第十三話
「内藤さん、顔色悪くないですか?」
あるとき、総務部の女性社員にそう聞かれた。四月に異動してきたばかりの子だ。
「そう? そんなに悪いかな」
「なんかこう、疲れてるって感じですよ」
「そうかー。まぁ、引っ越しとかあったから大変でね」
そう言って取り繕った。付き合いの浅い相手にもわかってしまうくらい、私は「見るからに疲れている」状態のようだ。そのこと自体がショックだった。
「ああ、引っ越しすごい面倒ですよね。私なんかまだ段ボール全部片付いてないですよ」
彼女は明るく笑った。この子に「家におかしな部屋があるの」なんて話をしたら、何て言われるだろう。おかしな人だと思われるかもしれない……そんなことを考えながら、私も笑い返した。
総務部のブースを出て一人になると、また大きなため息が出てしまう。最近は人目がなくなるとすぐにこうだ。気にかけないようにしていても、気が付くとあの部屋のことばかり考えている。眠りも浅いままだ。
あの部屋のことさえなければ、どんなにいいだろう。
帰宅すると、いつものように桃花が飛びついてきた。祖母はリビングで折り紙を折っている。昔のことを覚えているのだろうか、意外なほどきれいな形の鶴や紙風船がテーブルの上に並んでいた。
「美苗さん、おかえりー」
綾子さんが明るい声をかけてくる。「疲れたでしょ。あったかいお茶でも飲む?」
「じゃあ、着替えてきてから」
階段を上りながら、やっぱりいいな、と思う。帰ってきたら「おかえり」と言ってもらえて、お茶なんか出てきて、キッチンからはいい匂いがして。ここがこの家でなければもっといい。
あの部屋のこともあるが、この家はとにかく広すぎる。七人家族が暮らしていてさえ、まだ使ってもいない部屋があるのだ。客間ということになっているが、そうそう泊りがけの来客などあるものではない。実質ただの空き部屋だ。
人の目の届かない部屋があると思うと、何だか落ち着かない。家だけではない。庭も広くて、ふとした瞬間、植木の影などに誰か潜んでいそうな気さえする。
着替えを済ませて一階に戻った。リビングでは桃花と祖母がまだ折り紙に勤しんでいる。空いた椅子にはウサギのぬいぐるみが座らされている。綾子さんはキッチンにいるようだ。つかの間の平和な光景に心が和んだ。
そのとき、リビングに置かれた固定電話が鳴った。
仕事中のくせが出て、反射的に受話器をとってしまった。とってからディスプレイに「非通知」の文字を見つけ、ああセールスとかだったらいやだな、と後悔した。
受話器の向こうは無言だった。セールスにせよ宗教にせよ、相手が出たら話し始めるはずだ。しばらく待つが応答はなかった。
「あの」
思い切って声をかけると、電話は切れた。
胸の中に不吉な気持ちがぶり返してくるのを、私はどうにもできなかった。
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