第11話 そして冷戦へ
【前回までの振り返り】
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デートはどこでもいいが、とにかく好きな人が隣にいたら嬉しい。
田所陽のことが好き。
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理想のデートは、綺麗なもんでも見ながらゆっくりゆっくり二人で歩くこと。
鉢倉深優姫のことが好き。
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デートはテーマパークや観光地に行きたい派だが、同じものを見て同じように感動できるのが大切だと思う。
源元惇平のことが好き。
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デートプランは相手に合わせるし、とにかく好きな人が満足ならいい。
在原栞乃のことが好き。
*****
体育館のモップ掛けをしながら、深優姫が「うちら以外帰ったって何?? みんな薄情すぎん??」と嘆く。それから端の方に腰かけ、「てか、うちらももう帰っちゃわない??」と訴えた。
「もーちょいだって」と陽が言う。「私、飲み物買ってくるよ」と栞乃は苦笑した。
不意に惇平が、バスケットボールを陽に投げる。しばらくぽかんとしていた陽だったが、ちょっと笑って「何賭ける? 惇平」と尋ねた。惇平は上着を脱ぎながら口を開く。
「俺が勝ったら、バスケ部入りなよ――――田所」
目を丸くした陽が「惇平……」と呟いた。
「なんで??」
惇平が動く。陽は「なんで? なんでオレ、3年になっていきなりバスケ部に入んないといけないの? 何の因縁もないよ、バスケと」と困惑しながらもドリブルを始めた。
陽の投げたボールがゴールに弾かれる。弾むボールを掴んだ惇平が「田所は?」と訊いた。
「田所は、何賭けるの」
「あー、どうしよっかな」
惇平の前に出た陽が、惇平からボールを奪う。「じゃあさ」と口角を上げた。
「お前のこと、オレの友達だって紹介していい? これから」
上履きの擦れる音と、ボールが弾む音。
しばらく考えたらしい惇平が、「嫌だけど」と答える。陽は今度こそ驚愕の顔をして「“嫌だけど”ってことあるんだ、この流れで。びっくりした」と言いながらまたシュートの体勢に入る。
それを惇平が強引に止めて、ボールはかなりの勢いであらぬ方へ吹っ飛んで行った。
向かってくるボールを思わず「きゃっ」と言いながら避けた深優姫は、恐る恐るそれが飛んでいく方を見る。涼しい顔をした栞乃がボールを受け止めて、そのまま流れるようにシュートをする。綺麗にゴールの中をすり抜けた。
「遊んでないで帰るよ。今日はスタバの新作が出る日なんだから」と、栞乃は言う。
陽と惇平は顔を見合わせて、「はい、今すぐ」「すんませんでした」と頭を掻いた。
「栞乃ちん、バスケ上手いね。経験者?」
「初めてゴールに入ったよ」
「えー、強すぎ」
終わりを告げたはずの春が時々顔を出す、夏はまだちょっとだけ遠い季節だった。
「もうあと1年だねー」
「高校生活の3分の2が終わったぐらいでうろたえるな」
「うろたえてるやつの台詞じゃん」
「オレは人生でうろたえたことなんて一度もないから」
「この前ジュース買おうとして十円足りなかっただけで信じられないぐらいうろたえてたのに?」
「言うなよ、そういうこと」
もう1年だー! と深優姫は叫ぶ。不安になると騒ぐ。高校生なんてそんなものだ。
すると栞乃がいきなり、「田所陽のことが好きだー!」と叫んだ。驚いて固まる陽と深優姫を尻目に、惇平まで「栞乃さんのことが好きだー!」と叫ぶ。なんでだかゲラゲラ笑ってしまって、深優姫も「じゅんぺーくんが好きだー!」と大声を出した。最後にヤケクソみたいな怒鳴り声で「はちくらー! 好きだー!」と陽も言った。
「こんなストレートに告られて、心動いたやつ一人もいねえのかよ」
「いないんやろなぁ……」
仕方なさそうに顔を見合わせて、4人で笑った。だって、仕方がなかったのだ。全員の想いが本物である限り、実ることのない果実だった。
*****
私たちの卒業式は、と栞乃は考える。
ひどくあっさりしていた。誰も泣いていなかったと思う。終わったあとですら誰も名残惜しさを見せず、『明日も学校でね』というような空気すら感じながら家に帰った。
思うに、“今日この日までは、今日この日だけは、誰も抜け駆けしないように”というような暗黙の了解があったような気がする。
その年の桜は早咲きで、卒業式の日にはすでに満開だった。栞乃はその日、わざわざ陽とは時間をずらして帰った。
一人で歩く、満開の桜並木の下。こんなにも大袈裟に咲き、こんなにも大袈裟に散る花が他にあるのだろうかと考えていた。この国の人々は、この花のために何でもする。儚い花というよりは、甘やかされてきた花のように思う。だから綺麗なのよね、と栞乃はそんな風に思っていた。
ふと、振り返った。風に吹かれて舞い上がるのは、今咲いている花ではなく一度地面に散った花弁たちだ。
嵐のようだった。向こうが見えない。春色の嵐に阻まれて、歩いてきた道が見えない。
全部全部、夢だったみたいだなと思う。
遠くに自分たちの姿が見えるような気がした。勝手に傷ついて、気づかないうちに誰かを傷つけて、些細なことに希望を持って、やっぱり諦めて、諦めきれなくて。それでも私たちは笑っていた。楽しくて仕方なかった。これからの人生で、この日々より楽しい生活が訪れるだろうか。
結局のところ、全員がこの街を出ることに決めていた。栞乃は県外の大学に行き、陽は東京で就職し、深優姫と惇平はそれぞれデザインと料理の専門学校に入学が決まっている。
遠ざかっていく自分たちの影は、春色の嵐のなかにとけ込んで消えた。最後まで楽しそうに笑って、彼らは綺麗なままだった。
ゆっくり前に向き直る。歩き出す。明後日には栞乃も、新幹線でこの街を出る。
私たちは一つ約束した。一年。一年は絶対に連絡を取り合わないことだ。
それぞれが新しい人生を歩むにあたって、私たちはそれぞれに掴むはずの幸せをお互いに壊してしまうことを危惧した。逆に言えば、『もしかしたら私たちは、お互いがいなければ案外あっさりと幸せを掴めるのではないか』という仮説を立てていた。
次に連絡をするときは誰かの結婚報告かもな。そう、苦笑しながら陽が言った。
大好きだった人たち。大好きだった時間。大嫌いだったふるさと。
私たちは、少なくとも私は、それらを天秤にかけてこの街を出ることに決めたのだ。
うっとおしいほどの花びらを手で振り払いながら、栞乃は今更泣いた。「卒業したくないよ」と泣いた。みんなもそうだったろうか。音のしない桜の雨がただ降り積もっていた。
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