スタイリング

 翌日は安定の6時起き。本当はもっと寝ていたかったが硲に罪悪感を持たせるためにも一番乗りしなければならない。いつも通りパーカーを羽織ってアパートを出た。

 いくら東京の夏が暑いといっても朝はなかなか涼しいものなのだ。心地の良い風と夏らしい湿り気。嫌いじゃない。

 いつもの「開」が仕掛けられている鏡の前に立つ。ぐい、と引っ張られるような感覚。

 目を開けると例の硲のバーに着いていたようだった。

「よっ月ちゃん、遅かったじゃん」

 飛び込んできたのは硲の縄文ギリシャ顔。ここで睨めばスッキリしたかもしれないが今後の仕事のためにも抑えなければ、と眉間をピクピクさせて硲の手を跳ね除けた。バーの奥の椅子に燕の姿がある。そして燕に向かい合った安西エミリ。

 燕は後ろ姿しか見えないが佇まいが違うのはわかる。

「月さん、おはようございます〜」

 安西が私に両手を振った。何だ、またすぐに会えたじゃないか。

「安西さん今日は」

「えぇ、スタイリスト、的な?ふふふ。早川さんの手持ちのジャケットとか色々持って来たんですよー」

 安西がニッコニコの笑顔で燕の椅子を回した。燕があ、と声を漏らす。


「オハヨウゴザイマス」

 やけにカタコト。どうやら恥ずかしがっているようで顔が真っ赤になっていた。とはいえかなり様になっている。

 オールバックにしたミルクティー色の髪の毛、鉱石を埋め込んだかのように綺麗な碧眼、すらりとした長身によく似合った高そうなジャケットや革靴。なるほど、これは確かに御曹司らしい。

 燕は革靴のつま先を床につけてくるりと回しうーん、と伸びをした。

「ようやく硲さんの考えが理解できましたよ......」

「でしょ。小野田家にこんなハーフがいても不思議じゃないね。月ちゃんが令嬢役やっても良かったと思ったけど、何かと言葉に棘があるから」

「馬鹿にしてますか?」

「してないしてない」

 視線には棘はあるが言葉まで操れるようになった記憶はない。やっぱりそろそろぶちのめした方が......


「じゃあ安西ちゃん月ちゃんのセットお願い」

「かしこまり!特設更衣室へ行きましょか!」

 安西がピッと敬礼して私の手を取った。記憶にないバーの奥の扉を引く。わざわざ硲が作り出したのだろうか。

 更衣室へ入って安西がカーテンを閉めてハンガーを差し出す。大きな姿見に私たち2人の姿が映り込んでいた。

「私のパンツスーツを貸しますね。早川さんに買ってもらったから良いものであることは保証しますよ」

「早川さんって凄く儲かってるんですね......」

 パンツに足を通しながら安西に聞く。

「これも予知能力のおかげみたいですよ。予知能力って言ってもかなり制限があるみたいで。一ヶ月に一回、一か月後に起こることを予知できるだとか。《影》の件なんかこのまんま討伐しないと上野が壊滅する......って予知してたみたいですし」

「地味だけど商売には役に立ちそうですよね」

 何より、人を傷つけない能力なのだ。それがどんなに良いことか。

 私はパンツスーツをすっかり体におさめきり安西へ視線を送った。

「お。似合ってますよ。やっぱ私たちって背丈似てるんですね〜。そしたら次は髪の毛のセットですね」

 安西が椅子を取り出して座らせる。短い髪の毛に安西の手が触れた。

「普段、櫛で梳いてますか?」

「全く」

「にしては綺麗ですね〜」

 液体を吹きかけられ櫛で梳かれていく。安西の手の体温がちょうど良い。

「この人造人間18号みたいなショートカットにこだわりってあるんですか?」

「......特に。髪を結ぶのがめんどくさいので」

 何だろう。自分の言葉の駄目人間感は。

「それも大事な理由ですよね〜私なんて小学生の頃は丸刈りにしようと思ってましたもん!」

 ちょっと違うのでは。いや、違くないか。

「その自分を突き通すスタイルは月さんって感じで私好きですよ」

 安西が笑顔でそう言う。純度100%の忖度なしの言葉。いっさい曇りがない。この人、学校で苦労しただろうな、なんて思う。


 本音だけで生きていける人間なんて、そうそういないのだ。

 建前で固めた人間の中にいることがどんなに安西の心を傷つけたか。おおよそ察しがついた。


「私もあなたのそういうスタイルは好きですよ」

「へ?」

 鏡に映った安西の呆気に取られた顔。純情が故に気づいていないのだろう。でも私はそれでいいと思う。

「作業、どうぞ続けて」

「あ、はい。メイクしますよ〜」

「出来ました〜月さん!!」

安西と共に更衣室を出る。着慣れないジャケットが若干苦しい。

「それっぽいね月ちゃん」

「そうですかね」

どうやら今着いたらしく白狛がちょこりと顔を出していた。無地の白いTシャツ。超私服。

「白狛も来たことだしそろそろ行こうか。車を手配してるんだ」

「開を使うんじゃ?」

「売人に見張られてるかもしれないし開は半径500m以内しか移動できない。 それに使う時はそこそこ場にも俺にも負担かかるから、本当は頻繁に使いたくないんだよ」

「へー」

安西が無感動に声をあげた。

開は確か一種の異空間を作り出す能力のはずだった。その異空間を経由して移動できるようにしたのは硲が編み出した技だったらしい。

大がかりな能力には制限は付き物。私の《睨み》の反動だって私を制限するためにあるようなものだ。

 硲が扉を開けて私たち三人を押し込む。

「それじゃあいってらっしゃい!俺は待ってるから」

「あ”あ”?」

「月ちゃん怖い」

 そんな硲の声も小さくなっていく。

 気づくと例の鏡の前に立っていた。周りを見回す。車を手配している......タクシーか?

「Hello!!!!紳士淑女ども!」

 明らかに不釣り合いなキャデラックがやってくる。窓から弥生顔がのぞいていた。

「早川さん!」

「オルビス・ヴィラまでお届けするヨ!」

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