第12話 僕らは宣戦布告をした

【前回までの振り返り】


在原栞乃ありはらしの

 田所陽のことが好き。


田所陽たどころよう

 鉢倉深優姫のことが好き。


鉢倉深優姫はちくらみゆき

 源元惇平のことが好き。


源元惇平みなもとじゅんぺい

 在原栞乃のことが好き。




*****




 青天の霹靂であった。


 26歳の春。鉢倉深優姫は会社勤めのデザイナーとして働いていた。給料はそれほど高くはないものの、いわゆるホワイト企業というやつで、深優姫なりにやりがいを感じてもいた。

 そんなある日のことである。高校時代の友人(いうほど仲良くしていた覚えはないが)からメッセージが送られてきていた。


『田所って知ってる?』

 いや知ってるよ、と深優姫は思いながら返信する。すぐにメッセージが返ってきた。

『事故って今夜あたり峠らしい』

 青天の霹靂であった。


 すぐさまどこの病院か訊いた。相手は最初『知らん知らん、そこまで』と言っていたが、どうやら情報源である知人に確認してくれたらしく『大体この辺の病院だと思う』と教えてくれた。

 居ても立ってもいられなくなり、深優姫は半休を貰って電車に飛び乗った。




*****




 駆け足で病院のエントランスに入り、真っ直ぐ受付に向かう。


「あのっ」


 発した言葉が、見事に他の人と被った。思わず横を見ると、必死そうな顔をした男性と女性が一人ずついた。深優姫はもうすっかり慌ててしまって、「先いいですか!? すみません、友達が峠で」とわけのわからないことを口走ってしまう。

 向こうは向こうで完全にパニックになっているようで、「あっ、えっ」と言葉にならない声を発していた。

 あれ、と深優姫は思う。それから目をごしごしと擦った。


「栞乃ちん……?」

「みゆきち……??」


 絶句している深優姫と栞乃の後ろから、『まさか』という顔で男性が覗き込んできて、「あ……」と声を漏らす。

 惇平だった。


 深優姫は思わず「うわーっ!!」と叫び、つられたように栞乃も「わーっ!!」と大声を出す。惇平はまだ絶句したままだ。

 病院の人が「どうしました!? どうしました!?」と近づいてくる。

 そうだ、そんなことより今は田所陽である。


 三人は一斉に「ここに田所陽という人が入院していると聞いたんですが!」と伝えた。病院の人はぽかんとして、しかしすぐに何か機械を操作し始める。

「たどころ……よう、さんですか?」

「はい!!」

 生年月日を聞かれたのでちょっと困ったが、栞乃がすらすらと答えた。

「うーん……当院には入院していないようですが」

 三人で顔を見合わせる。しかしそれ以上どうすることもできないので、とりあえず病院を出ることにした。


「ひ、ひさしぶり……」

「ほんとにね……」

「なんだかんだ、卒業してから会ってないしね」


 気まずい沈黙が流れ、深優姫は咳払いする。「てか、二人とも田所に会いに来たんだよね?」と確認した。惇平は頷き、「なんか大変なことになってるって知り合いに聞いたから」と説明する。深優姫も同じようなものだと話した。どうやら栞乃も陽本人や家族に聞いたわけではなく、人づてに噂を聞いただけのようだった。

