或る御簾の女
深雪 圭
或る御簾の女
時は延暦の
これは煌々と流れゆく淀川の上流の
その
彩色溢れる
周囲には騎馬で先陣を切る
そうして羨望と畏怖の眼差しを向け、口々に「立派な
緩慢と
しかし、よく見てみると、
彼女こそは桓武天皇の第八皇女・
伊都は
弾力のある
彼女は
穴の開いた
だから、この国の富と栄華を
それが彼女の唯一の悩み事だった。
また、伊都は様々な才に長けており、それもまた娯楽にすぐ飽きてしまう要因だ。
雛遊び。詩歌。管弦楽器。小弓。鞠。碁。
何かを見聞きして、実際にやる
そうやって一時的に欲求が満たされても、すぐに枯渇してそれ以上の色彩を求めるのだ。
後に
だから伊都は享楽に心身を耽溺させればさせるほど、より不満げな横顔を見せ始めた。
それは、世という世の、無為な
乳児から幼児に成育して、彼女の唇は
幼児から女児に発育して、彼女の手は人形を離した。
つまり、
何か刺激的なものはないか。
魂を鷲掴みにして、揺さぶるようなもの。
琴線に触れるどころか、むしろ断ち切ってしまうほどの快楽。
性行為ですら満たされぬ法悦というものを、彼女は幼い心に夢見た。
そのような彼女だから、まるで竹取物語のかぐや姫の如く、無理難題を
事実、彼女の欲するものは、釈迦の使っていた御石の鉢や、
だから彼女のお眼鏡に
――そのような徒労の日々が半月も続いたある日、
その日も陽が高いうちに出掛けたはいいが、少し都を離れた竹林の辺りで突然雲行きが怪しくなり、「おや」と思った頃には時すでに遅し。
分厚い暗雲が世を覆って、大粒の雨と強靭な暴風を撒き散らした。
叩きつけるような雨に俯きながらも、牛車は
屋形は布で覆われ、
そう思うと従者たちは気が気ではない。
不敬を働けば、どう罰せられるか分かったものでないのだ。
だから運転手の
「急げ、急げ!」
突如、男たちの怒鳴り声が雨風を
それは
十人ほどの徒党を組んで、馬を
彼らは皆、
都の外れにある村落を襲っては、頼りない農作物を奪う輩の一派だった。
今回は計画を立てて、近頃
「盗賊だ!」
まず、最後尾の
従者たちはすぐに刀を抜いて振り返り、武装した男共に応戦する。
はじめに年若い童が首を斬られて、血を撒き散らした。
次に舎人が腹部を貫かれ、怯んだところで口元を両断される。
盗賊の方も指を落とし、耳をこぼして、紅色に染まってゆく。
しかし、背後からやってきたのは単なる囮に過ぎなかった。
そちらに気を引かれている間に、前方からも襲撃を受ける。
首尾よく牛が矢に射抜かれた。
痛ましい鳴き声が雨音に混じり、歩調が乱れ、隊列も崩れる。
その混乱に乗じて、護衛をしている周囲の人間が次々と斬り殺された。
伊都は騒動にいち早く気付くも、なんら有効な手立ては無い。
ただ雨音と怒鳴り声、泥に撥ねる音に耳を澄ませる以外には。
雨が流れ、血が溢れ、泥が
そうして一刻もしないうちに事が終わった。
静寂。
そうは言っても、未だ雨音と暴風は止まぬ。
それに上空では、暗雲の中で遠雷が
しかし、人の声は一切が消え失せたのだ。
人も牛も馬も一様に
――気が付けば、その男はたった一人で立っていたのである。
宮仕えの者たちは全員が地面に
そのような事実を、暴力的な雨に
「われは生き残ったのだ」
男は固唾を飲んで、意を決した。
自分だけ上手いこと死なずに済んだのであれば、これほどの
まさに漁夫の利とも言える状況だ。
やがて、男によって前方の
中に
「へえ、こいつはとんでもない美女だ」
男はそう言って、喉仏を上下させる。
伊都は貴族らしく髪の毛を後ろで
頭頂部に櫛を
対照的なのは、男の身なりだ。
上は裸で、薄汚れて糸がほつれた裾絞りの小袴を履いている。
草鞋も泥にまみれ、足首まで汚れていた。
「なれ、死ぬのが怖いなら大人しく服を脱ぐんだ」
伊都はこの騒動の渦中にいるというのに、衣服どこか化粧すら一切崩れておらず、男にはまるで屋形の中が
「おい、早くしろ。なれは今から犯されるのだ。わかっているだろう」
