泉
何時間経ったろうか。外はすっかり暗くなって工場に弱い光が灯った。点滅する蛍光灯のもとクラクラしかけながら作業を続ける。腹がぐぅ、となっていた。夕飯は食べられないのだろうか。それでも信者たちが黙って作業を続けてるということはデフォルトなのだろう。まともに飯を食うことなど忘れているのかもしれない。
私は毎日、カロリーメイトで命を保ってきた人間だから特に心配はしていなかった。茉莉が心配だ。育ち盛りが夕飯も食わないで立ちっぱなしで仕事なんてハードにも程がある。硲がこういう状況を知っていて送り出したなら許せない。アイロンを持つ手を緩めて茉莉を見る。
「......大丈夫?」
茉莉がにっと笑った。
「心配無用、ですわよ」
メンタルの強さで押し切っている感じだろうか。と、思ったが茉莉が右手を上へ上げてみせる。手にまとわりついた黒い靄がふわりと揺れた。なるほど霊に操作させているのか。確かに便利。
すっかり安心しきって作業を続けようとした時、近くで音が響き渡った。ぎょっとして音が鳴った方向を見る。泉依子が床に倒れていた。アイロンがしゅぅ.......と音をたてて転がる。
ピクリと動く細い指が虚空を掻いていた。信者はそれを見ても動かない......いや、見えていないのだ。見ようとしない。
急いで駆け寄って背に手を差し入れた。
「茉莉、本部まで運ぼう」
「えぇ」
二人で依子の身体を持ち上げる。成人女性、しかも妊婦。二人でもそこそこ重い。何とか姿勢を整えて工場の外へ出て行こうとする。
「そこの二人!
他の班の班長らしき女性が叫ぶ。一瞬、信者たちが手を止めて私たちを凝視した。
「人の命を助けることの何がいけないのです!行こう茉莉」
「えぇ」
逃げるようにして工場から離れていく。本部とはかなり距離がある。
「茉莉、霊に泉さん載せられない?」
「無理ですわ。でも霊の力を借りて負担は軽減できますのよ」
歩きつつ茉莉が額に力を込める。
『憑霊!』
霊が集まってきて茉莉の両手に染み込んでいく。一気に軽くなった。
「さっ行きましょ!」
やっと本部につきソファに泉をおろした。泉の苦痛そうな顔が見るからに痛ましい。
「どうするべきなんだろう......応急処置なんてわからない」
鳳子のような力があれば。人を癒す能力があれば。
「曼陀羅を呼ぶべきかしら。でも、あたくし、あいつが人を助けられるとは思いませんわ」
その時、泉の目が開いた。あっ、と声をあげ駆け寄る。泉の視線は私たちには向いていなかった。
「教祖様!」
ゆらゆらと長い黒髪を揺らしながら曼陀羅がやってくる。泉が起き上がって目を見開いた。
「これはこれは......」
「泉さんが仕事中に倒れたんです。さっきまで気を失っていて」
曼陀羅が泉に近づき手をかざした。白い光が放たれ泉の表情が柔らかくなった。
「だいぶ楽になりました、もう仕事に戻ります」
「それが良いと思うよ」
そんなわけがないだろう。茉莉が身を乗り出して目をつり上げた。
「ダメだと思います。泉さん、まだ顔色が悪い。教祖様、ここは私たちに任せてください。愛を分け合うんです!」
「でも.......」
泉が立ち上がろうとするのを引き止める。曼陀羅は少し考えているようだった。
「そうですね。愛を分け合うことは大事です。ただ、
「もちろん」
曼陀羅が去っていくのを見届けて、泉に向き直る。泉は膨らんだ腹に手を置いて俯いていた。やはり体調はすぐれないらしい。当然だ。さっき曼陀羅は幻覚を見せただけなのだから。
「泉さん、お腹に子供が?」
できるだけ角が立たないよう柔らかく言ってみる。泉は小さく頷いた。
「あんな何時間も立ちっぱなしで仕事を......それに夕食もない!辛くないですか」
「辛くないです。私は人のために働いているんです。あなたたちもそのうち慣れますよ」
だめだ、こりゃあ。完全に『普通』が何なのかわからなくなっている。茉莉が痺れを切らしたように泉に顔を寄せた。
「教祖様を酷いとは思わないの?」
「教祖様は良い方よ!あなたたちは新米だからわからないのね。あの方の優しさが!さっきも私の苦痛を和らげてくれた!」
私はさりげなく《睨み》を効かせる。まだ曼陀羅の幻覚が泉の周りを漂っていた。幸い、私の能力の方が力は強い。
「うっ.......あぁあああ」
泉が顔を押さえてうめいた。甘い幻覚を解いたのだ。荒療治だが現実を見てもらわなければならない。
「ほら、まだ休んでいなければいけないでしょう。横たわってください」
泉は言われなくてもソファに横たわっていた。申し訳ないことをした。でも洗脳から解き放つにはこうでもしなければいけない。泉の汗ばんだ額に手を当てる。張り詰めていた息が安堵の息へ変わっていくのがわかる。
茉莉と目を合わせた。茉莉も同じことを考えていたようだ。泉依子は玖班、班長。魂について探りを入れるには良いチャンスに違いなかった。利用させてもらおう。
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