無何有

 白狛と燕は一週間前に奥多摩へ向かった。一気に四人も入るのは疑われやすい、ということで男子二人が先に潜入することになったのだ。

 そこで仁丸が瞰を効かせたらしいが、どういうわけか宿舎で能力の効果が途切れたらしい。連絡も来ないだとか。

 あちらに能力者がいるのだから、予測していなかったわけではない。ただ仁丸はひどく不安そうだった。

「結界みたいなのが張られてるみたいなんだよ。いざとなったら二人なら自力で脱出できると思うけど......」

 硲に本当に行くのかと聞かれたが私も茉莉も答えはyes。

 なおさら気になるじゃないか。


 気だるい午後の西新宿に軽がやってくる。運転席の安西がこっちを向いて手を振った。

「月さーーーん」

「月!」

 白いノースリーブのワンピースをはためかせ、茉莉が車から降りた。

「行きましょう!あたくし、楽しみにしていましたのよ!」

 包帯の巻き付いた手で私を引き寄せ後部座席へ座らせる。相当、危険な仕事なのに茉莉の表情は明るい。とんでもない中学生だ。


 安西が振り向いて私が乗ったことを確認すると、車を発進させた。

「今日、早川さんは?」

「人間ドックって言ってました」

「歳ですのね」

「げふん。えっとここから奥多摩まで結構かかるのでどーぞ寝ててください。しばらく拘束される日々が続くだろうし」

 いまいちどういう生活になるのかイメージできていない。毎日お祈りでも滝行でもするのだろうか。辛くなったら逃げてもいいんじゃない?とか硲がほざいていたが逃げたら殺されそうだ。とりあえず魂売買との関係を探らなければいけない。

 そう思った時、スマホが鳴った。小野田仁丸の文字を見てスピーカーをオンにする。

「みんな元気?」

「なんですか仁丸さん」

 茉莉が小声で小野田ってあの小野田?と騒ぎ立てる。

「知ってのとおりあの二人と連絡が取れなくて」

「はい」

「僕凹んでる」

 実にどうでも良い。

「白狛くんがいるから大丈夫だとは思う。けど喋れないのはツラいよね」

 そこか?そこなのか?それにどちらかというと白狛も頼りないと思うのだが。

「それで潜入して能力者と対峙しちゃった時の話なんだけど」

「はい」

「自分より格下だと分かったら殺しちゃっていい。格上だったら逃げる。月ちゃんの能力だと月ちゃん、反動で死ぬしね。ただそれは緊急時の話かな。できれば生きて連れ帰ってほしい」