男は雨粒を全身に滴らせながら鼻の穴を広げて、刀の光をちらつかせた。
彼はすっかり興奮している。
血や死体を見るのは珍しくはないが、これほど位の高い人間は襲った
それも極上の美女だとくれば、男が
「そち、名は?」
毅然とした声音に、さしもの男もたじろいだ。
その物怖じせぬ気風と、堂々たる眼差しに射抜かれて、彼はすぐに理解する。
やはり、皇族の人間はそこらの者とは肝の据わり方が違うのだと。
それに女が身体を丸めているのは恐怖からではなく、雨風の寒さを
男は刀を濡れた手に握り直して、
「なれが強情であればあるほど、われも燃えるというものよ。それに名などどうでもいいだろう。さあ、服を脱げ」
多勢に無勢とはいかぬ現状に、焦燥感が
この大雨だ。
襲撃を知らずとも、朝廷の官人が安否を確認しに来るかもしれない。
「そちは臆病者だな」
「何だと?」
伊都はこの状況であるというのに、悠然と笑っていた。
図星をつかれた男の狼狽を楽しんでいるのだ。
男は確かに気の強い方ではない。
だからこそ、この騒乱の中でも後ろへ
「どうせ
「両方だ」
「なら早くしろ、時間はないぞ。
「なれ、おのれが怖くないのか」
「怖くなどない。むしろ、そちの方がよほど怯えてるように見えるぞ」
銀色の輝きに脅されてなお、やはり伊都は微笑を崩さない。
「ふん。これから犯されるくせに何を言う」
対する男は、自分でも情けないほどの空元気で胸を張るのが精一杯と言った様子。
「そうか、なら早くしてみせろ。
「どういう意味だ」
「いくら身体が犯されようとも、魂には
その言い草に、男はすっかり気圧されていた。
従者を殺され、逃げる術を失った少女が何故これほどまでに威風堂々たる面持ちでいられるのか。
彼女が言う通り、むしろ自分の方こそ怯えているのではないか。
そう思えば思うほど無茶苦茶にしてやりたい気持ちに駆られるが、どうも
「ほら、早く」
「愚かな女め。後悔するなよ」
そう言って男が片手を伸ばした時、伊都もまた前方に片脚を伸ばした。
そうして男の太腿を
「おい、何をする。抵抗はよせ」
「抵抗に見えるのか? 麿はただそちで遊んでいるだけだ」
「遊んでいる……?」
男が絶句したのは、伊都の光輝に
しかし、それ以上の
薄い布越しに
池を悠然と泳ぐ鯉のように、つま先が袴の上で円を描く。
そうしてついに、膨らみつつある陰部に至った。
雨に濡れているせいか、反り立つ陰部はその輪郭をはっきりと浮かべている。
固い靴底で踏まれる度に、それは反発するかのごとく弾き返した。
ここまでくると、男はされるがままだ。
声も出ない。
身じろぎもできない。
ただされるがままに、伊都の靴先に弄ばれていた。
「やけに大人しいな。さきほどまでの威勢はどこへいった?」
女は悪戯めいた声で言った。
その瞳は、半月のように細めいている。
今より一世紀以上も
むしろ欠けている方が、その愉悦が溢れると言わんばかりに。
「やめろ、やめろ」
男は口ではそう言うものの、膨張したそれをまるで靴裏に宛がうように、腰を前へ出していた。
最早、自分の意志ではない。
「どうした、もっと欲しいのか」
男は
女は
伊都にとって、これほどの
まさか自分の指先一つ、いや足先一つで男を懐柔できるなど、聡明な彼女にも思いもよらぬことだったから。
自分が求めていたものにようやく出会えた。
そう言った風に、女は幸福を噛み締めて口許を
彼女の中の妖魔が、ようやく目を醒ましたのだ。
いつの間にか、男の手からは刀が取りこぼれていた。
その土臭い両手は牛車の袖を握り、両脚は大きく開いている。
まるで身体を広げて、自らを伊都へ差し出すかのように。
これでは本末転倒もいいところである。
そう思いつつも、反抗らしい反抗はついぞできない。
男もまた、奥底に秘めていた快感を丸裸にされ、それを転がされる恍惚の感覚に襲われているのだ。
牛車の入り口で雨風に曝される男と、
その対比は、身分の差からくるものではない。
身分は人間が恣意的に作り出した制度に過ぎないから。
それよりもっと、本質的な魂の色。
