第5話 トイレの花子さん(後編)
美桜ちゃんの見ている方向からパアンといった音が何度か聞こえてきた。
「せ、先生? これってラップ音じゃないですか?」
ラップ音とは、幽霊などが発しているとされる音である。
「ふむ……、だが返事ではなくラップ音で答えるという事は……」
先生は腕を組み、考え事をしている。数十秒後、口を開いて結論を述べようとしている。
「花子さんは……シャイなのか……。または花子さんでない別の霊がこの場に現れたかもしれない」
「お父さん? 多分おかしな事ばかりしてるから……花子さんが威嚇してるかも……」
美桜ちゃんの意見では、どうやら先生の行動が原因らしい。
「いやいや、言いたい事があるのなら呼びかけた時に返事をすべきだろう。勝手に不機嫌になられても私だって困る」
先生が冷静に美桜ちゃんへと意見を返しているが、はっきり言って先程までの先生の行動は花子さんをおちょくっている様にしか見えない。
「仕方ない。では都市伝説にある正式な方法に則って、花子さんへと呼びかけるとするか」
先生はため息をつきながら、拳を握りノックを三回する。
「花子さん、いらっしゃいますか?」
ようやくまともな呼びかけをしてくれた事に安堵する。そしてトイレの中から、か細い少女の声が聞こえて来ていた。
「……はい」
それは明らかに美桜ちゃんではない声だ。俺は背筋が凍った。
「お! やはりいるじゃないか」
しかし、そんな状況でも先生は全く動じる様子はない。むしろ嬉しそうだ。
「じゃあ早速……開ける?」
美桜ちゃんがトイレの扉に手をかけると――
「待った。ここからドアを開けると、おかっぱ頭の女の子にトイレへ引きずり込まれるらしい。流石に実の娘にやらせるわけにはいかない」
あ。先生がまともなこと喋ってる。
「でも、どうするんですか? ドアを開けなきゃ花子さんの存在を確認できません」
「なあに、やり方はいくらでもある。ちょっと倉庫にでも行ってみるか」
学校の倉庫に何の用が? と疑問を持ちつつも、とりあえずついて行くことにした。
「よし、これで準備完了だ」
先生はそう言うと、トイレの扉の前に梯子を設置していた。
「……先生? 一応、お伺いしますが……、梯子を上って扉を開けずにトイレの中に侵入する気ですか?」
「うむ!」
先生は自信満々に頷いているが、俺と美桜ちゃんはドン引きしてしまっていた。
夜中で生徒はいないとはいえ、女子トイレの中に梯子を使って入るとか正気の沙汰とは思えない。
「これにはちゃんとした理由がある。先程まで花子さんは正式な方法で呼びかけるまで返事がなかった。つまり……」
「つまり?」
「このままドアを開ければ都市伝説の噂通りトイレへ引きずり込まれるが、ドアを開けさえしなければ引きずり込まれることは無いという事だ!」
な、何という暴論!?
「流石に隣のトイレから仕切りを壊して入ると、後で学校側から苦情が来そうだしねえ。はっはっはっ」
……もう何も言うまい。この先生なら花子さんがトイレに引きずり込もうとしたって、自力で脱出しそうだしな。
「では行こうか! いざ花子さんの元へ!」
先生が梯子を勢いよく駆け上がり、そのままトイレ内へ着地した途端――
「きゃあああああああああああ!? この変態!? 女子トイレにおじさんが来るって何で!? しかもドアも開けずに!?」
それはもう悲痛な叫びだった。もう聞いているこちらが申し訳ないと思うくらいの絶叫である。
「先生! ドア開けますよ!」
「待ちなさい。もしドアを開けてしまってトイレに引きずり込まれたらどうする!」
「だとしてもですよ! このままじゃ花子さんが可哀そ……、先生に何かあったらマズいですって!」
思わず本音が漏れそうになったが、先生をトイレ内で一人にしておくのは色んな意味で危険だ。
「分かった。分かった。ちょっと待ちなさい」
「えっ!? ええっ!? ちょ……、おじさん何やって!?」
花子さんの戸惑った声と共に、少しだけドアが開いたと思ったら何かしらの作業をしている様だった。
数分後、ドアを止めているネジが外されてゆっくりと開いていく。
「よし。ドアを開けるのでなく、ドアを固定しているネジを外して撤去してしまえば『開ける』という行為には該当しないだろう」
先生、それは『破壊』という行為になると思います。
俺の心の中のツッコみとは裏腹に先生には危険が及んでいないので、セーフという事らしい。
トイレの中には確かにおかっぱ頭で美桜ちゃんより少しだけ年下と思われる女の子がいた。しかしその表情はもう泣くのを我慢しているのが一目で分かるくらいに涙目になっている。
「うわああああああん!? 怖かったよーーーーーー!!」
花子さんは俺を見るなり抱き着いて来て大声で泣いている。
ごめんなさい! 本当にごめんなさい! うちの先生がおかしな事してごめんなさい!!
心の中で全力の謝罪をしながら、花子さんが落ち着くのを待つしかなかった。
数分後、花子さんが落ち着いてから先生の質問タイムが始まる。
「では本名を伺ってもよろしいですか?」
花子さん、先生を見て怯えている。無言で震えたままだ。
「もしかしてトイレの花子さんならぬ、
先生が紙に字を書きながら質問すると花子さんは首を横に振った。
「では
何気に失礼な質問じゃないだろうか?
先生の問いに対してまた首を横に振る。
「この際、本名は後回しで良いか……。最初にあれだけ呼びかけて返事が無かったのは何でかな? あれだけ無視されたら結構傷つくのだが……」
先生は苦笑いしながら花子さんに問いかけた。
「花子さんは全国各地にいる。花子さんをするためには『花子さん実施マニュアル』に沿って行動しなければ花子さんとは認められない。だから、ちゃんとした方法での呼びかけでないと返事をしてはいけないことになっている」
そんなのあるんかい!?
「ふむ……、では花子さんに指導をしている大本の花子さんがいるという事だね?」
「そう。花子さんは全国に沢山いるけど、その大本はクィーン花子さんと呼ばれている」
「ほう。どんな方なのかな?」
「それは言えない。口止めされているから駄目」
花子さん達の女王。『クィーン花子さん』……か。何となく強そうな響きだ。
「では次の質問だ。なぜトイレの花子さんをしているのかな? やはり生徒をトイレに引きずり込んで仲間を増やすためかね?」
先生の質問に花子さんは一瞬だけ困った顔をした。
「違う。花子さんの目的は夜の学校に忍び込む悪い子を脅かして反省させることと……」
「あとは?」
美桜ちゃんが首を傾げながら訊ねる。
「学校に変な幽霊とか妖怪が来ないようにすること。それは『花子さん』だけじゃなくて、『学校の七不思議』と呼ばれる存在全員の役目だけど」
「それって……学校は自分達の縄張りって事?」
俺の質問に花子さんがコクリと肯いた。
「うん。わたし達は人を脅かすけど害したりはしない。けど、危険な存在が来たら全力で排除する。わたしだけじゃなくて二宮金次郎像や人体模型も急行するし、モナ・リザの絵の目が動くのは監視カメラ替わり。家庭科室の包丁も飛び回って弾幕を張って戦う」
「ほう。これは興味深い。霊的なモノにもある種の理があるという事だね」
先生は興味深そうにメモを取っていた。
「だから……そこのおじさんも危険人物かと最初は警戒した」
それについては本当にすいません……。
「いやあ、花子さんは冗談がうまいなあ」
先生のみ笑っていたが、俺と美桜ちゃんは花子さんから目を逸らしてしまう。
「わたしに用がある場合は、ちゃんとした方法で呼びかければいいから、次からはちゃんとしてね?」
「うむ。では次回からはそうしよう」
「できればおじさんじゃなくて、そっちのお兄さんや子供の方がいい。あと、ちゃんとドアは直していって」
花子さんは先生から目を逸らしている。先程のトイレ侵入がかなりのトラウマになってしまったらしい。
都市伝説の人物に恐怖を植え付けるうちの根木野先生は超常の存在よりヤバいのではかろうかと思いつつトイレのドアを直した後で学校を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます