第十一話
管理人室には衝立で区切られた来客用スペースがあり、簡素なテーブルとパイプ椅子が四脚置かれている。一同はそこに移動した。
鬼頭が到着するまでに大体の事情を美苗から聞いて、黒木も彼女のそわそわとした態度にようやく納得がいった。実は新築当時から毎日のようにサンパルト境町を訪れていたと聞いて驚いた黒木だが、どうも今月になって美苗の勤務内容が変わるまで、彼とは出入りする時間が合わなかったらしい。
「でも実は何度かお見かけしてて、ずいぶん体格のいい方だなと思っていました」
美苗はそう言って黒木に笑いかけ、黒木は彼女を覚えていないことに恐縮した。
改めて見ると、窓からのぞいていた女の子――桃花と美苗とは、顔立ちに似通ったところがある。あの子も大人になったらこんな感じの女性になるのだろうか、とふと思いを馳せた。
今もなお病院にいるという桃花の体は、すでに十三歳になっている。だが、この建物の中を彷徨っている彼女はまだ三歳のままだ。
テーブルの上に巻物を広げ、また何事かを「よむ」志朗を、美苗は緊張した面持ちで見つめていた。やがて手を止めた志朗が「六階ねぇ……まぁ、入れるようにはなってるんじゃないでしょうか」と言ったあたりで、鬼頭が到着したのだった。
『わたしは声が出ません。ご了承のほどお願いします』
差し出されたメモ帳の文字を読んだ黒木が「わかりました」と答えると、鬼頭は小さくお辞儀をしてからメモ帳を一枚めくった。よく使う文面を、すでにいくつか書き留めてあるらしい。
『
それから何も書かれていないページを出して、手早く『志朗さんの同業者です』と記した。
「黒木省吾といいます。二年ほど前から志朗のところで雑用をやってます」
そう名乗ると、鬼頭はわかったというように何度もうなずいた。真っ黒な髪に地味な服装。年をとっているようにも、まだ若いようにも見える。不思議な人だ、と黒木は思った。
鬼頭は志朗の横に立つと、唇をパクパクと動かした。発せられたのはほとんど呼吸音のようなものだったが、志朗は「ですね、三年ぶりです。お元気そうで何よりです」と応じた。どうやら鬼頭のごく小さな声を、彼だけは聞き取ることができるらしい。
「会わないもんすね。同業者なのに」
デスクチェアを一脚運んできた二階堂が言った。
「ボクと鬼頭さん、実は相性がよくないからね」
志朗がそう言うと、鬼頭もうんうんとうなずく。二階堂は「そうなんすか?」と驚いている。
「あの、さっそくなんですが。桃花はどうなんでしょうか? 戻してあげられますか?」
パイプ椅子に腰かけた美苗が言った。鬼頭が口を動かし、志朗がうなずいて美苗に答える。
「鬼頭さんもボクも、まったくできないことではないと思っています。少しずつですがあれの力は弱まっているし、『井戸の家』がなくなった後も、内藤さんがこの辺りで桃花ちゃんに声をかけ続けたというのがよかったと思う。元々特殊な状況下にある桃花ちゃんだけなら、ここから出してあげるというのは可能だと踏んでいます。ただまぁ、あれの影響下にある部屋に入らなければならないので」
「それなら私が迎えに行きます」
美苗が強い口調で言った。「桃花も私のことならすぐにわかると思いますし」
「いやぁ、そうですか。うーん」
志朗は首をひねる。
「どうかされました?」
「いや、内藤さんが行かれるのは危ないかもしれないと思って。さっき『よんだ』ときに思ったんですけど、なんかすごい主張してくる人がいるんですよ。その人がなんだかなぁ――もしかすると、内藤さんのご家族かもしれない」
鬼頭が不安そうな顔を上げた。美苗は「それ、どんな人ですか?」と志朗に尋ねる。
「女の人です。三十代半ばから後半かな? わりと小柄で、エプロンをつけてて」
「やっぱり」
美苗は小さな声で言った。「私の兄嫁だと思います――まだ私のこと、家族だと思ってるんでしょうね」
「そう。だから内藤さんが行くと彼女に引っ張られて、かなり危険じゃないかと思うんです。ただ、桃花ちゃんの魂と体の年齢差がこれ以上大きくなってしまう前に、何とかしたいというお気持ちもわかります。ですよね?」
問いかけられて、鬼頭が何度もうなずく。
「何とかなんないっすかねぇ」
二階堂が言う。およそ三年間にわたって美苗のやることを見てきた彼は、すっかり彼女と桃花に同情してしまっているらしい。
「ボクとしては、内藤さんが604号室に入るのは避けた方がいいと思う。でも、何ともならないというわけじゃない」
「マジっすか! やりましょう! オレもできること手伝いますよ!」
「うん。ボクも二階堂くんが行くのがいいと思う」
志朗がそう言い放ち、二階堂は「ハイ?」と言ったまま固まった。
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