拝啓、元恋人様へ。

城戸いるか

拝啓、元恋人様へ。

前略 以前お会いしてからすっかりご無沙汰しておりますが、お元気でいらっしゃいますでしょうか。私はおかげさまで心身ともに健やかに過ごしています。突然のお手紙大変驚かれたと思います。今回私がこうして筆を取らせていただいたのには理由がございます。 今朝6時頃、ゴミを捨てに外へ出るととても綺麗な朝日を見ました。5月とはいえ朝はまだ冷えます。寒さに身を震わせながらみた朝日は何年か前にあなたとみた朝日を思い出しました。そうして、いてもたってもいられずにこうして筆を取りあなたへ手紙を書いてしまいました。衝動的に筆を取ってしまったので書きたいことも特にはないのですが、ただ、朝日が綺麗だったことをあなたに聞いて欲しかったのです。もしかしたらあなたも同じ朝日を見たのかもしれせんね。隣に立っているのは私じゃないけど、あなたもあの時の朝日を思い出してくれていたら嬉しいです。草々


 なんてことないただの習慣。この手紙があの人に届くことはないし、今は亡き恋人に宛てた手紙だとかそんな重々しいものでもない。別れは喧嘩別れだったしあの人は今もどこかで生きている。側から見たら未練がましいこの行為だが別に未練があってこれをしているわけではなかった。ただ生活の中で心に残ったことを書くのにただ日記を書くだけだと味気ないなと思い、元恋人にむけての手紙にして書き留めているだけだ。...と、多分それは言い訳で心のどこかにあの人がまだ残っているからそんな馬鹿げた習慣が癖づいたんだと思う。 それでも未練があると認めたくはなかったし、あの人に対するこの感情を"未練"で片付けたくはなかった。完全に1から10までただただ拗らせている未練タラタラの独身女のエゴではあるが。それでも毎回本当の手紙のように切手を貼り、封をしている。人に知られたら引かれそうなことをしている自覚はあるのでこの習慣は誰にも言っていない自分だけの秘密の趣味のようなものだった。

 その恋人と付き合っていたのは中学生の頃で、卒業式間際に別れてから驚くことにもう5年の時間が過ぎていた。私もいい歳の大人なのでそれなりに出会いもあり、数人彼氏ができたりもした。しかしその5年の間毎月のように手紙を書いている。それどころか「今日は今付き合ってる人と○○に行ったんだ!」と元恋人に手紙で報告までした。付き合っている人がいると気分も楽しくなって余計に筆が進んだ。別れた恋人とはいえ元は仲良しの友達でなんでも話していたあの人に向けてだからかもしれない。きっとあの文具屋の店員さんは私に遠く離れた文通相手がいると思っているに違いない。初めて店に入って便箋の売り場を案内してもらったときに「電話とかメールがあるこの時代にお手紙っていいですよね」と笑顔で話しかけられ、他人から見たら狂気じみてるであろうこの習慣を教えたらどんな反応をされるのか見てみたいなと思った。このお店に来れなくなるのは嫌だったし店員さんの優しく笑った顔が"あの人"にみえたのでそれをするのはやめた。あの人と付き合っていた時、周りにはそれを隠していたので秘密の習慣はその時を思い出してなんだか楽しかった。

 当時は中学生だったので冷やかされるのが嫌で周りには恋人同士であることを黙っていた。大人はそういう話を聞くと「最近の子は何が楽しくてそんな子供のうちから付き合う付き合わないの話をするんだか」と呆れたりするが、私たち2人からしたらそれはもう輝かしい毎日だった。クラスが違かったのでお互いの教室にわざわざ用事を作って顔を見に行ったり、みんなにバレないように朝早く教室で2人で話して笑いあったり放課後すこし教室に残って話したり、思い出の連続だった。現に20歳になった今も昨日の事のように思い出せるのにその行為に意味がなかったとは言えない。きっと相手もそうであると願っている。

