幕間
サンパルト境町1004号室
地下鉄の駅から徒歩八分、賑やかな街中を少し外れた住宅街にそのマンションはある。「サンパルト境町」という名前のこのマンションは、十階建てでまだ新しく、オートロックを備え、管理人も常駐している。
男性が単身で住むには広過ぎるし、セキュリティも厳重に過ぎる。
サンパルト境町に通うようになってから、そろそろ二年になる。住んでいるのではない、彼の職場がここなのだ。彼の雇い主の
二年前、黒木はここではなく、ごく普通の中小企業に勤めていた。その会社が突然なくなって、それから知人に志朗を紹介された。以来、彼のボディーガード兼雑用係のようなことをやっている。二年前の自分とはまったく違う世界に片足を突っ込んでいる、そんなふうに思うこともある。少なくとも志朗に出会う前、彼は霊感とか呪いとかいうものをあまり信じてはいなかった。
志朗貞明は自らを「よみご」と称する。彼が生まれ育った土地特有の霊能者である。
彼らは皆一様に盲目で、もっぱら凶事を取り扱う。
「おはよう黒木くん。今日もよろしく」
ドアを開けた志朗のことを、黒木は相変わらず知っているようでよく知らない。
二十八歳の自分よりもいくつか年上らしいが、おそらくさほど離れてはいないだろう。が、頭髪は完全に真っ白になっており、それを伸ばして後ろでひとつにくくっている。両目は閉じられ、そのせいかいつも笑っているように見える。平均よりは背が高いが、黒木とくらべると10センチ以上低い。元々黒木は、巨躯と強面を買われてここに雇われている。身長190センチ、体重は最近110キロ台に乗った。縦も横も、自分より大きい人にはなかなかお目にかかれない。
「今日、ちょっと色々雑用頼むけどいい? まぁいつも頼んでるけど」
と言う志朗の言葉には、何となく西の方のアクセントが残っている。
「いいですけど、わざわざそういう風に言うの珍しいですね。雑用ってなんですか?」
そう返しながら、廊下に置かれた段ボールの束に黒木の目がとまった。引越業者のロゴが印刷されている。その様子をまるで見たかのように、志朗が言った。
「引っ越すから、ここ」
「えっ、急ですね」
「昨日決めたけぇ。明日から業者の人が入って荷造りから何から全部やってくれるんだけど、自分でまとめたいものは今日中にやらなきゃならないから」
「明日ですか? 本当に急だな……どこに移るんですか?」
内心(遠いと嫌だな)と思った。急に言い出すくらいだからよもや県外などではなかろうが、今住んでいるアパートとこのマンションとは徒歩の距離である。通勤が楽なのだ。
志朗は右足でトントンと床を踏んで鳴らした。
「ここの真下。904号室」
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