第三話

 今夏二度目の葬儀、それも自分の父親の葬儀に参列しながら、なぜか涙のひとつも出なかった。見えないものに追い詰められているような息苦しさがあった。

 決して知り合いの少ない人ではなかったはずなのに、母は家族葬を選んだ。見たことがないほど憔悴して、体の半分を削り取られたような顔をしていた。母は父と本当に離婚したかったわけじゃないんだな、と私は改めて思った。それもまたどこか他人事のようだった。

 母に代わって、綾子さんがてきぱきと立ち働いていた。祖母のときよりもその表情は明るい――というより、何もかもが「普段通り」に見えた。

 人が亡くなる、それも突然亡くなるというのは大変なことだ。心がかき乱されるだけではなく、様々な手続きが待ち構えている。憔悴している最中にやらなければならないことがたくさんある。私たちが呆然としている間に、諸々の雑用を引き受けてくれたことはありがたかったけれど、一方で私は綾子さんに恐怖を覚えていた。

 なぜ綾子さんが悲しまないのか、おそらく私にはわかっている。彼女にとっては、父は「まだこの家にいる」のだ。祖母のときにそれがわかったから、今回は悲しそうなそぶりを見せないのだろう。その価値観の埋めがたい差異が怖ろしかった。

 母はいつの間にか新居への移住をキャンセルしていた。こんな精神状態のときに引っ越しなんて無理な話だろう。一階の寝室で私に「ごめんね」と謝って、母は泣いた。

「美苗もわかるでしょ。お父さん、この家にまだいるのよ」

 母がそう言うと、廊下に続くドアが風もないのにガタガタと鳴った。

「まだ亡くなったばかりなのに、こんな形でお父さんを置いていけない」

 トントン、とドアがノックされた。

 どうせ誰もいないに決まっている、と思いながらも、私は立ち上がって勢いよくドアを開けた。

 やはり誰もいない。

 ベッドサイドのテーブルには、父と母の写真が置かれている。兄の結婚式のとき、正装ついでにふたりだけの写真を撮ろうということになったのだ。その日はたまたま父と母の結婚記念日だった。

 その写真立てが、突然ぱたりと前のめりに倒れた。


 この家で亡くなった人間はきっと、この家に留まってしまうのだ。

 おそらく私が認識できていないだけで、心中で全員亡くなったという井戸家の人々も、まだここにいるに違いない。


 葬儀からほどなくして、家の固定電話に鬼頭さんから電話がかかってきた。彼女が前に言っていた「牽制」のためだろうか。私が父の死を告げると、電話の向こうで絶句する気配がした。

『そ、そうでしたか……その、ご、ご愁傷さまです。あの』

「鬼頭さんのせいじゃないです」

 私がそう言うと、鬼頭さんは言葉の行先を失ったように黙り込んだ。ややあって、

『……美苗さん、わ、わたし、その、お線香をあげに、い、行っても、いいでしょうか?』

 思い切ったような口調で言った。

『その、お、お宅に、直接お邪魔しても――いいですか。や、やりたいんです。その、あればですが。わたしにできることを』

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