家族の問題
第一話
突然のことに混乱していた。急に現れたこの女性は何なのだろう? 門扉越しに私の腕をつかみ、不動産屋がどうとか駄目とか言い始めた彼女に対し、私は怖がることすら忘れて、ただただ困惑するしかなかった。
「な、なんで、なんでこんっ、うっ、うえええぇぇ」
女性は突然えずいたかと思うと、私の腕を放して口元を隠し、「ご、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」と不明瞭な発音で繰り返しながら頭を何度も下げ、ばたばたと立ち去っていった。
私はぽかんとしてその後ろ姿を見送った。恐怖も怒りも押しのけて困惑だけが頭に満ちている。そのとき、後ろから服を引っ張られた。桃花だ。
「いまのひと、だれ?」
「うーん……わかんない」
私にもこれしか答えようがない。桃花は首を傾げながら「まちがえたのかな?」と言った。
「うーん、そうだねぇ。きっと間違えたんだね」
間違いであってほしい、と思った。「不動産屋にまだ売っては駄目だと言った」物件というのが、私たちの背後にそびえるこの「井戸の家」でなければいい、と願っていた。じわじわと気味の悪さが勝ってくる。
私は「そろそろ中に入って、ジュースでも飲もうか?」と桃花を誘って、家の中に入ることにした。
「のむ!」
桃花はぴょんぴょん跳ねながら、私を家の方に引っ張っていく。
歩きながらふと、無言電話のことを思い出した。元夫の仕業ではないかと思っていたけれど、もしかするとさっきの女性が関係しているのではないだろうか? でも、彼女は一体何者なんだろう。
手を洗ってキッチンに行くと、綾子さんが調理台の上に食材を並べているところだった。「あら、中に入ってきたの」と笑いかけてくる。
「おばあちゃん、今お部屋でウトウトしてるからおかず作りにきちゃった。桃ちゃん、どう? お外楽しかった?」
「へんな人いた!」
「変な人?」
私は綾子さんに、さっき庭で会った女性のことを説明した。残念ながら、綾子さんにも心当たりはないようだった。
「美苗さんも知らない人だったの? 変ねぇ。まぁ、すぐに帰っちゃったならよかったのかな?」
首をかしげながらも、綾子さんは私がやるより早く二人分のコップを取り出し、桃花のプラスチックのコップにはりんごジュース、私のガラスのコップにはアイスコーヒーを入れてくれる。この家に来てからキッチンをいじっていないという母の言葉を、私は思い出していた。
「美苗さん、ミルク入れる? お砂糖はいらないのよね」
「うん。悪いわね。何でもやってもらっちゃって」
「いいのいいの」
もう飲み物の好みまで覚えられているらしい。
ダイニングテーブルで桃花と飲み物を飲みながら、私はまだあの女性のことを考えていた。相変わらず何者かわからなかった。
家の中は静かだ。父は買い出しに出て、兄は相変わらず休日の午前中を寝て過ごす。兄が今所属している部署は、取引先との接待や社内での付き合いが多く、夜はどうしても遅くなるのだという。「必要経費ね」と言って綾子さんも納得しているらしい。母も買い出しだろうか、と考えていたところに、当の母親がひょっこり顔を出した。
「美苗、ちょっといい?」
こちらに向かって手招きをする。「ちょっと携帯がわからないんだけど」
桃花が機械を触りたがると面倒だ。綾子さんも察して「桃ちゃんとおしゃべりしてるから、行って来たら?」と勧めてくれる。お言葉に甘えることにして、私はひとりでキッチンを出た。
「こっち」
母は私を、両親の部屋まで手招きする。携帯くらいこっちに持ってくればいいのに……と思いながらもついて行った。部屋に入ると、母はぴしゃりと戸を閉めた。
「美苗。私、離婚しようと思う」
突然の宣言に、開いた口がふさがらなかった。
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