第432話 🐦‍⬛

既に23時を回っているというのに


カァー、カァー

クワッ、クワッ、クワッ


数分前から、マンションの周りをカラスが飛び回っている


「気持ち悪っ・・・」6階に住む美雪さんは顔をしかめる


コン。コン。


ベランダのガラスを、指の関節で軽く叩くような音が聞こえた


あれっ?

何か当たった?


次の瞬間


ガァーーッ!!

ガァーーッ!!


至近距離でカラスの鳴き声が響いた


「きゃあーーっ!!」


美雪さんは驚いて飛び上がる


ベランダの向こうにカラスがいる?!


だがカーテンが閉まっていて見えない


ガアッ!

ガアッ!!


グワッ!グワッ!


ガァッ!

ガァーーッ!!


1羽じゃない、数羽がベランダで揉めている??


美雪さんは恐る恐るベランダに近付く


ガアッ!!

グワッグワッ!!

ガァーーーッ!!


更に近付くと、バサバサという羽の音と、タッタッタッとベランダを歩く音


美雪さんは意を決して、そーっとカーテンを開いてみた


!!!!!


一瞬見ただけで十分だった


奥行き1.2m、幅2mのベランダに、1羽や2羽どころではない、所狭しとカラスがひしめいており


それらが何か、白く丸いものを奪い合っていたのだ


「ぎゃあああ!!」


美雪さんは叫びながら部屋の端まで飛び退く


な、な、なにあれは??

どうしてあんなに大量のカラスが?!


ガァーッ!!

グアーーッ!!

ガアガアーーッ!!

クワックワックワッ!!


バン!!

バン!!

バン!!


カラスの体がガラス戸に当たる


「もうやめて!どっか行ってよ!!」


美雪さんは泣きそうになりながら部屋の壁に背中を付けて立ち尽くしていた


と、次の瞬間


・・・・・・。


全く音がしなくなった

あれほど激しかった鳴き声も止む


美雪さんはしばらく動けなかった


つい数秒前まであれほど騒いでいたのが嘘のように、世界から音が消えた


「・・・いなくなった??」


震えながらゆっくりゆっくりベランダへにじり寄る


先ほど開けた些細な隙間から覗くと、所狭しと溢れていた黒い影はもう見えない


美雪さんは呼吸を整え、カーテンを10センチほど開くと、震える指でガラス戸の鍵をカチリと開けた


ゆっくりガラス戸を開くと、冷たい夜気が流れ込んでくる


次に目に飛び込んできた光景に、喉がひゅっと閉じ、呼吸ができなくなった


ベランダの床一面に、黒赤い点々が散乱している


点々というより飛び散った血の雫


床、手すり、ガラス面、エアコンの室外機、壁の角


そこらじゅうに細かな血飛沫が飛び散っている


その放射状の血飛沫に沿って、黒い羽根が散乱している


まるで何かを食い破り、引き裂き、掻きむしり、最後に弾け飛んだような跡


「やだ・・・やだやだやだ・・・」


後ずさろうとして、足が震えてよろめく


その時、ベランダの端に何か残されているのに気付いた


さっきカラスたちが奪い合っていた、白く丸い布切れのようなもの


それが何かを理解した瞬間、美雪さんは全身が総毛立った


それは赤ん坊の服だった


小さな淡いクリーム色のロンパースの、胸の部分だけがずたずたに裂かれた状態で残されていた


まるで、服の中身がまるごと引きずり出された後のように。


美雪さんは気が遠くなるのを堪え、ベランダを閉めるとテーブルの携帯を掴み、震える指で110番通報した


10分後、エントランスに警察が到着


「警察です。開けてください」


インターホンのカメラに警察官が3名と私服の男性が1人、映っている


程なく廊下に、複数の足音と無線の雑音が響いた


扉を開く手が震える


「◯◯さんですね?通報の内容について、落ち着いて説明していただけますか」


「ベ、ベランダに・・・たくさんのカラスが来て・・・血が・・・赤ちゃんの服みたいなのが・・・」


いまいち要領を得ないという顔の警官たちだったが


「上がらせてもらいますね」


そう言ってベランダに向かった彼等の顔色は一瞬で変わった


「応援要請。鑑識も呼んで」


そんな声が聞こえる


30分後、鑑識班が到着し、真夜中のベランダは一気に騒がしくなった


翌日、美雪さんは事情聴取のため、午前中いっぱい警察署に拘束された


ようやく帰宅を許されたのは昼過ぎだったが


正直、部屋に戻るのが恐ろしかった


警察署で聞かされた話が、未だに理解できないでいたのだ



「・・・まず最初に、あなたのお部屋のベランダですが、カラスが侵入するのはまず不可能です」


「えっ?」


「羽根と血痕はハシブトガラスのものでした。カラスはホバリング(空中停止)を常時行える鳥ではありません。また着陸・旋回には速度を保つ必要があって、速度を落としすぎると失速するのです。カラスの飛行能力で、群れごとあのベランダ・・・奥行き1.2 m・上下左右を張り出しや壁に囲まれている袋小路に侵入することは考えにくいのです」


「それは、つまり、どういう事でしょうか?」


「本当にそれだけの数のカラスがいたとするなら・・・あの限られた空間に"突然現れた"としか言いようがないですね」


美雪さんは息を呑んだ


「あと、血飛沫の中に爪のような引っかき跡がありまして。カラスの爪痕とは形状が一致しませんでした」


「えっ?」


「細く長い五本爪の痕跡が壁を縦に深く削っていたのですが、人間の手の形に近いですね。ただし、その深さは人間には不可能です」


震えが止まらない


「最後にあの、ベビー服の切れ端のようなものについてです。あれは鳥がつついて破いたのではありません。通常、外部からつつく・引っ張るなどして破れた場合、破れ目が引き裂きの方向に沿って繊維束が残るのですが、あの切れ端は真逆で、繊維が内側に巻き込むように縮んでいました。簡単に言うと、"中身"が一旦縮んだあと、膨張して破裂。落ちていた羽根は、いずれも生地の破裂片が落ちている方向に集中していた。破裂に巻き込まれたカラスが放射状に飛び散ったのでしょう」


「あの・・・ベランダで、何があったのでしょうか?」


「正直、分かりません。我々も、何と申し上げたら良いのか」


美雪さんが何となく感じた空気は、警察は美雪さんの自作自演を疑っている、という事だった


そんなことをして私に何のメリットがあるというのか。


1か月後、美雪さんはその部屋を退去した

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