第六話

「鬼頭さん。とりあえず顔を上げていただけませんか」

 父が声をかけた。「あなたのお話を伺った限りでは、あなたを責めるべきこととは思えません」

「すっ、すっ、すみません」

 鬼頭さんはパッと顔を上げた。相変わらず年齢のよくわからない人だ、と思った。年齢だけでなく、普段何をして生活しているのか、背景のようなものがよく見えない。不思議な人だ。

「鬼頭さんは、お母さんからその封印に関して何かその」

 私もうまく言葉が出てこない。封印だのなんだの、こんな話し合いを大人同士で真面目にしたことはたぶん、今までの人生で一度もない。自然と、普段の仕事で使う言い方が顔を出してしまう。「えーと、引継ぎみたいなことはされていたんですか?」

「い、いえ、母は、その」

 鬼頭さんは首を振った。おそらく「していない」のだろう。

 鬼頭さんを責める気になれないのは、たぶん私も父と同じだ。彼女の母親が施していた何か封印のようなものが、その人の死によって壊れてしまった。つまり鬼頭さん本人のせいではないことを、こんなふうに謝られると私は弱い。怒る気がそがれてしまう。

「う、うちは、その、そういう家系で、その、わ、わたしも母と、同じようなことを、や、やっています。でも、わ、わたしの方が、その、弱いので」

 そういえば以前も「代々伝わる方法で拝み屋をしている」みたいなことを言っていた気がする。

 鬼頭さんは躓きながら話を続けた。ここから先はまだ父にも話していないことなのだろう。

「は、母がやったことというのは、その、あそこに『押し込める』みたいな、こ、ことなんです。げ、元気なうちはそれで、よ、よかったん、です。な、何年かに一回は、その、現地に行って、お、押し込め直したりとか、していたらしいし」

 店員が私の分のコーヒーと伝票を運んできた。会話が途切れたのを見計らって、鬼頭さんは彼女の前に置かれていたアイスティーに口をつけ、ふーっと息を吐いた。

「で、でも、もう、綻びを、どうにもできなくなって、ここ数年、その……こ、喉頭がん、でした。お酒も、た、たばこもやらなかったけど、その、やっぱり、家系です、ね。肺に、転移して」

 また一息ついてお茶を飲む。きっと彼女も辛いに違いない。

「は、母がわたしに、その、『井戸の家』のことを引き継がなかったのは、その……わたしが、よ、弱いからだと思います。ほ、ほかの人を探してたみたいで、でも、その、間に合わなくて」

 またごめんなさいと頭を下げようとするのを、父が止めた。鬼頭さんはぴょこぴょこ頷きながら話に戻る。

「あの、その、ほ、綻びを小さくする、というか、その、前くらいに抑える、というのは、わたしにも、なんとかできると思います。す、すごくがんばれば、ですけど」

 鬼頭さんはそう言った。

「前くらいにというのは……」

「その、あの部屋に入らなければ、その、住めるくらいの状態に、な、なるかと」

「本当ですか!?」

 また大きな声を出してしまった。周囲の客が振り向く気配を感じる。父が私の腕をつついたが、その顔つきもはっきりと明るい。

「で、でも」と鬼頭さんが言った。「その、それだけ、です。私にできるのは――原因を、と、取り除くとかは、無理です」

「それでも今よりはマシになるんでしょう? だったら」と身を乗り出しかけて、私は鬼頭さんの暗い表情の理由に突然気づいた。彼女も私の顔色が変わったのに気づいたらしい。いっそう暗い顔になって続けた。

「それをすると、その、も、桃花ちゃんも、一緒に、押し込めることに、なって、しまいます」

 急に体中が冷たくなったような心地がした。

「わ、わたしには、それしか、その、できません。ごめんなさい」

 鬼頭さんはそう言って、両手で顔を覆った。

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