第12話 吸血鬼のご相談(後編)

 吸血鬼のアドリアさんは、先生の目を見て口を開こうとする。

 吸血鬼と言えば世界中でその名を知らぬものはいない怪異。日光が苦手などの弱点も知られるが総じて人間以上の生命力を持つと言われる存在だ。

 そんな吸血鬼がわざわざ人間……、最近人間かどうかが疑わしくなっているが、一応人間には違いない根木野先生に何の相談があるというのか。


「先に言っておきますが、刃生沙汰になるような事ならお引き取り願います。当事務所ではそう言ったご相談は受け付けておりませんので」

「いや、そうでない。そうではないのだ」


 アドリアさんは首を横に振る。


「これは吸血鬼にとって死活問題なのだ……」


 俯きながら絞り出すように声を漏らすアドリアさん。

 先生も真剣な表情で耳を傾けている。


「実は……血液が……、飲むための血液が確保できんのだ……」

「「へっ……!?」」


 俺と美桜みおちゃんが同時に素っ頓狂な声を上げた。


「昔は良かった……。人間達は皆、我輩達を恐れ、死ぬことが無いように少しばかり血を拝借しても、そこまでの問題にはならなかったのだ……。まあ、偶にヴァンパイアハンターとか騎士団とかが討伐に乗りだした事もあるが……。そこはうまいことやり過ごしてな。ほら、我輩って寿命も長いからほとぼりが冷めるまで他の土地に三十年とか四十年くらいいれば良かったし?」


 どことなーく軽い口調で思い出話をしているアドリアさんだった。


 吸血鬼って……こんなにフランクなのかあ……。


「だが現代になってからはどうだ! 血を吸おうと声を掛ければ……。悲鳴だけなら良い、そんなものは昔からだ! 防犯用のブザーとやらが周囲に響き渡りすぐに他の者が駆けつける始末! あまつさえ護身用の催涙スプレーやスタンガンを所持している場合もある!」


 段々とヒートアップしていくアドリアさんだったが、俺の中の吸血鬼像がガラガラと音を立てて崩れてしまっている。


「仕方ないので新天地を求めてアメリカまで行ったら銃で撃たれる! 頭蓋を貫通したのだぞ!」

「えぇ……それ、マジですかぁ……。でも……吸血鬼ですし……生きてるから良かったじゃないですか……」

「……吸血鬼だって痛いのは嫌だ! 小僧、我輩だって柱の角に足の小指が激突すれば悶絶する。死なない事と痛い事は全くの別物だ!」

「そ……、そうっすか……」


 話を聞くと可哀そうに思えてくる。


「それで……だ。人から血を吸えないなら、血がある場所から頂戴しようと病院に忍び込んだが、そこでも通報される。我輩はどうすれば良い?」


 先生はこれまで一言も喋ることなく真剣にアドリアさんの言葉に耳を傾けている。


「あの……先生……? こうなったら人間の血を吸うのは諦めてもらうしかないのでは? 例えば動物の血を吸う……とか?」

「それも一つの手ではあるが……、そんな事をすると他に疑いの目が行きかねない。もう少し平和的な方法を考えようか」

「それってどういう……?」


 動物の血を吸う事で不都合が生じるという事だろうか? まあ飼い犬や飼い猫なら分からなくはないが……。


「動物の血を吸う事でチュパカブラの仕業や宇宙人のキャトルミューティレーションと勘違いされても困るだろう?」

「言ってる意味が分かりません……」


 俺は素直な疑問を投げかける。美桜ちゃんに至っては、呆れたように長くなりそうだから寝ると言って部屋に行ってしまった。


「いやいや彼が動物の血を吸う事で、罪もないチュパカブラや宇宙人に迷惑をかけてはいけないからね。さてどうするか……」


 先生は顎に手を当て目を瞑り考える事、数秒。ゆっくりと口を開いた。


「ふむ……。人間のものを用意するのはまず無理だが……、こんなのはどうだろう?」


 そう言って先生が冷蔵庫から取り出したのはコップに入った真っ白な液体だった。


「これを飲んでみてくれないか?」


 アドリアさんは恐る恐るその液体を口にする。すると目を見開き、驚いたような表情を見せた。


「これは……、どことなく懐かしい……、しかし高原を思わせる風味! 滑らかな飲みごたえで血とは違うが確かに飲みやすく我輩の喉を潤してくれる! そして何より……、何故か……母に抱かれている様な……、そんな感覚に陥るこの飲物は一体!?」

「アドリアさんは人間の食事をあまりした事がないようだね。そうしていたら、これの事も自分で思いついていたかもしれない」


 先生……この人に何飲ませたの? 怪しい薬とかじゃないよね?


「根木野殿! これは何なのだ!?」

「これはただの牛乳だが?」


 おい、どうツッコンだら良いんだ……、これ?


「牛の乳だと……! しかし何故こんなにも美味しく感じるのだ……!」


 俺の心の中とは対照的にアドリアさんは感動に打ち震えている様子だ。


「知っているかい? 母乳というのは血液から作られるのだよ。まあ、その際、赤血球は排除されるので白くなるらしいが」


 へえ、そうだったのか……。


「どうです? アドリアさん、牛乳なら郷里くにでも簡単に手に入るでしょう? 人間の血を吸うのが難しいなら、これで代用するのも手では」

「う……、うむ。根木野殿……、この際、牛の乳を飲むことでの妥協でも構わない。……が、一つ確認したい事があるのだ」

「なんでしょうか?」


 アドリアさんの表情が真剣なものへと変わる。


「つまるところ……乳を飲めば血を吸うのと変わらない……という事であれば……、処女の母乳ならば処女の生き血を吸っているのと変わらないという事か!?」

「そんなのできるのは歴史上で聖母マリアだけだろうが! この変態吸血鬼!!」


 俺は思わず全力でツッコミを入れてしまった。ほんと、この場に美桜ちゃんがいなくて良かった。


「まあまあ須永君、ちょっと落ち着いて。彼にも悪気があったわけじゃないから……ね?」


 シュンとしているアドリアさんだったが、先生はさらに提案を続ける。


「あとは……、血液を材料としている腸詰もあると聞きます。他にも調べれば色々とあるかもしれませんよ?」

「なるほど! 帰ったら確認するとしよう」


 アドリアさんは嬉しそうに言うと、先生に向かって頭を下げ握手を求めて来た。


「感謝するぞ、根木野殿。最近の人間は物騒でおっかないからどうしようかと悩んでいたが、貴殿に相談して良かった」


 その物騒な人間は多分うちの先生も該当しますよ? パイルバンカーとか持ってるし。


「では我輩は帰るとしよう。もしルーマニアに来た際は我輩の元を訪れるといい」


 吸血鬼のアドリアさんは満足した表情で帰って行った。

 その後、ルーマニアで世界中の牛乳を個人輸入して飲み比べをしている人物がいるとの噂があったが……きっとアドリアさんの事だろう。

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