男子寮

 男たちの荒い息と泥を踏む感触の悪さに包まれながら歩いていた。容赦なく夏の蒸した風は肌を焦がしていく。水が欲しい。休みたい。

 白狛は幾度と意識を飛ばしそうにしながら燕のタンクトップに触れた。あんなに白かった肌が土で汚されている。

「そろそろ......着くんじゃないですか」

「だと良いんですけど」

 祈愛会に潜入してから何日経ったろうか。1日目はよくわからない集会に参加させられ深夜に外を歩かされた。たどり着いたのは山奥の工事現場。指示されるままに働いて草むらで仮眠をとって働かされて.......それが繰り返された。食事は1日一回。植物のツルが入った汁物のみ。生き地獄というのはこういうことなのか。

 もう、死ぬかも。そこまで思った時、班長に言われて本部に帰ることになった。わけがわからない。《影》の真相を探る、どころじゃなかった。


 ようやく本部に着き門で教祖とその一派が出迎える。長髪の男、曼陀羅翔太。その横の男女。この三人は間違いなく能力者だろう。白狛の本能がそう言っている。

「浄めましょう。さぁ入りなさい」

 別館のシャワー室に男たちが群がる。

 取り残されて白狛と一緒にその場に座り込んだ。鉄板のようなコンクリートがじんわりと熱い。でも、今はそんなことは気にならなかった。柱に背を預け息を長く吐く。傷んだ身体が悲鳴をあげている。正直、自分がこうなるのは意外だった。精神にも肉体にも自信はある。燕がへばらないかが心配だったのだ。

「月さんと茉莉さん、元気ですかね。運が良ければ会えるかな」

「さぁ......」

 女子の方が酷い仕打ちを受けているかもしれない。まぁ純粋な燕には無事だと思わせている方が楽だ。

「潜入捜査だっていうのに証拠も見つからないし。祈愛会ってシロだったりしません?」

「......クロだと思いますよ.......僕はね。能力者がいる......宗教団体がごろごろいて.......たまりますか」

 いつも通り細く声を出す。今日ばかりは棘を隠し通せそうにもなかったが。それでも別にいい。

「.......それを調べるためにも.......今日は僕、行きますから......」

「行くってどこに」

「......会議」

 遠くで慈愛の言葉を吐く曼陀羅を睨みつける。今日、歩いている時、車を見たのだ。山道を行くタクシー。乗っている男はどこかで見たことがあると思った。間違いなかった、魂の売人だ。近く会議とやらがあるに違いない。

「じゃあ俺も行きます」

「......僕一人で十分です。......纏をかけて行くから......対象が多いと......僕の負担が」

「俺一人に行かせるんじゃダメですか?」

「......ダメです」 

 別にダメではないが仁丸のことを考えると自分で行った方が良い。仁丸は、白狛の言葉には100%の信頼を捧げるのだ。


 シャワーを終えた男たちが白装束を順に纏っていく。なんとも奇妙な列だった。蟻みたいだ。

 シャワーを浴びおわり小集会場へ向かう。おびただしい白の列が吸い込まれていく。集会をするのは宿舎に来て以来だった。今回、工事から帰ってくることができたのは集会のおかげらしい。わざわざ集会をする必要は......あるな。集会場でする必要も定期的に集会をする必要もある。

 閉め切った集会場の人の群れに混ざって座る。燕がゴクリと唾を飲み込むのが見えた。曼陀羅が壇上に現れたのだ。

仕事ボランティア、お疲れ様だね。どうでしょう。他人のために汗をかくのは心地良いと思いませんか?そうやって私たちは愛で繋がれているのです」

 周りの信者が何度も頷いていた。その光景に悪寒がする。あれだけこき使われて、それが「愛」とやらに繋がると信じているのか?異常だ。狂信者め。

「さぁ、祈りましょう!天へ!」

 曼陀羅が天を仰いだ。口角が確かに上がっていた。光の満ち溢れた姿が禍々しい。

 白い集団は曼陀羅に続いて祈り始める。


 ある程度の期間で信者の不満は溜まる。その不満を解消......いや解消とは言えないだろう。洗脳してその不満をなかったことにしているのだ。そうすれば信者たちは生きた、人形ゾンビと化す。

「あなたは今、自由なのです。愛の中で生きているのです」

 

 あぁあああああ、と隣の中年男が崩れ落ちた。燕が目を見開いて男の身体を揺さぶる。男の削げ落ちた頬に涙が流れていた。

「死んで.......る?」

 燕が胸骨圧迫に挑もうとしていた。

 周りの信者はその様子にさして驚いていない。ただ、自分の祈りに熱心になっているだけだった。

「白狛さん手伝ってくれま」

「やっと肉体から解放されたのですね。お二人とも、お手を」

 曼陀羅が段から降りてきて柔らかに燕を睨んだ。燕の目が怒りで震えていた。なぜ、愛を騙るんですか?命をどうするんですか?純すぎる目がそう投げかけていた。男から離れようとしない燕を無理矢理引き下がらせる。

「教祖様に......従いましょう......」

 これ以上、事を荒立ててはいけない。目立ってはいけない。そう目で燕に訴える。自分たちの仕事は《影》の裏側を明らかにすること。こんな新興宗教の信者を助けることは意味をなさない。そう言っても、燕は人を想う事をやめられないだろうが。

 燕は目を伏せて引き下がる。

 男の死体は例の二人の男女が持ち上げていた。

「頼んだよ二人とも。私はだから」

 細すぎるその屍体が幕の裏側へ連れて行かれる。曼陀羅は満足げにそれを見てから、立ち去っていく。


 これから。きっとそうだ。会議が始まるのだ。それにあの死体......

「白狛さん?あの人、どこへやるんでしょうか」

 祈る信者たちの渦で燕がぽつりとつぶやく。天鵞絨ビロードの幕のその向こう。その奥に墓などあるはずがなかった。

「......きっと......本当の地獄ですよ」

「それって」

「僕、行ってきます」

 幸い、あの男女はまだ幕の内側で何か作業をしているらしい。班長たちも祈りに熱心だ。今、行くしかない。

『消えゆ』

「白狛さ.......ゴホン。お気を付けて」

 燕が声色を落とし手をかざした。『清』だ。ついた穢れでバレることを心配してくれたのだろう。こういうことは妙に気がきく。

 燕に小さく頭を下げて白狛は曼陀羅の後をつけていった。

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