は――強いて言うならば――なかなか減らない色鉛筆をさっさと使い切ろうとして、数本束ねてマダラに塗りたくったかのようだった。
恐ろしい化け物を前にして、赤佐は妙に落ち着いていた。
(
前のときは腰が抜けて立てなくなった。
前のときは這いずって逃げようとした。
だけどあの人が……
芹沢
立ち上がった
「装備!
赤佐のパジャマが光りに包まれ、白く輝く鎧に変わる。
「かかって来い!
元の世界では絶対に言わない言葉を赤佐は発した。
構えは体が覚えていた。
鎧の分厚い装甲は、動きは遅くとも打たれ強い。
ペインクェーデの金の塔が赤佐の頭上に振り下ろされる。
「輝け!
白い光が赤佐の周囲を大きく包んだ。
戦いは赤佐のボロ負けだった。
敵の攻撃を何十回防いだところで赤佐には攻撃技がなく、人間のスタミナが化け物のスタミナに押し切られるのに時間はさほどかからなかった。
薄くなったバリアが吹き飛び、赤佐の背中が地面にたたきつけられた。
(前は勝てたのに……っ!)
そもそも
(あのときは仲間がいたから……
クラスのやつらが……
イジメっ子三人組が、
でも
特にこの敵は、倒すことで手に入るスキルを
いつもみたいにいいように使われたってだけじゃなくって、ありもしない使命感に気持ちよくなったのでもなくて、このとき初めて
ペインクェーデの銀の塔が、赤佐の体に巻きつき、絞め上げる。
鎧が歪み、潰れ、赤佐の肺を圧迫する。
赤佐の脳裏を走馬灯が駆け抜けた。
異世界に召喚されてからの、それは、血みどろの戦いの記憶だった。
クラスメイトで欠けたのは一人だけだったけど、異世界の住民は人も魔族も大勢死んだ。
こんな記憶を持ったままではもとの暮らしには戻れない。
だから
そして元の世界に戻ってから中学を卒業するまでの間、一度も戦ったことのないただの中学生として、何か事件が起こらないか、アニメみたいな異世界召喚でも起きないかと夢見ながら過ごしてきたんだ。
(それでも二人、不登校になったやつがいた……
あいつらは今……)
赤佐は気づいていない。
件の不登校コンビの片割れが、ペインクェーデをはさんで赤佐の真向かい、つまり赤佐を見つめるペインクェーデの真後ろに立っていることに。
誰にも見られていないと知りつつ、怪盗は場違いなまでに優雅な仕草で深々とお辞儀し、そのままの体の流れでシルクハットを放り投げた。
シルクハットはフリスビーキャッチのように回転しながら、空高く舞い上がりつつ緑色にドロリと溶けていく。
ペインクェーデの真上で不自然に静止したとき、シルクハットは、尖った部分がやたらと目立つデザインの、奇妙な王冠に形を変えていた。
王冠は古びてボロボロで、何かわからない汚れにおおわれ、もとは宝石がついていたのであろうくぼみは銃痕のようにも見えた。
ペインクェーデが気づく。
が、遅い。
小さな王冠からその体積をはるかに超えて、大量の緑色の粘液が滝のように流れ落ちて、ペインクェーデの全身を包む。
カラフルな体が緑一色で完全に覆い隠されると、今度は王冠は緑を吸い戻し始めた。
緑が消えたあとにはペインクェーデの姿も消えて、王冠のくぼみの一つに、マダラに輝くオパールが嵌まっていた。
「窃盗完了!」
王冠はシュルルと飛んで、怪盗の手もとに戻った。
怪物から開放された赤佐は、地面に投げ出されたまま、鎧の重みで立てなくなっていた。
「装備解除! 装備解除!」
いくら叫んでも鎧は消えない。
「無駄だよ。それは本物じゃなくって、僕の夢の中のモノなんだから」
視界の外から怪盗が告げる。
赤佐が首を動かしても兜の中で空回りするだけで視界は広がらない。
「キミには最後の一仕事をしてもらうよ」
途端、赤佐の背中の下で地面が泥沼のようになり、赤佐の体が沈み始めた。
赤佐が悲鳴を上げる。
怪盗はクスクスと笑っていた。
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