 それが今日この日、まったく同じタイミングだったのは不思議だったが、正直今はそれもどうだってよかった。


「二人とも、田所の連絡先知らんの?」

「……知らない」

「私も知らないかな。陽が上京してすぐ、陽の家ごとなくなっちゃったから。もう全然お隣さんとかじゃないし」


 うーん、と言いながら深優姫はできるだけ多くの知り合いに陽のことを訊いてみることにした。高校時代の友人には全員だ。

 何人かはすぐメッセージが返ってきたが、どうも陽がいまどうしているか、誰も知らないらしい。深優姫はもう一度「うーん」と唸る。


「こうなったら!」

「こうなったら?」

「SNSで探してみよ。あたしはこの世にある全SNSのアカウントを持っているといっても過言」

「過言なんじゃん」


 半休なのでこわいものはない。その場に腰を据えて、深優姫はあらゆるSNSで陽のことを探した。何か一つでも本名でアカウントを持っていることを祈っていた。


「……あった」

「あったの!?」

「最終投稿、30分前。生きてるぞアイツ!!!!」

「なんだぁ~~~~!!!!」


 惇平が小さな声で「よかった」と呟く。

 ふう、と一息ついた深優姫が「つかムカつきません? あいつ」と目を見開いた。

「あたし、半休取ってんですけど。処す?」と言えば、真剣な顔をした惇平が「処す」と同意する。

「呼び出そうぜマジで」と言いながら、SNSアカウントでDMを送ろうとした。


「ちょ、ちょっ、待って。まだ心の準備が……じゃなくて」と栞乃がそれを止める。

「誰にも連絡先教えてないってことは、でしょ? こっちから連絡とっても迷惑かも」

 深優姫は言葉に詰まった。実際、田所陽という男が全てを置いてどこか遠くへ行きたがっていたのを深優姫は知っていた。恐らく、誰よりも知っていた。


 膠着状態の深優姫と栞乃を見かねて、惇平が深優姫の手からスマホを奪う。止める暇もなく、『源元です。Syunranという店に今すぐ来てください。以下住所です』と送ってしまっていた。

 それから惇平は深優姫と栞乃を見て、「行こうか」と瞬きをしてみせる。

「そこ、俺の店なんだ」とこともなげに言った。




*****




 夜になってようやく表れた陽は、スーツのジャケットを小脇に抱えながら「よっすー」と左手を上げていた。

 それがあまりにも記憶の中の田所陽と同じだったため、深優姫たちはすっかり学生時代に戻ったような錯覚を覚えた。昨日も学校で会ったような気さえした。


 ハッとした深優姫は思わず立ち上がり、「“よっすー”じゃねえわ!!!!」と叫ぶ。気圧された陽が「ええ……」と顔をしかめた。

「なんで開幕そんなキレてんの? 遅くなったから? いきなり来いって言われて頑張った方だよ、これ」

「違わい!!!!」

 ちげえのかよ、と言いながら陽は堂々と椅子に腰かける。飲み物を持ってきた惇平に軽やかに挨拶しながら「ここ、お前の店なんだって? ググってびっくりしたわ」とくすくす笑った。


「あれから何年? 8年は経ったか。お前ら、変わんないね」

「田所ほどじゃないよ」

「そっかな。太ったけどね、オレ」


 陽はネクタイを緩めて、「で?」と首を傾げる。「“で?”じゃないし」と深優姫は眉を八の字にした。

「いいってそういうの。早く本題に入れよ」

「なんでそっちが『聞いてやる』っていうスタンスなのかわからんのだが」

 瞬きをした陽が、空咳をして「いやほんと……覚悟できてるから」と真面目な顔をする。若干違和感があったが、栞乃の方から「まあ私たちが勘違いしただけなので陽を責めるつもりはないんですけど」と話し出した。「いやあたしは責める気満々だけど」と深優姫が茶々を入れる。

