第十一話
もうずいぶん前――確か私がまだ独身の頃、友人間で婚活の話をしたことがある。なにかの情報誌に載っていた「これが女性が求める最低ライン」などと銘打った男性像をみながら「これを最低というのは、女から見てもちょっと理想が高すぎ」とか「こんな男婚活パーティーにそもそも来ない」みたいな話をした覚えがある。そのとき私は「これ、兄に似てるな」と思ったのだ。ソツがなく、欠点の少ないひとだというのが、妹の私から見た兄の印象だった。
実際、地元の国立大学を出て、やはり地元で名前の知れた企業に就職し、派手ではないが明るくて優しい女性と結婚し――という軌跡を辿ってきた兄は、傍から見れば堅実で順調な人生を歩んでいるように見えた。大抵のことを平均点以上でこなし、逸脱したところがないというのが、私が兄に幼い頃からずっと抱いてきた感想のようなものだった。
今そのイメージが、音もなく捲れるのを見たような気がした。
「綾子って実家の方で色々あったみたいで、何度も聞かれたよ。ほんとにわたしと結婚していいのって、結構渋られてさ。だから交渉したし、俺から譲って綾子のいいようにしたよ。実家で同居したのも、ばあちゃんを老人ホームに入れなかったのとか……まぁその、とにかくいいんだよ。綾子が何も言わないなら」
「そんなに綾子さんのこと好きだったんだ」
ぶつぶつ言いながら部屋の方に行こうとする兄の背中に、私は思わずそう投げかけた。兄は振り向きもせずに「そりゃそうだよ」と言った。
その日の夜、ふたたび足音が復活した。階下をトントンと歩く音を聞くと、子どもの夜泣きを聞きつけたときのように目が覚めてしまう。常夜灯だけの暗がりで(またか)と思った自分のことが可笑しかった。いつの間に、こんな状況に慣れてしまったんだろう。
(桃花かな)
耳を澄ませてみたが、今回はどうも違う気がした。桃花の足取りではない。それでも軽やかで、子どもを思わせる音だった。
あの部屋にいる何かがこんな音を立てているのだろうか? 常夜灯を見上げながら考えた。あの部屋には一体何がいるのだろう? それはいつからあそこにいるのだろうか? 私たちをあの部屋に呼んで、一体何をしようというのだろう?
この時初めて私は、この家で昔何があったのかを知りたいと思った。
一家全員が亡くなった事件のことは、もう私の記憶からほとんど消えかかっている。彼らはなぜ死んでしまったのだろう? 本当にあの部屋が関係しているのだろうか?
足音を聞きながらつらつらと考えていると、ふたたび眠気が押し寄せてきた。ずいぶん慣れて図太くなったものだと思いながら、私はまぶたを閉じた。
朝起きると、なんとなく家中がざわついているような感じがした。カーテンの隙間から光が漏れている。夜中に目覚める癖がついたせいで、最近は体が重く感じられる。
時計を見るとまだ七時前だ。日曜日にしては早すぎる。
トントン、とノックの音がした。
「美苗、起きた?」
母の声だった。私は布団の上に体を起こして伸びをしながら「どうかした?」と声をかけた。
「あのね――おばあちゃん、亡くなったの。たぶん夜のうちに。とにかく起きて」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます