友人の推し

箕田 はる

友人の推し



 楽しそうだね。人生。

 思わずこぼれた本音に、目の前にいた祥太がぴたりと言葉を切った。

 二重の大きな目が見開かれ、唖然とした表情を浮かべている。

 好きな俳優について楽しそうに語っていたのだが、俺は正直飽きていた。切り出したのはこっちからだけど、そんなに深くは聞いてはいない。最近見た映画を聞いただけなのに、ペラペラと俳優について語る姿に呆れていた。

「だってさぁー、いつも楽しそうだし、忙しそうじゃん。俺なんて、なーんもすることないし、人生つまんねぇーとしか思えないから」

 高校の帰りにファーストフード店で友達と喋ることぐらいしか、俺の楽しみはない。別にそれが不満というわけじゃないけれど、ただ人生が楽しいって程ではなかった。

「別に、自分ではそうは思わないけど」

 謙遜なのか、祥太の表情は冴えない。ハンバーガーを小さく齧る姿を眺めながら、俺は頬杖をついた。

「だって、そうやっていつも、舞台とか映画とか観に行ってるんだろう? 今流行りの推し活ってやつ? 俺、芸能人とか全然分かんないからさぁ。それに自分のことを知らない人に、そこまで夢中になれないつーか」

 祥太は何度も劇場に通っては、同じものを何度も見ている。俺と遊ぶよりもそっちが大事らしく、年がら年中、俺の誘いを断っていた。

「それにあんまり、そっちにばかりのめり込んでると、現実の友達失くしそうじゃん」

 嫉妬ではなく、これは遠回しの忠告だ。社会に出た時に、仕事よりもそっちを優先でいれるはずがない。上司や取引先との人間関係が重視されるはずだ。

 それなのに会えるかも分からないような芸能人に、うつつを抜かすのはマイナスに思えた。

「別にいいじゃん」

 俺の思いとは裏腹に祥太は、包みをくしゃくしゃと握り潰して呟く。

「良くはないだろ」

 予想外の一言に俺は焦る。まさか友達よりも、そっちが大事だなんて信じられなかった。思わず目を覚ませ! だなんて、言いたくなってしまう。

「だって現実の付き合いの方が大切だろ? それにどんなに貢いだところで、何も返ってこないじゃないか」

「だから何? 会えないからって、応援するなっていうわけ?」

 俺は驚いて、祥太の顔を凝視する。普段温厚でおとなしい祥太が、険しい顔をしていた。

「別に隆聖がその俳優をどう思うといいけれど、人の趣味に口出すのは友達としてどうかと思うよ」

「俺はただ――」

「別に、無理に一緒にいてもらわなくても構わないから」

 そういうなり祥太が立ち上がり、食べかけのポテトごとトレイを持ち上げる。

「おいっ、ちょっと待てよ」

 俺が引き留めようとするも、祥太は振り返ることなく立ち去ってしまう。

 まさかの展開に、俺はしばらく呆然とした。



 あれから祥太は、俺を避けるようになった。

 元々人とあまり関わろうとしないタイプで、俺が見兼ねて彼を引き込んでいた。

 そのせいか、学校ではまたしても祥太は一人に逆戻りとなった。

 休み時間は自席でイヤホンを嵌めて寝ているし、昼も一人でいつの間にか消えている。放課後になれば、サッサと教室を出ていった。

 寂しくないのだろうかと不安になったが、向こうが避けるのだからどうしようもない。

 数日が過ぎても、関係はギクシャクしたままで、俺は他の友達といても気になって仕方がなかった。

 向こうから謝ってくれれば、だなんて自分勝手なことを願ったりもしていた。

 そんな時、祥太の好きな俳優である湊川みなとがわそうが、近くのショッピングモールに来るということを知った。

 もちろん祥太は、そのことを知っているはずだ。そこに行くのは間違いない。

 そこで偶然居合わせたとなれば、少しは関係が治るんじゃないかという期待が生まれていた。

 それから一週間程経ち、やっとその日を迎える。

 人気があるからか、下のスペースは既に埋まってしまい、二階から見下ろすのがやっとだった。

 まだ来ていないのにも関わらず、周囲からは黄色い声援が上がっている。

 何故、こんなに盛り上がれるのか。俺にはさっぱり分からない。

 手持ち無沙汰に周囲に視線を巡らせていると、ちょうど真向かいの二階部分に祥太の姿があった。

