世界は不思議で満ちている!?

柴田柴犬

第1話 超常現象研究家 根木野 新次郎

 何故だ!? 何故俺はこんな事になっている!?


 ――真夜中の市街地。街灯だけが夜道を照らし、人っ子一人いないその道を俺達は歩いている。

 目の前には長い黒髪をなびかせ目元も見えずコートを着ている。大きなマスクで口元を隠している女性。冬が過ぎたとはいえ、まだ夜は冷える。防寒対策は必須だろうが、どうも彼女は挙動不審に見える。


「……」


 無言のまま、彼女はこちらをチラリと見た後、こちらにヒタヒタと近づいて来る。その様子はまるでホラーゲームに出てくる幽鬼の様だった。


「ちょっ! ちょっと待って下さい!」


 俺は背筋から這い上がってくる恐怖心を振り払うように大声を出しながら彼女を止める。しかし、この場に共に訪れている一人の男性に注意を受けてしまった。


「我々に用があるのだろう。邪険にするものではない」

「でも……先生!? どう考えたって様子が変ですって!!」


『先生』と呼ばれた人物は、整った髪型にスーツを着込み、メガネをかけた四十代程の男。一見すると優しそうな印象を受けるのだが、その瞳の奥には揺るがぬ信念を感じさせる眼光を秘めている。


須永すなが君。自分の主観だけでの感想は良くない。具合が悪いかもしれんし、道に迷っているかもしれない」


 そう言って先生は俺の意見を一蹴する。


「えぇ……。いやでも……」


 俺の言葉に聞く耳を持たない先生。そうこうしているうちに、女性は俺達の前まで来て立ち止まる。

 彼女は小さな声で一言――


「私、綺麗?」

「……へ?」


 突然の意味不明な質問に思考が停止する。そんな俺の様子を見た先生は少しだけ微笑みながら、女性の方を向く。


「君は綺麗だよ。美しいと言える程にね」


 先生の一言に彼女は付けているマスクに手を掛け一気に外す。その光景に思考が停止してしまった。


「――これでも……?」

「ぎゃああああああああ!?」


 彼女の素顔を見て思わず叫んでしまった。

 そこには耳元まで裂けた口の女性が居たからだ。


『口裂け女』――今まさに都市伝説として有名な存在に出会ってしまったのだ。整形手術に失敗し理性を失った女性とも言われるが真偽は定かではない。


「ふむ……」


 先生は顎に手を当て、彼女を観察しながら考え事をしている。しかし、すぐに一言を発した。


わたくし、こういった者です。彼は助手の須永すながあきら。どうぞよろしく」


 スーツの内ポケットから小さな紙を取り出し、口裂け女へと手渡そうとしている。いわゆる名刺だ。


『超常現象研究家 根木野ねぎの新次郎しんじろう』。そう書かれている名刺を渡された彼女は、それに気も留めずに先生へと質問を投げかける。

「私、綺麗?」


 口裂け女は同じ問いを先生に対して投げかける。しかし、先生はそれに答えずに自分の用事を済ませようとしている。


「質問をしたいのですが、よろしいですか?」

「私、綺麗?」

「貴女のお名前をお伺いしても?」

「私、綺麗?」

「どちらにお住まいで?」

「私、綺麗?」

「年齢を聞いてもよろしいですか? ああ、少しくらいサバを読んでも構いませんよ」

「私、綺麗?」

「センスの良い服ですね? どこで購入されました?」

「私、綺麗?」


 まるで壊れたカセットテープの様に『私、綺麗?』を繰り返す口裂け女だった。この様な会話のドッジボールでは埒が明かないのではないか、そう考えたのは俺だけでなく、彼女もだったらしい。


 口裂け女は持っていたバックから包丁を取り出し――


「わたしぃ!! きれいいいいいいいいい!!!」


 先生にその凶刃を向けようとした瞬間に、先生は包丁に一瞬視線を向け。


「ふんっ!」


 信じられないことが目の前で起こっていた。先生は左手の人差し指と中指で包丁を白刃取りして、その動きを止めていたのだ。

 口裂け女は両手で包丁を持ち、力を込めるがビクともしない。そんな彼女を尻目に先生は質問を続ける。


「ふむ……。この包丁は、日本刀と同じ製法で打たれた逸品。これはどちらで購入を?」


 いや、質問するのは、そこじゃないだろ!?