 実を言うところ付き合っているときすら手紙を渡したことがない。書いたことは会ったはずだが筆をとって紙を前にするとどうにも言葉が堅苦しく作ったようになってしまうから、書き上げたものを見ても渡す気になれなかった。それに自分好みのギラギラド派手なキャラものの便箋だったから本当に渡さなくてよかったと思う。今なんて渡さない前提で書いているにも関わらず相手の好みそうな便箋を小一時間かけて吟味しているという拗らせっぷりなのに。何度か手紙を渡そうと思ったこともある。狭い田舎の中学の同級生ともなれば交友関係やら行動範囲、もっと言えば実家の住所だって把握済みなので渡せないこともない。しかし所謂秘密の関係であった私たちに交友関係、恋人関係があったことは誰一人として知らないのだ。相手の所在など聞き出そうものなら質問攻めにあい、次の日には町中の噂になること間違いないだろう。それだけは嫌だった。いつかどうしても渡したいと思った時に行動に移そうと思った。その時あの人はこの書き留めた塊たちを受け入れてくれるのか不安だった。

 朝ごはんを食べて仕事に行って家に帰る、何かあった日には手紙を書いて切手を貼り引き出しにしまう。それを繰り返して数ヶ月。数年も凪のようだった毎日に、意外にも行動に移す機がやってきた。別れてからちょうど6年が過ぎた日だった。1年目も2年目も手紙を書いていたし別れてから2年だね。とか綴った記憶もある。なぜ6年目の今日渡したいと強く思ったのかは分からなかった。理由なんてたぶんなくて、朝の占いが1位だったとか仕事で褒められたとかそういう些細ないい事が今日は沢山あったから、君に聞いて欲しいなと思ったんだ。かと言っていきなり友達に連絡先を聞くとかはハードルが高かったのでとりあえず学生時代以来開くことがなかったSNSのアカウントをログインしてみる。数年使っていなかったどころかログインすらしていなかったので動くか不安だったが最近犬を飼いだしたと言っていた友達のアイコンがかわいらしい子犬になっていたので恐らく凍結などはしていなそうだ。新規投稿など溜まりに溜まりすぎてるであろう通知に一気に目を通す。別れてから作ったアカウントで、さすがに元恋人をフォローするメンタルはなかったのでフォロー欄に目当ての人を見つけることはできなかった。仕方が無いので同級生のフォロー欄を端から見て回る。うわ、この子結婚したんだ。子供できたんだ。同い年だよね?20歳だよね?そういうものなのかな...?え、この子は起業してる...?私は週5でせっせと働いてるのに週3ペースで夜景なんか載せちゃって...。この子はまだこのアニメ好きなんだ、5期決まったらしいね昔その話で盛り上がった時はまだ1期だったのにね。私はもう見なくなっちゃったな。お目当てのひとを見つけるまでに数時間も寄り道をしてしまった。たくさん知り合いを見つけたけどみんな見た目が大人になっただけでやっぱりどこかしらに懐かしさを感じさせた。探し物をしてたら偶然見つかった卒業アルバムに見入っちゃう、みたいな感覚。そしていよいよ見つけたアカウント『こーた』。こうた、でこーた。いつも名前は伸ばし棒。アイコンは小さい時から一緒の愛犬。非公開アカウントである証明の鍵マークは、ない。さっきまでスイスイ動いた親指が震えて動かなくなる。緊張。出会ってからの全ての時間を思い出す。こんなに緊張したのは初めてLINEを交換した日以来かもしれない。心臓が口から飛び出るとはいうけどそんなことはない。ただ全身が心臓になってしまったんじゃないかってくらい揺れていた。意を決してかわいい柴犬『コタ』のアイコンをタップした。