 女性がたくさんいる中で、少し浮いて見えるが、自分だって向こうから見れば同じだろう。

 そう思うとなんだかアウェイな感じがして、居心地悪くなった。

 祥太は大人しく柵に手を掛けて、下を見下ろしている。ステージがあるだけで、まだ何もない空間なのに、既にそこには誰かがいるような、そんな真剣な眼差しを向けていた。

 そこにきゃーという悲鳴が上がり、俺は慌てて下を見る。ちょうどステージに上がるところで、ステージ横にも関わらず、湊川の正面を見ることが出来た。

 一般人とは違うオーラのある爽やかな笑みを浮かべ、周囲に軽く頭を下げている。

 二十代半ばにして、俳優だけでなく歌手活動にも精を出しているらしい。もちろんルックスもよく、高い演技力も相まって、人気上昇中だという。

 でも俺からしてみれば、芸能人なんてみんなそんな感じだろうと思っていた。

 だからこそ、祥太がここまで湊川にハマる理由が分からなかった。

 司会者から紹介された湊川の声が、マイクを通して響き渡る。落ち着いた声音で、この地元で生まれ育ったのだと切り出した。

 それから芸能界に入るまでの間、過ごした思い出を語っていく。地元愛が強いというアピールはプラスになるだろうなぁと、俺は捻くれたこと考えていた。

 向かい側を見れば、祥太は穴があきそうな程に真剣な眼差しを向けていた。

 そんなに感動出来る話でもしているのかと、内心で首を傾げていると、湊川が「僕が芸能界に入った頃。あそこの海で、ある少年にあったんです」と少し離れた場所にある海の名前を出した。

「その少年は学校でイジメに遭っていたようで、精神の限界から海に身を投げようとしていて――」

 さっきまで色めき立っていた会場が、少しだけシーンと静まり返る。

「だから僕は、彼を止めたんです。やめろって」

 まさかの武勇伝を話し始めた湊川に、俺は内心鼻白んでいた。地元愛に武勇伝。さぞかしポイントが高いだろうと。

「だけどね。僕もその時、同じ事をしようとしていたんです。彼と同じで、海に身を投げたら、今の辛い状況から逃げられるかもしれないと」

 俺は思わず湊川を凝視する。彼は頬を緩めているも、どこか複雑な表情で目を伏せていた。

「だけど実際にそういう場面に出くわすと、それが良いことだって思えなくなるんですよ。彼から話を聞いて、彼の苦悩を知って、ああ、自分だけじゃないんだって思えて……あの時、俺は自分の実力のなさに嘆いて、周囲との差に打ちひしがれていたんです。だけど、彼と出会って話をしたら、自分はまだやり切れてないんじゃないのかって思えたんです。彼を説得しているようでいて、自分を鼓舞していたのかもしれません。結果的に僕はこうして今、皆さんの前にいます」

 そう言って、湊川が観客を見渡す。一瞬だけど、祥太と目が合ったように見えた。

「彼は僕の命の恩人なのです。そして今も、僕の心の支えになってくれています。だからそんな結びつきをくれたあの海辺にも、そしてあの時の少年にも感謝しています」

 そう言って、湊川は話を締めくくった。

 周囲からは、大きな拍手が湧き上がる。だけど俺は拍手するどころか、ただ立ちつくしていた。

 今にも泣きそうな顔をしている祥太を気遣うようにして、周囲にいた女の子達が慰めていたからだ。

 この話の少年というのが、祥太であることは間違いないだろう。俺が思っていた以上に、祥太と湊川は深い絆があったのだ。

 だからこそ、俺の発言が許せなかったに違いない。祥太にとって、湊川が命の恩人なのだから。それに向こうも同様に、祥太に恩義を感じている。

 そんな話を祥太から聞いたことがなかったが、彼にとって大切な思い出でもあり、軽々しく話したくなかったのだろう。

 決して互いに近づかず、それでも遠くから互いを見守り続ける。それがお互いに下した決断に違いない。

 そのことに気付いた今、俺の中で強い罪悪感が込み上げる。

 その感情に押されるようにして、俺は走り出したのだった。

 

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友人の推し 箕田 はる @mita_haru

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