加虐と被虐の退廃的な協演。
「汝は麿が欲しいのだろう、
その通り。
あくまで伊都は、冷静を保っている。
男はそれでも、
「なれ、服を脱げ。牛車は無理でも、なれは好きにしてから殺すことはできるぞ」
「そちにできるものなら」
「早く脱ぐんだ。犯されるのに布切れなど不要だ」
そう虚勢を張るが、
「麿は脱がぬ。そちが脱げ。草履もだ」
伊都はつま先で睾丸を軽く蹴り上げ、言葉通り一蹴した。
事実、これまで伊都は一切服装を崩していない。
大陸の影響を強く受けた朝服は、
肩には
「早くしろ。布切れが邪魔だ」
その間も、蹴鞠のように睾丸をつま先で刺激し続けた。
一定の感覚でやってくる苦痛交じりの快楽が、心臓を鳴らして血を巡らせる。
男はついに観念した。
袴を下ろし、そこらに放りやったのである。
それから泥と区別のつかない草履も脱ぎ棄て、全裸になった。
「聞き分けのいいやつだ」
そう言って伊都は履物のまま、男の怒張した陰茎を蹴飛ばした。
やはり、あくまで痛みを与えるものではなく軽く小突くようにだ。
陰部には泥が付着して、皺の一つ一つに入り込む。
そしてそれをさらに広げるように、優しく靴底で撫で回した。
刺激というものは程度により、快感にも痛苦にもなる。
それを伊都は、誰に教わるでもなく知っていた。
それから彼女が上体を寄せたかと思えば、御弾きのように指先で陰茎を弾く。
「これでよく麿を犯すだなんて言ってくれたものだ。情けない男よ」
「……われは余興に付き合っているだけだ。今すぐに、なれを殺してやろうか」
それを聞いた伊都は、何を言うでもなく履物を脱いだ。
そうして
これまで以上の愉楽に、男は思わず腰を引く。
「姿勢を保て。前に突き出せ」
音もなく溢れ出る透明色を足の指先で掬いあげると、それを絵筆のように陰部全体に広げていく。
もはや雨か体液か、区別はつかない。
時折、亀頭を突いたり、足先でつまんだりした。
その度に男は唇を結び、しかし呻くように声を漏らす。
「声を出せ」
伊都は、男の声が聴きたかった。
その音は、どんな楽器よりも勝る。
甘美な音色。
彼女にとって、それは己に隷属する男の呻き声だった。
男は荒い呼吸に、腹部は膨張と収縮を繰り返した。
それが面白くて、女は
「そち、この
腹部を指して、伊都が問う。
「文様ではない。傷跡だ」
「そうか」
女は脚を戻して、懐に忍ばせてあった小刀を取り出す。
流石の男も身構えた。
「命は取らぬ。屋形の中に入って寝転がれ」
男は怪訝な表情をするも、言われるがままに入った。
まさか自分が皇族の用いる牛車の中へ入るとは、夢にも思わなかった。
何をするのかと思えば、仰向けになった男の陰部に、彼女は当然と言わんばかりに両足を置く。
そうして傷跡をなぞるように、伊都は刃先でそれを薄く切った。
静かに血の滴が浮かび上がる。
「痛いか」
男は頷く。
「なら、これは?」
伊都は傷の付いていない真っ
「どうだ、痛いか。それとも快感が勝るか」
男はもう口がきけなかった。
まだ陽が山々の頂上にかかる頃、
内親王が行方不明だと慌てふためいて捜索していた官人たちは、ある欅の木々の横に止まっている牛車を見付ける。
「あったぞ、あれだ」
周囲には死体が二十余り。
牛や馬も、地べたに寝転がって口を開けている。
これまでか。
そう観念した官人の一人が、
朝陽の射し込んだそこには、男女がいる。
男は
息はあるのだろう、呼吸に合わせて腹部が上下している。
しかし全身に赤い直線が引かれており、血に
どれも深い傷ではない。
薄皮を
その横には、座り込んだまま微笑む伊都の姿があった。
美しく並んだ十本の足先は、白濁にまみれている。
「これは持ち帰る。麿の
そうして女は、木々の葉や花々が朝露を滴らせるように、
憂きながら人をばえしも忘れねば
かつ恨みつつなほぞ恋しき
或る御簾の女 深雪 圭 @keiichi0509
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