新世界より

その夜はなぜか目覚めたのだ。普段は疲れてしまって深く眠ってしまうというのに。もしかしたらってやつだったのかもしれない。

 私はすっかり覚めてしまった目を瞬かせた。向かいのベッドに寝ているはずの泉へ目を向ける。カーテンの隙間から月光が零れていた。

「依子ちゃん......?」

 泉の姿はそこにはなかった。一体どうしたというのだろう。仕事を終えた後は私と同じくぐっすり眠り込むタイプの人間だったのに。それに夜の散歩などしたら曼陀羅に見つかって監視が厳しくなるだろうに。それがわからないほど泉は馬鹿な女ではない。

 胸騒ぎがした。起こさないように茉莉の側を静かに通り過ぎて部屋から出る。真っ暗闇で何も見えなかったが幸い施設の構造は頭に入っている。後は感覚で歩いていくしかない。

 泉の行き先.....脳裏に昼間の私たちの姿が浮かび上がった。鍵のかかっている可能性は高かったが一度、行ってみるしかない。息をつめながら壁をつたっていく。そうすると渡り廊下に出て風が髪の毛をなぶった。といってもひどく生ぬるい風だ。熱帯夜。気持ちの悪い。

 茉莉の描いた図面の通りの場所のドアを探る。ドアノブがくるりと回って私をいざなった。鍵が閉まっていない......

 入ってみると私の網膜を光が刺激した。とっくのとうに消灯時刻なのに電気が付いているのだ。茉莉が言っていた本棚もずらされていて階段が見えている。壁にピッタリと身体をくっつけ耳を傾ける。ぼんやりと喋り声が聞こえていた。

「珍しくオーダー通りじゃん。曼陀羅さん。どうしたの?粛清にびびってるの?」

「珍しく、ではなく君のオーダーがアバウトすぎるんだよ。変異種を作りやすい人間なんていわれてわかる筈がない」

「そこはわかってくれないと困るけどね。ま、いいや。さっさと始めるよ」

「......いっ......」

 かすかに聞こえた。泉の声......!どういう状況だかはわからないが泉がここにいることは確実。助けなければ。いや、でも相手は能力者かもしれない。負けたら?負けたら任務は失敗するわけで......

 思考が頭を駆け巡る前に私の身体は動いていた。階段を降りてドアを蹴破る。薄暗い部屋に人影が三つ。私の目がしっかりとその姿を捉えた。

 曼陀羅、縛られた泉、それからフードを被った少年。少年が泉の肩に手を乗せていた。


 少年の口角がにゅっと上がった。覗く八重歯。

「つ......き.......ちゃ?」

 ほっそりとした指が泉の肩にめり込んでいく。黒く光がほとばしって私は反射的に目を背けた。

「月ちゃん!」

 その悲鳴まじりの泉の声で我にかえって私は少年を睨んだ。少年はびくともせず泉に黒い光を浴びさせ続けている。

「へぇ。キミ.......」

「アァアアアアっ.......いぃいいいい......あぁああああ」

 泉の顔が歪む。とっさに泉に飛びかかり少年を突き飛ばす。

「曼陀羅さん行くよ」

「あ、あいつ能力者か?た、助けてくれよ」

 少年と曼陀羅が階段を駆け上っていく。

「逃がさない」

 確かに視界に入れて少年と曼陀羅を攻撃をした。なのに。手応えも反動も現れはしなかった。少年と曼陀羅の姿が消えていく。追おうかと思った時、泉の声が耳に届いた。


「月ちゃん......ぅぁアアアアアいっ。アァフキゥフグゥゥウウ......」

「依子ちゃん!」

 泉に駆け寄り身体を支える。泉の身体全体から嗅いだことのある匂いがしていた。《影》の匂いだ。

 泉が顔を青くして口に手をやる。黄色い卵のような粒が大量に吐き出されたのだ。粘液を纏ったそれがべちゃりと音をたて床へ広がった。

「あの子が......私の身体にを植え付けたの......フゥイヴウィファアアア!」

 泉の腕から触手のようなものが生えて目玉を覗かせた。気づいた時にはもう遅かった。泉の首から下は《影》そのものになっていたのだ。

 黒い粘液が白装束を覆っていく。人間の形をとどめた顔だけが苦しそうにもがいていた。

「最後の約束をしよ......月ちゃん.....づゥアアアアアアア!わた......しを......殺して......お願い......フィアアアア」

「無理に、決まってるでしょう......なんで依子ちゃんを」

「月ちゃんの仕事は......化け物を、倒すことでしょう......」

 泉が卵を吐きながら微笑んだ。いつも見ていたあの聖母の笑顔。動けなかった。

 私がやるべきは《影》の討伐——

 でも、泉依子は《影》なんかじゃない。本当か?見てみろよ......この身体......


 泉が殺してくれ、と頼んでいるのに?私は親友を見捨て、仕事もこなさずに?


 ——私は自分が傷つくことだけ恐れている

「月ちゃァアアアア......ん......楽に......して」


「......わかったよ依子ちゃん。待ってて」


 額に力を込める。意識をはるか向こうへ。


 私は泉依子を、睨んだ。

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