第20話 追憶の母

「私の側にはいつもお母さんがいて、助けてくれた」


ベテランダイバーのKさん


彼女は小さい頃、水が嫌いだったという


子どもの頃、何度もプールで溺れ掛けたからだ


はっきり憶えてはいないが


小さな小さなプールで、いつも泳ぎの練習をしていた


しかし必ず、溺れたのだという


そして溺れるたびに、母親が助け上げてくれたらしい


そんなお母さんも、Kさんが5歳になる直前、亡くなった


心タンポナーデ。


入浴中、心臓が突然、破れて即死だったという


母親のおかげで水嫌いを克服した彼女はそれから、水泳選手を経て現在のダイバーインストラクターになった


海は自分の広大な庭園


自分の天性の得意分野で、インストラクターとして活躍できるのも


小さい頃、お母さんが助けてくれたからだ


Kさんは、父親の姉にあたる叔母が大嫌いだった


お母さんといつも言い争いをしていたからだ


お母さんが死んだのも、叔母のせいだと思っていた


次第に憎しみが大きくなってきた


そしてそんな叔母をかばう父親のことも、嫌いになっていった


彼女は大学を卒業後、ダイビングショップに就職するとともに家を出た


弟には、お姉ちゃんはもう実家には戻るつもりはない、と伝えた


3年後。


彼女が26の時、その叔母が亡くなったと弟から連絡がきた


56歳、癌だった


弟から、叔母に線香一本でも上げに来てあげて欲しいと言われた


「どうして私が!あんな女に線香なんで上げなきゃいけないの!」


「姉さんは何も知らない・・・」


「はぁ?!何言ってんのよ!」


「姉さんは、何も知らない!!」


弟は昔から暗くて大人しくて


この先、一人前の社会人としてやっていけるのだろうか、姉として不安があった


何かいつも、思い詰めたように影のあった弟


「姉さんは、何も知らない!!」


そんな強い口調は初めて聞いた


結局、実家近くのコーヒーショップで弟と会うことにした


そして話を聞いたのだが・・・


弟の話は。


突拍子もなく、荒唐無稽で。


聞いているうちに腹が立ってきて。


飲みかけのグラスを彼に投げつけ、ひとり店を出た


車で部屋に戻ってくる


気分が悪い。

とても、気分が悪い。


夜になったが灯りも付けず、ベッドに寝転がったまま、ぐるぐると想いを巡らせているうちに


突然、違和感を覚えた


いつもすぐに思い出せた、あの小さな小さなプールでの水泳練習・・・


いや、ちがう


あれはプールじゃない


あれは・・・


実家の・・・浴槽


溺れていた私


ちがう


溺れていたんじゃない


あれはわたし・・・


沈められていた!!


いつもいつも腕で押し付けられ


鬼女がわたしを


鬼のような形相の母がわたしを


折檻していたのだ・・・!!



それを見つけ、母を突き飛ばし


私を助け上げたのは・・・


叔母だった



全て思い出した


いや、自分が記憶を封印していたのだ


彼女は慟哭した


涙は一晩、止まらなかった



翌日、朝早く身支度を整えた彼女は


同僚に急用で休むと電話を入れ、叔母の家に向かった


「あれ!どうしたのKちゃん?!来てくれたの??」


叔母の旦那さんが迎えてくれたが挨拶もそこそこに家に上がりこむ


ふらふらと仏間に向かったKさんは叔母の遺影を見つけると、それを手に取り、胸に抱き


知らせを受けた父親と弟が駆けつけ、彼女を抱きかかえるまで、泣き続けていた



「そんな人がね、昔ここにいたの」


「よくもまあそんな、酷い話・・・俺が聞いても良かったのだろうか?」


「Kさん10年以上前に海外に行っちゃって、いまどうしてるのかな〜全然わかんない。だからもう時効じゃない?」


愛憎劇に時効は無い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る