「陽が事故にあって危篤だって噂を信じて病院に行ったら、別に入院してなかったっていう……そういう話なんだけど……」

「へえ……」

「すごい心配したんだよ」

「さすが田舎の情報網だな。尾ひれつきすぎだし、それ1年も前の話だし」

 そうなの? と尋ねれば、「そうだよ」と返答がある。「ダメだよ、そんなの信じちゃ」と陽は柔らかく微笑んだ。


 それからふっと息を吐いて「で?」とまた陽は言った。

「まさかそんなことでオレのこと呼んだの? “今すぐ来い”って」

 そう言われてしまうと返す言葉がない。深優姫たちは顔を見合わせて気まずそうにした。

 慌てた様子の陽が「そうじゃなくて! 『そんなくだらないことで呼ぶなよ』って意味では断じてなくて!」と弁解する。

「なんか……あるわけだろ? 報告がさ」

 今度は言っていることがわからなくて顔を見合わせた。それから曖昧な笑顔を浮かべ、三人で肩をすくめる。


 呆れた顔の陽が、深優姫と惇平を指さして「結婚したんじゃないの? お前ら」と指摘した。深優姫が「えっっ」と大きな声を出してしまう。

「し、しないよ! じゅんぺーくんと再会したのもついさっきのことだかんね!」

「しねえの!? なんだよ!!」

 一気に力が抜けたようで、陽は背もたれに身を預けた。「どうしてそんな勘違いを?」と尋ねれば、陽は身を乗り出して「そりゃあ、お前」とちょっと怒る。

「鉢倉のアカウントで『源元です』って送られてきたらだと思うだろ!」

「あ、ああ~……」

「めっちゃ覚悟してきたのに、オレ。とにかく祝ってやろうって」

「それはなんか……ごめん……」

 先ほどとは打って変わってへらへらした深優姫が、「まーとにかく田所が生きててよかった」と言った。


 ふと、ずっと黙っていた惇平が「俺、田所が死んでも葬式出ないから」と言い放つ。

「その話は終わったろ」

「終わってない。とにかく俺は田所の葬式で泣いたらなんか負けた気になるし、田所の葬式には出ないから」

「葬式に勝ちとか負けとかないから普通に来いよな」

「田所が死んだら……なんかこう……困るし」

 今一番困ってるのはオレだけどな、と陽はさらっとそう流した。


 真面目な顔の深優姫が、「葬式に行くとか行かないとかは別としてさ、あたしもなんか今回色々考えたよ」と口を開く。

「卒業してさ、1年経っても、何となく連絡とりづらくてさ、でもずっとみんなに会いたかった。1日も欠かさずみんなに会いたい気持ちがあった。なのに、久々に連絡きたと思ったら誰かの葬式の連絡でしたってなったらあんまりじゃない? そんなの立ち直れないよ」

「そこまで深刻な話になってたの? やっぱ田舎ってこえーな……そのうち死んだことにされんのかな……」

「田所はそうやって茶化すけど、本気で言ってんだよ」

 陽は一瞬黙って、「心配かけてごめん」と謝った。


 おずおずと、栞乃が自分のスマホを目の前に出す。

「連絡先……交換しようよ、改めて」


 お互いの顔色を伺うような沈黙。やがてそれぞれが自分の端末を取り出し始めた。

「また戦争になるんじゃねえか?」

「いいじゃん、それでも。あの頃楽しかったんだから」

「あのころとは違うよ、俺たちはもう大人だから」

「大人だから?」

「停戦する必要がない」

 全員、顔を上げて惇平のことを見る。惇平はただ涼しい顔で真っ直ぐ栞乃を見ていた。「宣戦布告ですか?」と陽がからかう。

「つまりこっからは大人の時間……ってコト?」

「本気の時間ってこと」

「傷つくだけかもよ」

「傷つくだけじゃないよ、傷つけもする」

 それでも、と惇平は言った。それでも、と深優姫が微笑む。

 それでも、と栞乃は目をつむった。それでも、と陽が頬杖をつく。


「それでも好きだ。諦められない。たぶん、一生をかけて好きだ」


 沈黙。恐らくは、全員の同意の沈黙だった。

 この8年、連絡さえ一切取らなかった。それでも忘れられなかった。だから、答えなんてもう出ているようなものだ。諦められないから手を伸ばして求め、諦められないから一生得られないと知っている。自分が相手に恋焦がれているのと同じくらいに、相手も他の誰かに恋焦がれている。それだけが証明された8年だったのだ。


 苦笑しながら、陽が飲み物に口をつける。それから本当に驚いたように、「美味いなこれ」と呟いた。すっかり忘れていたようで、各々グラスを傾けた。

 さくらティーソーダ、と惇平が言う。

「美味しいね。桜餅っぽい香りと塩気がありつつ、ソーダだから飲みやすい」

「花びらが浮かんでて可愛いね」

「俺は消費者をナメてないからね」

 ぽかんとする栞乃と深優姫を尻目に、陽が「懐かしいな」と笑った。深優姫も「ああ! あったね、そんな話」とどこか感動したように目を丸くする。栞乃だけが思い出せないようで、「何の話?」と言っていた。


「義兄弟の盃だっけ」

「あれほんと意味わかんなくてよかった。今回もやろう」

「でも“兄弟だから恋愛しない”んじゃなかったっけ?」

「むしろ義兄弟は恋愛するもんだろ」

「“するもんだろ”っていうのも偏見だと思うけど」


 グラスを持ち上げた陽が、「じゃあ……まあ、ここは無難に」と笑う。

「オレのおかげでまた集まれたってことで、再会を祝して乾杯にするか」

「調子乗んな田所!!」

「調子に乗るな田所!!」

「ちょ、調子乗るな! たどころ!!」

「ぜってーその乾杯の音頭これからもやるじゃん。やめろよ」

 栞乃は顔を赤くして「初めて田所って呼んじゃった」なんて言っている。惇平が「俺のことも源元って呼び捨てにしていいよ。できれば惇平の方がいいけど」と距離を詰める。


 ふっと沈黙が辺りを包む。深優姫は惇平を見る。惇平は栞乃のことを見ていた。そして栞乃は――――。

 恐らく、その瞬間全員がに気付いたのだろう。ハッとして、目を丸くし、そして。

 思い切り、笑い合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いつのまにか僕らは春だった hibana @hibana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