 茉莉が息をつめて聞いていた。つくづく酷だ。こんな少女に粛清を任せるなんて。

「《影》は即祓う。これもできればサンプルを持ち帰って欲しいかな。勝てそうになかったら逃げて良い」

 それと、と仁丸が言葉を継ぐ。

「祈愛会の信者に多少の犠牲が出ても気にしないこと。そこは天下の小野田家がどうにかする。なんなら祈愛会本部を爆破しちゃってもいいよ」

「了解」


 そんなことだろうと思った。少数の祈愛会の信者よりも多数の《影》で失われる命を。

 私たちが、していることは世界の秩序を保つことなのだ。小野田財閥は人を助けるために動いているのではない。そして私も。

「もし男子と会えたら言っておいてね。仁丸が心配してるって。白狛くん、冷え性だし」

 冷え性とかそういう問題ではないと思うが。

「白狛さんと仲良いんですか?」

「僕は仲良いつもりだよ。白狛くんがどう思ってるかわかんないけど。ま、いいや。切るね」

 プツリと電話が途切れた。

 都会の喧騒が絶えてどれほど経っただろうか。 

 やけにでこぼこした道を軽が這い上っていく。ガードレールの向こう側は深い谷。川が流れる音が反響していた。

 茉莉は無防備に寝顔をさらけ出し身体を右へ傾けていた。さっきから急なカーブが多く酔ってもおかしくない状況だったからしょうがない。

「そろそろ着くはずなんですよね」

「じゃあ茉莉ちゃん起こしましょうか」

 辺りは木と切り立った岩だらけなのだ。人の姿なんて全く見ていない。本当に宗教施設なんてあるのかと疑ってしまう。

「茉莉、そろそろ」

 熱を持った茉莉の背を叩く。反応速度は流石のもの。

「あっ。着きましたの?《影》の匂いがしますこと」

「《影》......匂う?」

 茉莉が頷き前方を指さした。

「安西さん、私たちここで降ります。早く帰った方が良いかと」

「えっ。わ、わかりました」

 急いで車から出て走り出した。茉莉が顔を険しくする。

「ちょうど、この先......穢れがかなり強いですわよ」

「行きましょう」

 安西は道が狭いながらに頑張ってUターンしているようだ。少し心配だとは思ったが安西も戦えないわけではない。それよりこの先の《影》を祓うことが先だ。

 穢れの匂いが強い。上野で感じたあの穢れとはやはり別物だ。

 ふと茉莉が足を止めた。


「いますわ。とびきり気持ち悪いのが」

 目玉を生やした粘液を吐き続ける黒い塊、それに覆い被さる靄。それからヌメヌメした躰をうねらせるナメクジのような生き物、たかるハエ。

 それらが地面やガードレール、岩壁に張り付いて溢れ出していた。

 《影》の集合体だ。

「一段と気持ち悪いですわね。今こそ、あたくしの力を見せるときかしら」

 茉莉は指を何度かピキピキと鳴らし一歩踏み出す。

 パチンと弾かれた指が《影》を指していた。

『憑靈-ヒョウリョウ-』

 茉莉が包帯を剥いで捨てた。白い包帯が風に乗って飛んでいく。

 呼び寄せた黒い靄が茉莉の腕へと絡み付いた。召喚した霊か。

「任せなさい。月が睨む必要はなくってよ」

 茉莉が靄で覆われた右腕を一振りし、《影》へ向かって走っていく。中学生の軽やかな動き。茉莉の体が舞い上がった。

「ヅフフゥゥアアアアニュアアアア!」

 前方の《影》が触手を伸ばした。黒い液体が飛び散って茉莉の足へと伸びる。

「あぶな.......」

暗黒邪神審判カタストロフィ

 茉莉が楽しげにそう叫んだ。

 右腕が触手を切り裂く。その切れ目から血を噴き出しながら触手が縦に裂けていった。単純なダメージだけじゃない。霊が《影》の内部へ入り込んで躰の破壊をしている......

「ジュゥウウウウウウカァアア!アアアアア」

 《影》が苦しそうに血を撒き散らした。後方で固まっていた《影》たちがのけぞる。

「あたくしがこのくらいで終わるとでも思ったのかしら」

 茉莉が地面を蹴り上げ右手で左手を覆った。

憑靈其のニ

 左手も靄を纏わせ茉莉が《影》の頭部へ攻撃をくらわせた。相当なダメージだったらしく《影》はうめく間もなく倒れた。

 とはいってもまだ《影》は多い。茉莉の能力だと効率が悪いだろう。

 私は目に力を入れイメージを描く。


『影薙–カゲナギ–』


 灰色の波動が《影》を薙いでいく。ドミノのように倒れていく《影》は血を吐いて道路に転がった。

 さすがは《影》。しぶとく起き上がって手を伸ばしてくる。私が睨む前に茉莉が手をへし折った。嫌な音がしてガードレールの向こうに骸が落ちていく。

 その他諸々の《影》を睨みで潰せば、後に残ったのは血だらけの道路だった。穢れが充満している。こんな時に燕がいれば浄化してくれるのだが。

 茉莉が何度か手をはらって振り返った。

「終わりましたわね。こんなのウォーミングアップにも入らなくってよ」

 と、言ってるものの両腕が赤く腫れ始めているのが見てとれた。笑顔でいるがだいぶ痛いようで冷や汗が滲み出ている。

「素手で祓うのは流石に大変なんじゃない?白狛さんみたいに武器を使ったら?」

 私も込み上げてきた血を飲み下しながら茉莉に駆け寄った。

「そうできたら良かったのですわ。残念ながら、あたくし霊媒の端くれですの。身体に霊を憑依させることに特化していましてよ」

 血を踏んだスニーカーが道路にしるしをつけていく。赤く、点々と。水玉みたいだ。

「言うなれば劣化霊媒師ですのよ。身体の一部にしか憑依させられない。しかも借りられるのはその力だけ。所詮落ちこぼれですのよ」

「でも自我を保ちながら憑依させるのは良いことじゃないの?」

「霊媒師、にはなれませんわ」

 茉莉がはにかんで笑う。

「だからあたくし、この仕事が一番向いてますの。出来損ないのあたくしが一番活躍できますもの。ほら、月。本部が見えましてよ」

 足を止める。森に浮き上がった、楕円の白く丸い巨大な建物。門の前には警備員が数人たむろしていた。

 ここが、祈愛会本部。

 茉莉と顔を見合わせた。

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