第六話
絵に描いたような平凡で、幸せな家庭だったと思う。
夫が痴漢で捕まったと聞いたときは、冤罪に違いないと考えたものだ。
それが常習的なものらしいとわかってきたときも、夫のパソコンから制服姿のまだ幼いといっていいような女の子たちの盗撮画像がでてきたときも、誰かの陰謀ではないかと疑ったり、長い夢を見ているのではないかと思ったものだ。
ところがある日突然、スイッチが切り替わったかのように、私の脳がそれらの証拠を受け入れるときがやってきた。ひどい吐き気がこみ上げ、家族写真を眺めながら私は嘔吐した。
そして、この男から桃花を永久に引き離さなければならない、と決めた。
自分の父親がやったことを、桃花はまだ何も知らない。何も知らないから、私はウサギの絵を彼女から取り上げることができない。
でも今夜、桃花が眠ったら、私はあの絵を破って捨てるだろう。あの男への思慕など、娘の心の中に残しておいてはいけない。
片付けの成果として、何枚かの畳んだ段ボール箱ができあがった。私はそれらを束ね、一階に運んだ。ガレージの中の小さなプレハブ倉庫に溜めておいて、回収日に捨てるのだそうだ。実家の引っ越しで出た分は引っ越し業者が持って行ってくれたそうだが、私たちの利用した業者にそのオプションはなかった。
ガレージもなかなか広い。父と兄の車が並んで停まっているほか、母が若い頃から趣味で乗っているバイクまで仕舞われている。カバーがかけられたバイクを見て、最近はあまり乗れていないのではないか、とふと思った。
段ボールを片付けて勝手口から家の中に戻り、二階に上がろうとしたとき、私はぎょっとするようなものを見て思わず足を止めた。
廊下に綾子さんが立っている。そして、彼女の眼前であの「入ってはいけない部屋」が戸を開けていた。
ふとそれが、ぽっかりと口を開けた巨大な生き物のように見えた。
「――ああ、美苗さん」
そう言いながら綾子さんがこちらを向いた。
私はようやく彼女の話を思い出した。確か明るい時間帯に戸を開けて、空気を通すのが日課だと言っていたではないか。
「見てみる? ほんとに何もないけど。今閉めるところなのよ」
何気ない口調で綾子さんは言った。
躊躇した。でも、ここに何があるのか知っておきたい気持ちもあった。なにせ、桃花がこの家で暮らすのだから。何か危険があるとしたら、できるだけ把握しておきたい。
それに、昨夜の足音の正体もわかるかもしれない。
「じゃあ、ちょっとだけ」
そう言って横から覗くと、確かにそこは何もない部屋だった。奇妙なものだ。白い箱のような空間に畳だけが敷かれ、他には家具も、窓すらない。当然ながら、足音のような音をたてそうなものもなかった。
「ね? 変な部屋でしょ」
綾子さんは苦笑すると引き戸を閉め、打掛錠をしっかりとかけた。そのとき、階段から足音が聞こえてきた。ようやく兄が起床したのだ。
「あら、圭さんだ。もうお昼ご飯のほうが近いのに」
笑いながら、綾子さんはキッチンの方に歩き去っていった。
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