 普通、『何する気だった!?』とか、そういう反応の方が先だろう!?  俺は心の叫びを必死に抑えつつ二人のやり取りを見守る事にした。


「せ、せんせい……、口裂け女ですよ!? 口裂け女! 分かってますか!?」


 先生に耳打ちし、事態を把握して貰おうと必死にアピールするが、やはり聞いてくれない。


「須永君、私が聞いているのは彼女が世間でどう呼ばれているのではなく、彼女自身の本名だ。駄目だぞ? 人を傷つけるような発言は」

「わ……たし……、きれ……い?」


 何か、口裂け女も疲れてきたらしく声が小さくなってる。


「これでは話が進まない……か……。仕方ない」


 その一言と共に、先生は右手を上げ、指をパキパキ鳴らして準備を終えた途端、口裂け女の首へ右手を伸ばして一気に――


 ――ゴキィ!!!


 口裂け女さんの首からヤッバイ音が聞こえた。首の関節が外れたとか首が折れたとか、そういった類の音だ。


「あれ……?、私……、普通に声が!?」


 口裂け女が自分の発した言葉に驚いている。


「どうやらうまくいったようだ。これは私が通信教育で修得した『声帯矯正法』だ。役に立ったようで何より」


 なんすか、その怪しさ爆発な通信教育は……。


「さて……、貴女はどうしてこういった行為をしているのですか?」

「そ、それは――」


 彼女は語った。彼女は整形を繰り返し、容姿に自信があった事。しかし、それが原因で彼氏に振られ、さらに整形を繰り返したこと。整形すればするほど顔は崩れ、いつしか醜い姿になってしまった事。整形手術が失敗したせいなのか、自分が化け物になったような気がする事。

 そして、彼女は自分の顔に対して異常な執着に取りつかれたように、出会う人々へ『私綺麗?』と聞き回るようになったという。


「整形手術の失敗により、理性を失った女性ですか……」


 先生は腕を組みながら考え事をしている。


「先生、もういいでしょう!? 早く警察に引き渡しましょうよ!」


 俺の言葉に先生は静かに首を横に振る。そしてスマホを取り出して何処かへ電話を掛けていた。


「私だ。少し頼みたい事がある。待ち合わせはここでいいかね?」


 一体、誰と話しているのだろう?

 数十分後、根木野先生の知り合いと思しき人物が黒塗りの車から降りて来た。


「全く、いつも唐突だな、君って奴は」


 その人は白衣を身に着けた恰幅の良い男性。その恰好はどう見ても医療に従事する者のそれだ。


「そう言わないでくれ。貴方以上の神の手ゴッドハンドを持つ医師を知らないんだ。それで……だ」

「今回の患者は彼女か」


 凄腕の医者らしい男は口裂け女を一見すると、少し考える素振りを見せた後に、口を開いた。


「まずは自己紹介をしておこう。私は『神野じんの京介きょうすけ』と言う。よろしく頼むよ」

「ひっ!? 医者!? いや……!?」


 整形失敗であんな顔になってしまったなら、医者は恐怖の代名詞になってしまうのかもしれない。


「まあまあ安心しなさい。はっ!!」


 先生は口裂け女さんが警戒しないように、にこやかに近づいたと途端、首へ手刀を叩き込み彼女を気絶させた。


「……先生……、何やってんすか?」

「ふむ、ほら、暴れられても困るだろう? これなら彼女が目覚める頃には手術も終わるだろうしねえ」


 俺の疑問を軽く受け流しながら、先生は口裂け女さんを車の後部座席へと運び込んだ。


「さて、須永くん。これで今回の案件は終了だ。事務所に戻って記録を作成するか」

「はあ……、わかりました」


 俺は口裂け女さんを乗せた車が走り去るのを見送ると、先生と一緒に帰路につく事にした。

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