第二話
鬼頭さんはすぐに電話に出てくれた。電話が苦手だという彼女に、何度もかけてしまうのは申し訳ないと思ったけれど、声を聞くとほっとした。
『み、美苗さん、にゅ、入院したんですか!? えっ、その、大丈夫ですか?』
「過労じゃないかって言われました。一応色々検査はするみたいだけど、今のところ病気と診断されたわけじゃないんです」
『で、でも、その、無理はよくないです。もし、その、桃花ちゃんが、も、戻ってきたとき、美苗さんが、にゅ、入院とか、してたら』
「わかってます。会社も休むことになっちゃったし、この機会に休養をとるつもりです。あの――ありがとうございます。先日は本当にごめんなさい」
取り乱していたとはいえ、このひとを意味もなく叩いたということが、今はたまらなく恥ずかしかった。電話の向こうから、鬼頭さんの慌てた声が聞こえた。
『いえ、その、あ、謝らないでください。もう、こ、困ります』
その声がかわいらしく聞こえて、申し訳ないと思いながら私は小さく笑った。
しいちゃんのことや、綾子さんの実家のことを話すと、鬼頭さんは『そうですか』と呟き、少しの間黙っていた。
『あ、ありがとうございます。その、役に立つと、お、思います』
「そうですか、よかった……」
『お、おばあちゃんは、その、認知症の症状が、で、出てたときって、その、子供に戻って、ら、らしたんですよね』
ならば「しいちゃん」は、その当時の人物なのではないか――と鬼頭さんは言った。
「たぶん、今の家が建つ前のことですよね。調べられるかな……」
『わ、わたし、しら、調べてみます』
「本当ですか? でも」
鬼頭さんに何でも任せすぎているのでは――急に心配になった。鬼頭さんは私の心を読んだかのように、『わ、わたし、その、大事にしたくて』と言った。
『わ、わたし、その、なんにも、と、取り柄がなくて。で、でも、これだけはできて、その、役にた、立てるから……その、じ、自分も何か、も、持ってるって、思いたいんです』
「鬼頭さんはすごいですよ。私、鬼頭さんみたいに優しくなれません」
『えっ、あっ? す、すみません』
素直に褒めたつもりだった。鬼頭さんは、自分で言うような「何の取り柄もない人」ではない――と私は思う。それが伝わりにくい人ではあるのかもしれないけれど。
最後にもう一度私の体調を気遣って、鬼頭さんは電話を切った。私は談話室のソファに座り込んで、ほっと一息ついた。ようやく「しいちゃん」のことを伝えることができた。そのとき、通話を切ったばかりの携帯が震えた。
画面を見ると、ショートメールが届いていた。送り主は綾子さんだ。彼女の名前を見た途端、背筋がすっと冷たくなった。私の体調を気遣い、手伝えることがあったら何でも言うように伝えたあと、彼女はメッセージの最後をこう締めくくっていた。
『美苗さんがいないとさびしいです。早く帰ってきてね』
途端にああ、帰りたくない、と思ってしまう。空いた手で拳をにぎり、私は「ありがとう、早く帰りたいです」と返事をした。厭だけど、早く帰らなければ。
あの家ではきっと桃花が、私のことを待っている。
病院に怪しいものは出なかった。少なくとも、私が家で遭遇していたようなものと出くわすことはなかった。ひさしぶりに安眠を貪っていると、気力が回復していくのを感じた。またあの家に戻っても大丈夫、自分は戦えるとベッドの中で拳を握った。
たった数日の検査入院だから、お見舞いに来るのは母だけだ。綾子さんが来るかと思ったが、「気を遣わせちゃうと悪いから」と言って家に留まっているらしい。父も兄もあえて時間をとろうとはしなかったし、私もそれが不自然だとは思わなかった。
父の訃報が飛び込んできたのは、退院の日の朝だった。早朝、例の部屋の中で倒れていたらしい。顔は穏やかだったが、畳に酷くひっかいたような痕があったという。
まるで足元の床が崩れて、どこまでも落ちていくような気分だった。
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