第五話
指定されたのは徒歩圏内の喫茶店だった。進むうちにどんどん歩調が速くなり、到着したときには小走りで、すっかり息があがっていた。
落ち着いた内装の店内を見渡すと、奥の席で父がこちらを見て手を振っているのが見えた。対面に座っていた鬼頭さんが立ち上がり、こちらに向かって頭を下げた。
「鬼頭さん!」
小走りでテーブルに近づきながら、安堵で思わず大きな声が出た。ここしばらく連絡が取れなかったことは、私の中で大きな気がかりのひとつだったのだ。
鬼頭さんは驚いたのか、びくっと肩を震わせた。父の隣の席に座った私に、鬼頭さんは「す、すみません」とまた頭を下げた。
「め、メール、その、返せなくて。あの、母が」
「あの、かけてください」
私が促すと、鬼頭さんはまた「すみません」と言いながら、ガタガタと椅子に座り直した。今日はどうしたのか、ひどく動揺しているように見える。
「あの、ほ、ほんとうにすみません。その、わたしの母が、な、亡くなりまして。それで、その、色々ありまして、ごめんなさい」
「そうだったんですか……ご愁傷様です」
こんなタイミングで葬儀が重なるなんて――厭な偶然だと思った。ちょうどやってきた店員にコーヒーを注文し、いなくなったところで改めてお悔やみを言った。鬼頭さんもそれに「あっ、ありがとうございます」と応えた。
「み、美苗さんも、その、ご愁傷様です。その、それで」
鬼頭さんは見る見るうちに額に汗をかき始める。それでもなにか言おうとする彼女を、父が一旦止めた。
「鬼頭さん、ちょっと落ち着いて。あなたが悪いんじゃないんだから」
「で、でも、その、でもですね」
「まぁまぁ。美苗が来る前にちょっとお話を聞かせていただいたんだが」
父が代わりに話し始めた。
「元々『井戸の家』に関わっていたのは、鬼頭さんのお母様らしい」
鬼頭さんが向かいの席でコクコクとうなずいた。
「あの家を『例の部屋に入らなければ大丈夫』という状態にしたのがお母様の、ええと」
「ち、
鬼頭さんが口を挟む。
「すみません。千雅子さんだそうだ。ただしそれがもう三十年近く前の……井戸の家で一家心中があった時らしい」
「三十年?」
オウム返しと共に、妙な笑いがこみ上げてきた。ということは不動産屋の「大丈夫」という言葉も、まったくの嘘ではなかったわけだ。ただしそれは三十年も前の時点のことだった。ひどい話だ。なんていい加減なんだろう。ということは今は――
「千雅子さんが施した封印のようなものがだんだん劣化してきた上に、ご本人が亡くなったので、その、一気に綻びたらしい。それがおばあちゃんが亡くなった日の前日で」
父はうまい説明の仕方がわからないのか、どうにも難しい顔をしている。
私は「ああ、だから彼女はこんなに小さくなっているのか」と、どこか他人事のように思った。彼女の母親が亡くなったのがきっかけだったのか。祖母が亡くなり、真夜中以外にも怪現象が起こるようになったのは、「一気に綻びた」からだったのか。
それが鬼頭さんに責任を帰するべきことかは、私にはわからなかった。それでも父が話をしている間、彼女は私たちに向かって、ずっと頭を下げ続けていた。
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