帰還兵

 その日の夜は激しい雨が降ったのだ。池袋の診療所にも雨が打ち付けられていた。しきりに晩夏の雨はコンクリートを濡らしているらしい。雫は規則的なリズムを刻む。

 鳳子はぼんやりと月の手をさすりながら息をついていた。

 白狛にかかった瞰を発動させる、とか言っておきながら仁丸はあっさり寝ている。無防備な寝顔を見ながら宿泊代取るぞ、とは言ってみたものの反応はない。

 軽く舌打ちをしたその時、玄関の戸が叩かれた。

「鳳子さん。僕だよ」

「白狛ッ?」

 急いで立ち上がり玄関へ向かう。そこには雨に濡れた例の3人がいた。

 白狛、燕、茉莉。

「よく......帰ってきてくれたな」

「僕があれくらいで死ぬと思ってるんですか?ほら、二人とも限界みたいだから看病してやって」

 白狛はすっかり毒舌モードを解放している。なぜかと思ったが両脇の二人を見て理解する。ほぼ寝ているような状態なのだ。白狛のあの調子など聞こえていないのだろう。

 白狛は抱えていた二人を鳳子に押し付けズカズカと診療所へ入っていく。

「おい小僧、汚い格好で」

「鳳子さんシャワー借ります。小僧呼ばわりとは酷いですね」

「どの口が言う」

 ちょっとは性根が叩き直されたかと思いきやむしろ生き生きとしているではないか。眉間をピクピクさせながら鳳子は二人を運び込む。

「ふにゃ......わ、我の制裁を受けんとするかっ!?闇十字のし、真髄を......」

 寝ぼけているのか?茉莉は鳳子の腕の中でのけぞっている。寝ぼけてもなお中二病。中二病が殻、どころか素だったのか。

 多少驚きながら二人とも畳に寝かせ布団をかけてやる。

 向こう側の障子に押しやったはずの硲風斗が顔を出していた。

「ちゃーんと帰ってきたんだね」

「能力者が火事ごときで死ぬと思ったか」

「いやいや」

 硲はすっかり目を瞑って力の抜けた二人を微笑ましそうに見る。

 あの死者数の中に送り出した能力者四人は含まれていなかったのだ。不幸中の幸い、というよりかは硲にしてみれば情報さえ取れていれば良いのだろう。あまりにも合理的すぎるその思考には吐き気がする。

「白狛君今夜は一段とキレキレだねぇ」

「今夜は、じゃないだろう。あいつは私たちにはいつもああだぞ」

 シャワーのしゃーという音がくぐもって聞こえていた。細すぎる白い手足がいとも容易く想像できた。滑らかな少年のような裸体が浴室でうねるのも。

 

「それが白狛君の良いところでしょーが。俺たちの前でも猫被られたらもっと嫌だよ」

「そうそう!白狛くんはなんだかんだ可愛いんだからさ」

 さっきまで寝ていたはずの仁丸が起き上がって会話に飛び入る。白狛厄介勢の筆頭(多分一人だけ)の仁丸である。

「出迎えに行こっかな。裸の白狛くんに飛びつくっていうのは......」

「良いからやめておけ。殺されるぞ」

「あっシャレにならん」

 と、仁丸が言いかけて口をつぐんだ。

 タンクトップ姿の白狛がいつの間にかにそこにいたのだ。

「仁丸、なんか言った?」

「いや、何にも。そ、それより潜入捜査の収穫が気になるナー」

 もちろん白狛には全て聞こえていたのだろうが......ニッコリ笑顔を浮かべて畳に腰を落ち着けた。




「そういうことだったのか」

 硲が幾度か顎をなぞる。

「祈愛会教祖の曼陀羅翔太が黒幕じゃなかったんだな。むしろ利用されていた.....」

 信者を売りつける曼陀羅も恐ろしいが、その謎の青年が一番恐ろしい。人間を魂にして売ったり《影》にして人を襲わせるだなんて。一体何の目論見があってそんなことをするのだろう。

「それにしても何故その男は祈愛会に目をつけたんだ?死体ならもうちょっと効率良く取れる場所はあるだろうに」

「鳳子さん、鈍い?」

 白狛が嘲笑混じりにそう言う。少しカチンときたが今はその時ではない。

「その男は死体が欲しかったわけではないでしょ。僕の話聞いてた?変異型を作り出すことに言及してたんだよ?」

「変異型?《影》の器の状態......あ」

 そう、と白狛が指を鳴らした。

「実験だよ。人体実験。変異型の《影》を作るなら色々な状態の肉体が必要でしょ。カルト宗教の信者なら好きにいじっても大事にならない......」

 白狛が話していた、牢獄以上に厳しい祈愛会の生活。逃げられない信者が蛆のようにいる。そして信者は自らの意思で祈愛会に入ったのだから親族もろとも見捨てられているはず。行方不明になっても深追いはされない。

 そして信者の年齢や性別。全てが幅広い。より多くの人間モルモットがいることで変異種が作りやすくなる。

 その実情が明かされることのない地獄。《影》作りには最適に違いない。

「上野のあの寄生する《影》も祈愛会の信者から作られたんだろうな」

 暗い診療所で全員が押し黙った。作戦を練る者、本気で哀しんでいる者、どこか面白がっている者、思い返している者。誰もが今は同じ答えに辿り着いていた。

 絶対に粛清をしなければいけない。この世界の均衡を保たなければならない。

「粛清はどうする?本当ならその男の素性を明らかにして早く始末したいけど」

「辿る術がない......となれば。まずは」

「曼陀羅だね。例の男がプロだとすれば曼陀羅はアマチュアみたいなもんだ。穢れは追えそうなんでしょ」

 白狛が硲の言葉に何度も頷いた。任せろ、と親指で自分を指す。

「月から曼陀羅の強い穢れを感じた。曼陀羅自体は強くないだろうしすぐ粛清に取りかかれるかもしれない。問題は月自身だと思うけど」

 何もいっていないのに白狛は何か感じていたらしい。小さく寝息を立てる月を見ている。月から事情を聞くのは後日、ということになるだろうか。

「じゃあ僕はそろそろ寝るよ」

「ってシャワーも借りたんだし帰れ.....帰れよ」

「良いでしょ布団有り余ってるみたいだし」

 白狛は何の躊躇もなく布団に滑り込んでいく。嫌な予感がして鳳子は身を引いた。マッハで白狛の背にタックルしてくる東大生が視界に飛び込んできたのだ。

「白狛くん!!!お疲れぇえええええ」

「げっ」

 白狛の拳がクリーンヒット。仁丸がうごごとうめいて布団に転がった。

「歪んでるねぇ」

「私には仲良いように見えるぞ」

「そうか?」

「そうだ」

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