推し活でTOEICの点が上がった話

群青更紗

第1話

 「外国語を覚えるには外国語を母語とする恋人を作るのが一番良い」と言った人がいるらしい。一理あるとは思うが賛同はしない。恋の結果として学びがあるならいざ知らず、学習目当てに恋をするなど相手の身になれと思う。そもそも恋とは落ちるものである。落ちるとは重力のいたずら、意図して起こすものではない。学習目当てに恋をする? 恋でなく地獄へ堕ちろ。紗矢は物騒な女であった。

 そんな紗矢だが一度だけ、恋によって英語力が伸びたことがある。具体的にはTOEICのリスニング点数が30点ほど上がったのである。恋の相手は二次元だった。当時放映していたアニメーションのキャラクターだった。

 紗矢にとって英語とは、「何となく理解出来るものの使いこなせるものではなく、それでいて向こうからやってくるもの」であった。学生時代の点数は平均より上だったが、後で思えば文法の基礎知識はスカスカで、人間の骨で言ったら粗鬆症である。しかし国語能力が高かったため何となく意味を捉えることは出来、それで全てを乗り越えてしまった。幾度となく学び直しを試みるも、独学でもがいたため何度も迷走していた。「それでいて向こうからやってくる」というのは、たとえば街中を歩いていると、ナンパしてきたり道を訊ねたりしてくる人間の半分が英語で、なのだ。もう半分は変人だった。そのたびに「英語を使いこなせるようにしよう」「変人は皆消え去れ」と思うものの、ランダム発生のための英語学習ではモチベーションが維持されるはずもなく、やりかけの学習が地層を成していくだけだった。

 そこへ突如として現れたのが前述のキャラクターだった。元々は幾度目かの独学スタートの一環で、「英語のWikipediaを読み解く」という学習法を始めたのがきっかけだった。仮に作品名をAと置くと、その作品のWikipediaは充実どころか放映エピソードのあらすじまで項目が存在した。彼はそこに出現した。「彼の手たちが彼を止めるので」……どういうことだ。

 文字だけでは何のことかさっぱり分からず、断念してエピソードを観ることにした。当時まだ日本では未放映のため、当然映像も英語だ。「彼」、仮に「R」と置くと、「Rの手たちが彼を止める」のはすぐに分かった。両手が物言う蛇なのだ。巨大な水晶柱の頭に一つ目の生き物。紗矢は恋に落ちた。理由など知る由もない。恋とはそういうものだ。

 紗矢は狂ったようにその話を見返した。何とか聴き取ろうと必死だった。そのうち海外アニメーション事情に詳しい妹から「ファンがセリフの書き起こしをしているサイトがあるかも」と教えられた。探すと確かに見つかった。小躍りして書き移し、ガリガリと翻訳した。無料の翻訳ツールは頼りにならず、紗矢の基礎力も相変わらずだったが、ただただ萌えの力で翻訳した。一通り何とか意味を取り終えると、Rの出ている他のエピソードもチェックした。推しの声を知りたい、ただそれだけで寸暇を惜しんで翻訳し続けた。


 で、TOEICである。いわゆる「崩壊した英語を適当に使う」日本人の点数としてよくある400点台を迷走していた当時の紗矢が、相変わらずその点数ではあったものの、半年ぶりの受験で前回を上回ること30点、それもリスニングばかりが伸びていたのだ。どう考えてもRのおかげである。履歴書に書けずとも愛の証明にはなった。証明したところで世間からの評価が上がる訳ではないし、紗矢自身もどうでも良かった。そんなことよりRの言葉を、ひとつでも多く英語のままで理解したかった。


 なお、紗矢がこの時訳したおかげで、日本公開時にRの台詞が真逆の意味に訳されていることに気付き、番組に意見して修正されたのは、また別の話である。

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推し活でTOEICの点が上がった話 群青更紗 @gunjyo_sarasa

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