 嫌な予感はしていた。色んな人のアカウント

を見て回ったのだからこうたらしき人が投稿にいることもあった。思ったよりみんな早くに結婚していて「まさかこうたも...?」と勘繰った。別に元恋人が結婚してようが私には関係の無いことだけど。中学の頃こうたと特別仲が良かった子のアカウントに「寂しくなるけどお互い頑張ろう!」と投稿された、駅のホーム遠くのほうで赤ちゃんを抱きキャリーケースを引いて手を振るこうたに似た人物。遠くなので誰かまでは明確に特定はできなかった。が、こうたのアカウントを見た今考えればあれはこうたで間違いなかったんだろう。SNSなどの投稿にかぎらずLINEなどのアイコンすら頓着がなかった元恋人のアカウントは幸せいっぱいな我が子の写真で溢れていた。数時間前の震えとは別の震えが指に走った。私は20歳にもなりながら元恋人のSNSを半泣きでスクロールする。どうやら籍を入れたのはごく最近のようだった。結婚式の投稿にはご丁寧に籍を入れた日付まで記されていた。私とこうたが中学3年生で別れたあの日のちょうど1ヶ月前だった。それは私とこうたが中学2年のときに付き合って1年記念日の日付。 そうだ、1年1ヶ月の記念日をこうたが忘れていて、私は怒ったんだ。それで喧嘩したまま卒業式を迎えて...。この6年間楽しかった思い出を思い出して手紙をつづっていた。別れた時やそれ以外の喧嘩の記憶、マイナスな思い出は全部頭からすっぽり抜けていたみたいだ。信じたくなくて何度スクロールをしてもこうたのSNSは幸せそうな夫婦、親子、家族の写真しかなかった。受け入れてしまえば早いものでさっき書き終えた手紙はゴミ箱に捨てた。もう何時間も前に沸いていたお風呂に向かった。お風呂の時間はプライベートなのでお風呂の外まで泣き声が聞こえたとしても私はそれに言及するつもりはない。気になるかもしれないがうら若きレディのプライベートは高くつくので深追いしないことをおすすめする。さっさとお風呂から上がり、私はまた新しい便箋と筆を出した。



拝啓、元恋人様へ


前略 以前お会いしてからすっかりご無沙汰しておりますが、お元気でいらっしゃいますでしょうか。私はおかげさまで心身ともに健やかに過ごしています。突然のお手紙大変驚かれたと思います。 本日は貴方の結婚をお祝いしたいと思い筆を取らせて頂きました。貴方との思い出は私の中では忘れることができないとても綺麗なものになっています。過去に捕われる、なんて言葉がよく使われますが私は思い出に囚われてしまったのかもしれません。なぜだか私はいつの日かまた貴方とあの頃のように笑い合えると心の底から信じきってしまっていたようです。きっともうそれは叶わないどころか貴方の心のどこかに私が在ることもないのでしょう。それでも今日貴方を探してよかった。私と一緒にいては見られない幸せそうな貴方の姿を見ることが出来ました。私と一緒にいては見られない可愛らしいお子さんのお顔を見ることが出来ました。「性別にあってない!」と、自分の名前を嫌っていたあなたと「もし子供ができて女の子だったら女の子らしい名前、男の子だったら男らしい名前をつけたい」と2人で黒板に名前の候補を書き殴った放課後を覚えていますか?あなたは嫌いだと言っていましたが『琴に唄』で琴唄という名前が綺麗なあなたにぴったりな気がして私は大好きでした。あなたのような人に名付けてもらえるあなたの子が羨ましいです。

今あなたの隣にいるのが私じゃなくても、幸せそうなあなたを見れたことはやっぱり嬉しく思います。すぐにとはいきませんが私も後ろを見るのはやめて生きていこうと思います。

 最後になってしまうのですが、ご結婚本当におめでとうございます。あの頃と変わらない綺麗な黒髪と優しい笑顔が、真っ白なウエディングドレスによくお似合いでした。それではお元気で。



お風呂あがりでドライヤーを使わなかったから雫が落ちて字が滲んでしまったからこの手紙は出せないな。手紙を丁寧に畳んで便箋に入れる。切手を貼らずに引き出しの一番奥へとしまった。

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