定食屋さくら
高田あき子
定食屋さくら
「それがさ、うまかったんだよ」
そんな言葉が聞こえてきて、俺はふと足を止めた。
仕事の休憩時間に皆がたむろしている一角。安っぽいベンチに腰掛けた同僚の一人が言ったそれになんとなく惹かれて俺は吸い寄せられるように進んでいた。
「なに、何の話?」
「お。お疲れ伊川。いやさあ、こないだの定食屋で食ったのが予想以上にうまかったって話なんだけどよ」
「へえ、定食屋」
俺以外にも興味を持っているらしい連中が何人かすでに集まっている。自分もその中に腰を落ち着け、話を聞いてみた。
なんでも峠の麓にある定食屋で出されたメニューがよほど気に入ったらしい。その店はこのあたりに住んでいる者なら誰でも知っているような場所にある。しかし外装は地味で目立たず、むしろ古くて敬遠されそうな様相だった。そんな定食屋の飯が美味いというのだ。いやまあ、年季の入った定食屋がまずいという話はまず聞かないが、休憩時間にそんなに盛り上がるほどだと聞くと少し気になる。
「で。メニューの内容は?」
「それがよ、ホイル焼きなんだわ。鶏ささみのホイル焼き」
「鶏ささみィ?」
ささみといえば、俺にとってはカロリー控えめのヘルシー食材というイメージが強い。女子がダイエットに食べるみたいな、そんな印象だ。煮ても焼いてもパサパサしているような、少なくとも俺にとってはそれほど美味い食材とは思えない。
「まあ騙されたと思って行ってみろよ。期待しすぎない感じでさ」
疑心にとらわれている俺たちをみて、話の中心にいた同僚はにやりと口角を上げた。
そこまで言うなら。そんな気持ちで顔を見合わせた俺たちは、場所と店名を改めてしっかり聞き出し、各々向かってみることにしたのだった。
「ここか」
数日後だった。仕事の合間に行くことも考えたがどうせならゆっくり食べてみようと思った俺は、休日にひとりバイクを走らせ峠のふもとにあるその定食屋に向かった。
店名は『定食屋さくら』。ありがちな名前にありがちな外観。見覚えのあるそれを同僚から聞き出した情報と照らし合わせ、その入り口を開いた。
「いらっしゃいませぇ」
間延びした声が出迎える。人の良さそうなおばちゃん店員だ。空いている席へ促されて座り、軽くあたりを見回すと、思ったより客は入っているようだった。夫婦、子連れ、若いカップル……客層は様々らしく俺のように一人で来ている客もちらほら。
手作り感満載のお品書きと書かれたラミネート加工の紙をぱらぱらとめくる。お目当てのそれは看板メニューというわけでもなく定食一覧にのせられていた。
「『鶏ささみのホイル焼き定食』、ひとつで」
「はい、ありがとうございます」
注文を取りに来たおばちゃんは愛想のいい笑顔で頷き、のれんで仕切られた厨房のほうへ向かって行った。
定食を待っている間、なんとなしにまた店内を眺めてみた。内装だけリフォームしたのだろうか、外側から思っていたほど古さは感じられない。照明も明るいしテーブルや窓の曇りはない。おばちゃん一人でここまで清掃できるのだろうか。もしかしたらあのおばちゃんは思ったよりやり手なのかもしれない。
そんなことを思っているとほどなくして注文の品が運ばれてきた。鶏ささみのホイル焼き、その名の通りメインにアルミホイルの包みが置いてあり、みそ汁と小鉢がふたつ、茶碗に盛られたご飯が周りを囲っている。
「ホイル焼きは熱いのでやけどにご注意くださいね」
ごゆっくりどうぞ、と微笑んで離れて行ったおばちゃんに頷きこちらも定食に向き直る。
気をつけながら箸先でアルミホイルを開いてみると、大ぶりなささみが丸ごとふたつと、キノコや玉ねぎが包まれていた。見た様子は薄味というか、決して味が濃いようには見えない。期待しない程度に、といわれていたしまあこんなものかな、と思いながら手を合わせ、俺はさっそく食べてみることにした。
本来ならまずはみそ汁からだろうがどうせなら一番に食べてみたい。箸先でささみをつついてみると、やや弾力と硬さを保ったそれは筋目にそって切れた。中までしっかり火が通っている。一つつまみ上げて口に放り込んでみると、それは意外としっかり味がついていて、以前食べたささみからは考えられないくらいやわらかかった。
「へえ、やわらか」
いくらおすすめされたとはいえ、パサパサしたささみがそこまで変わるとは思えなかったし、てっきりこれもそうだろうと思っていたが、見た目以上に濃い味付けとふわっとした肉の触感が食欲をそそる。思わず茶碗の白飯をほおばると口の中でささみ肉と白米がいい具合に噛みあってさらに美味かった。
「あー、確かにうまいこれ」
あの同僚が進めた理由もわかるくらいには、それは美味かった。アルミホイルの中にはおそらく鶏肉の下味がとけ出したスープが残っていて、それがキノコと玉ねぎにもうまい具合に絡まっている。今度はキノコとささみ、玉ねぎをまとめて口に入れ、それぞれの触感と味を楽しみつつ白飯をかき込んだ。
じゅわり。キノコと玉ねぎからあふれる汁気が強いうま味を届けてくれる。白飯とともに喉を通っていく感覚もまた楽しみの一つだろう。
しばし夢中で食べ進め、ちょっと腹が落ち着いたところでみそ汁を飲んでみる。白みそのみそ汁はシンプルにわかめと麩、小葱が浮いている程度でこれがまたよい。定食屋のみそ汁といった趣きかつ、ごちゃごちゃしない味が安心感を与えてくれる。
ほっと一息つく。バイクを運転してきたからか少し頬が冷たくなっていたのだが、すっかり赤みを取り戻していた。
再びホイル焼きと白飯を食べ、ふと小鉢に目をやる。片方は根菜のきんぴらのようだ。甘辛い味付けに間違いがない。もう一つ――こちらはサツマイモの甘煮だろうか。小ぶりな輪切りが二つほど器にのっている。一つをつまんで口に入れてみると、甘さもあるが程よい酸味があった。俺は料理がそれほど得意ではないからわからないが、こういう味は食べたことがある。さっぱり食べられるので甘いものが苦手な俺でも二つ程度ならするっと飲み込めた。
「……ふう。ごちそうさまでした」
気づいたらすっかり完食だ。なんだか体が温まった気がする。食後にどうぞ、とおばちゃんが出してくれたほうじ茶を飲み、ゆったりと流れる時間を楽しんだ。
休日に来て正解だったなと、そう思った。仕事の合間に来ても楽しめただろうが、決められた休憩時間内にかき込むような食べ方をするより、こうして食後の余韻を楽しめる時間があったほうがだんぜん良かった。
名残惜しさに後ろ髪をひかれつつ会計をすませ、おばちゃんに「ごちそうさま」と伝えて店を出る。
ヘルメットをかぶったところで一度振り向いて店の全体を見た。
『定食屋さくら』
古ぼけた看板が今は味があるものにみえる。
「来週もくるかなぁ」
そんなことを呟きながらバイクを走らせ始めた。
日々の新たな楽しみが一つ増えた。そんな幸せをかみしめて。
定食屋さくら 高田あき子 @tikonatu
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