小野田仁丸

「疲れたああああああ!」

 燕は紙袋を置いてヘニャヘニャに座り込んだ。さっきまでの金持ちらしい雰囲気は何処へ。

「っていうかあんなに買っちゃって良かったんですか?明らかに予算オーバー感あったんですけど!」

「んーいや非日常感あってめっちゃ良かったです」

 じゃなくて。

「予算気にしてんの?もしかして天下の小野田グループ、ナメてる?」

「え?」

 2人で素っ頓狂な声をあげる。いつの間にかに目の前に立っていた青年。薄茶色のほんのりカーブのかかった髪の毛、気品を感じさせる端正な顔立ち。どこがで見覚えがあった。

「クッキーくれた人!」

 燕が青年を指さして飛び上がる。それだ。紅茶とクッキーを運んできてくれたあの人。

「間違ってはいないよね。うんうんうん、でさぁ僕が誰だか分かる?」

「え」

「小野田仁丸って言うんだけど」

「は」

 青年がプッと吹き出して華奢な身体をよじった。その身体つきと綺麗な小顔といい女の子のようだ。

10式戦車ひとまるしきせんしゃのヒトマルだよ?ウケるよね〜」

 燕と顔を合わせて何秒か沈黙する。

「えっと......」

「だぁかぁら、予算の心配はするなって小野田の御曹司が言ってるの聞こえないの?」

「モノホンの小野田家の方?」

「うん」

「えっ小野田仁丸さん?」

「うん」

「俺が化けてた仁丸さん?」

「うん」

「えぇええええええええ」

 青年......小野田仁丸がダブルピースで何度も頷いた。この変人が。この変人が小野田仁丸だっていうのか?

「何その反応は。大金持ちが目の前にいるのに媚び売らないのな〜」

「売るだけ無駄でしょう」

 特にこの御曹司には。

「魂買えたの?見せてよ」

 仁丸が紙袋を取り上げる。あ、と燕が紙袋に手を伸ばした。仁丸は書類を見てクククと口角を上げる。

「1300万ね。僕の小遣いから出すことになってるから」

「えぇ......」

 それは小遣いじゃないのでは。

「そもそも《影》の討伐に僕が一番乗り気だったからね。君たちの治療費も僕が払った」

例の鳳子のぼったくりの件だろうか。あっさり30万出しそうだな、と理解する。

「そろそろ硲さんも来るみたいだしさっきの部屋でゆっくり話さない?」

「え硲さん来るんですか」

仁丸がまた何度も頷き紙袋を引きずって部屋へ入っていく。硲が来るなんて聞いていない。

「あの売人を追跡するからね。硲さんに見ていてほしかった」

「追跡って......」

 両指を組んで顎を乗せる仁丸の目が笑っていた。

「まぁ、見てな」

 仁丸が薄く目を閉じて口の中で唱えた。

カン』 

 その途端、頭に強烈な衝撃が走った。鈍器で一撃殴られたかのような衝撃。思わず目を閉じてギュッと身を縮ませる。

「みんな術は効いてる?」

「術って」

「目を開いて」

 仁丸に言われ目を少しずつ開く。

 私は、オルビス・ヴィラの30階に立っていなかったのだ。白線が引かれたアスファルトを行き交う人混み、その中に澪標のように立つ信号機。見覚えのある横断歩道。

「視覚・聴覚共有の僕の技。これは今、白狛くんが見ている景色なんだ」

 この景色に仁丸の姿は見当たらない。自由に動けないVRのようなものなのだろうか。今もこの間視界は移動して1人の男の姿を捉えていた。

 スマホを耳へやる男の姿。吉野だ。

「そりゃ驚きましたよ。小野田家って......なんかの間違いかと思ったんですけど一般人が1300万を現金で用意する発想に至るわけないんですよね。金持ちってヤベェのばっか。え?あぁ。いいカモになってくれそうですよ。あんな世間知らずはそうそう会えるもんじゃない。そのうちプラスチックの偽物でも売りましょうかね、ハハハ......」

 白狛はだいぶ吉野に近づいているようだった。はっきりと声が聞き取れる。

「今日は本部行ったほうがいいんですかね?......あぁ厄介なことになってるって?それじゃ俺を会合に入れるんですね。はいはい。今すぐタクシーで向かいますよ。経費経費、はい」

 吉野が道路へ身体を迫り出して手をあげた。黒いタクシーが止まって吉野を乗せて走り抜けていく。


 パチン、と指のなる音がした。

 そこで見ていた景色はプツリととぎれ暗転した。

 それから現実に引きもどされる。


「行っちゃいましたけど」

 燕がフラフラしながら椅子へ着く。

「大丈夫大丈夫。白狛くんの纏がしっかり効いてくれるだろうから」

 仁丸はゆったりと椅子に背を預け、手の甲で頬に触れた。

「と言いますと」

「僕が吉野に渡した紅茶には纏がかかっていてね。その纏っていうのは痕跡を残してくれるものなんだ。ラビリントスの毛糸、とかいう洒落た似たような能力があったね」

 ラビリントスの毛糸なら知っている。初めに《影》を追った時、硲が使った能力がそれだった。

対象の穢れを可視化して視覚共有をする能力......だったはず。

「白狛くんが自分の車で追っかけてくれるみたいだから僕たちはこの魂について調べてみないとね」

 白狛、運転免許持っていたのか。でもああ見えて25か。全く不思議ではない。


「それにしても、仁丸さんの能力すごいですね!あれ小野田家に伝わってるんですか?」

 と好奇心いっぱいの燕。

「違うね。きっと僕一代限り。小野田家みんなこの能力だったらゲームバランス崩壊してるでしょ」

「え?」

「瞰はその対象に知られないでかけることができる。だからライバル企業の工場の労働者に瞰をかければ......企業秘密ダダ漏れ」 

 まぁ、僕前科あるんだけど、と仁丸が呟く。ダメだ、この御曹司。


「まぁそんなことどうでもいいから魂、調べよ。燕君がこういうことには強いんだっけ?」

「一応。穢れの判別とかは人並み以上に」

「じゃとりあえず二つ見てくれる?」

 燕が紙袋を開こうとしたとき見慣れた顔がひょっこり現れた。

「硲さん......」

「はろー仁丸クン」

「Hello硲さん」

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