アンティクウス
深川夏眠
antiquus
岩槻家が閑静な住宅街の一画に現在の住居を構えて三十年になる。三階建ての一階が骨董品店で、屋号はアンティクウス。ラテン語で「古い」という意味だ。かつては別の場所で本物のアンティークを扱っていたが、
ある晩、テーブルに夕餉の食器を並べていると、来客を知らせるチャイムが鳴った。閉店の処理を済ませたつもりだったが、扉の施錠を忘れていたのだ。
「ねねちゃん、ごはんちょっと待って。ママお店見てくるから」
「うん。ねねたん、おしかちゅー」
二歳半の
百々子は急いで階段を下り、バックヤードで油の跳ねたエプロンを外した。フットライトだけが
百々子は出入口に鍵を掛けて奥へ戻ろうとした。そのとき、レジカウンターに一番近い商品棚で何かが光った。比較的高価な品が並ぶコーナーだ。壁のスイッチに触れて灯りを点けた。黄金の縦ロールの髪に、ちょこんと帽子を載せたビスクドールの、深緑のたっぷりしたドレスの裾に、初めて見る銀貨が一枚、煌めいていた。
寧々子と共に夕食を終える頃、弟の
「ちょっと、いい?」
寧々子がまたテレビの前で踊り始めたので、百々子は千裕に小声で先ほどの一件を伝えた。弟は格別驚くでも不審がるわけでもなく、百々子を自分の部屋に招き、円筒形の缶の蓋を開けた。ユーロ圏の国の、今は使われなくなった旧硬貨だという。
「ぼちぼち九十枚にはなろうかと」
「どういうこと?」
二人で防犯カメラの映像を再生したが、空気の揺らぎらしきものは感じ取れるけれども、人間は映っていなかった。そして、アンティークドールにおひねりを供える見えない手が、どこからともなくキラリと貨幣を取り出して捧げ、去ったかに思えた。
「親父がさ、百々子には黙ってろって言うから。鼻で笑ってまるっきり信じないか、メチャクチャ怖がるかのどっちかに決まってるから、内緒にしとけって」
「なんなのよ」
「背格好とか、どんなだった?」
「黒い山高帽子とカシミアっぽいコート――の、後ろ姿しか見てない。ほら、マグリットだっけ、絵があるでしょ、顔が隠れてる紳士」
「『山高帽の男』とか『人の子』ね」
「そう、あれのバックショットみたいな雰囲気。でもって、どことなく見覚えがあるのよね……」
「それ、親父の亡くなった親友、秋葉さん」
「えっ……」
父が百々子には知らせなくていいと言った幽霊譚を、千裕は掻い摘んで述べた。
かつて秋葉氏が金に困っていた頃、岩槻家は快く彼に食事などを振る舞った。姉弟の祖父が高級なお下がりを持ち帰らせたことも、一度や二度ではなかった。
「天気が悪い夜以外は、満月になったら秋葉さんがやって来て、昔、仕事先で受け取った外国のコインを、お賽銭みたいに一枚ずつ置いていくってワケ。彼は心の中で何と名付けていたのか、ともかく、その寧々たんが〈くるくるきらりんちゃん〉って言ってる金髪碧眼のお人形さんにね、男の真心を示し続けたいんじゃないか、と」
「はあ……」
幼少時、恐らく自分も秋葉氏なる人と何度か対面していたはずだが、祖父が健在のうちは人の出入りが多かったので、格別印象に残らなかったのだろうと百々子は思った。
「ままぁ、ちーたぁん」
寧々子が金色のフリンジが付いた団扇をはためかせながらトタトタ下りてきた。
「応援は済んだの?」
「うん、おしかちゅおわった」
「じゃあ、お風呂入って寝よ」
寧々子を浴室へ導きながら、百々子は考えた。今後、満月の宵は店だけ鍵を掛けずにいた方がいいのか。それは不用心ではないか。千裕は訳知り顔で語ったけれど、先月まではどうしていたのやら。まさか、私がいつもうっかりしていて、しかもチャイムを聞き逃し続けたとか。そして、秋葉氏の幽霊が持参する外貨が何枚溜まれば満願成就となるのか。その暁には一体、あの人形はどうなるのだろうか……。
antiquus【END】
*2022年3月 書き下ろし。
*雰囲気画⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/Nc6r6nq2
*縦書き版はRomancer『月と吸血鬼の
無料でお読みいただけます。
https://romancer.voyager.co.jp/?p=116522&post_type=rmcposts
アンティクウス 深川夏眠 @fukagawanatsumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます