第2話 雪女の悩み事(前編)
とある裏路地にある一見寂れた居酒屋。
超常現象研究家を名乗る我が雇い主、根木野先生と俺こと須永明は、その居酒屋の女将さんからの依頼でこの場所を訪れていた。
外見とは異なり、木造の温かさを前面に押し出した店内は、隠れた名店といった雰囲気を漂わせている。その居酒屋のカウンターに俺と先生は並んで席についていた。
「さあさ、根木野さん、こちらもどうぞ」
先生と俺の目の前には、刺身らしき料理が所狭しと並んでいる。先生がその料理を口に運ぶと少しばかり硬い物を噛んだ様なシャリシャリといった音が耳に届いた。
「うん、美味しいですね。このお酒も最高です」
そう言ってお猪口に入った酒を一口飲む先生に俺は思わず溜息を吐く。
「……先生、一応依頼を受けた身なんですから、もうちょっとこう……真面目にしませんか?」
「まあまあ。ここのルイベは最高ですよ。何せ自家製ですからね。鮭だけでなく、鱈やホタテでも作っていますよ」
『ルイベ』とは北海道の郷土料理であり、寒い時期に獲れた鮭やシシャモを雪の下に埋める、または軒下に吊るして冷凍保存したものらしい。そうする事で保存も効くが、寄生虫も死滅するためこうして加熱せずとも食べる事が出来るのだという。
現代では冷凍庫が普及しているので、雪に埋めたりはしないだろうが――
「自家製って言っても、冷凍庫に入れるだけですよね? だったら俺でも出来ます」
「いやいや、ここのルイベは女将さんの特製です。ね?」
女将さんと呼ばれた女性は、俺たちの前に小鉢を置くと静かに微笑む。
「はい。うちでは昔からずっとこの作り方をしているんですよ」
そう言って柵に切り分けられた鮭に、ふぅっと静かに息を掛ける女将さんだった。すると目の前で鮭の身が凍り付いている。
「……先生? これは何かのトリックですか?」
「何を言っているんだい? ここの女将さんは雪女さんだぞ? 息を吹きかけて魚を冷凍するのは朝飯前だ」
ちょっと待ってくれ!? 確かにこないだ『口裂け女』もいた。だからって、この先生は当たり前の様に雪女が経営する居酒屋を知っている!?
「超常現象研究家たるもの、妖怪と友人になれずになんとする!」
「意味が分かりません」
というか……、この光景を撮影して動画投稿サイトにでもアップすれば凄い事になるのでは?
「なら、やってみるかね?」
「先生、心が読めるんですか?」
「君の表情を見ていたら、何となくだね」
そうして先生は女将さんが料理するシーンを最初から最後まで撮影した後、アップロードしたのだが――
「……何でみんな、編集乙とか、特殊効果頑張りすぎwww。みたいなコメントしかないんだ!?」
「人間は奇怪な現象に対して何かしらの理由を付けたがるものさ。まあ料理がうまそうとか、酒飲みたいとかのコメントもあるし、おかしなトリックに見えるものより、食欲をそそる映像の方が目につくのだろう」
俺の疑問に対する先生の発言はどこか達観している様に聞こえたが、女将さんはニコニコとしながら先生に冷酒を注ぐ。
「でも昔と違って、私達の力に対して皆さんが気にしなくなりましたから。こういった科学の発展も悪くはありません」
「そういうものですか……?」
「勿論、この場で普通の方には見せませんよ? 根木野さんならともかく」
うちの先生は例外なんすか。と言いたいところだが、そんな事を言えばまた話が長引くだけなので黙っている事にしよう。
「それで……、今回はどのような依頼でしょうか?」
「はい。実は……、最近夏が辛く感じまして……、地球温暖化のせいなのか、ヒートアイランド現象のせいか分かりませんが……、この子も……」
視線を下へ向けると女将さんをそのまま小さくしたような少女がこちらを見上げていた。
おそらく女将さんと同じ雪女だろうが、まだ幼いその表情は少しばかり不安げである。
「成程……。越冬ならぬ
まだ春とはいえ、これから夏に向けて気温はドンドン上昇していく。雪国の妖怪にとっては辛い季節となるのだろう。
「ふむ。その前にまずはその子の名前を聞かないとね」
先生の言葉に、女将さんはハッとした様子で少女を見る。
「ああ、そうですね。ほら、自己紹介をしなさいな」
「あ、あの……。わたしは、
ぺこりと頭を下げる雪花ちゃん。礼儀正しい良い子のようだ。
「こちらこそよろしくね」
俺も笑顔でこの子に警戒されないように挨拶をする。
「おにいさん……、わたしが怖くない?」
「? 何で?」
雪花ちゃんは少し警戒している様に見える。
「だって……、昔話だと妖怪って嫌われてるから……」
……あー。そういう事ね。まぁ、仕方ないか。
「俺は別に怖いとは思わないよ。それに、君は何も悪い事はしていないじゃないか」
そう言って雪花ちゃんの頭を撫でる。
「うぅ……、ありがとう。優しいんだね」
「はっはっは。須永君はやはり私の助手にして正解だった。これぞ超常現象研究家冥利に尽きるというものだ」
その一言で先生は朗らかな表情から一変、今度は女将さん達に対し眼光鋭い真剣な顔となった。
クイっとお猪口に注がれていた冷酒を飲み干し、根木野先生は静かに語り出す。
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