帰宅
あの時とは違って回復はだいぶ早かった。鳳子の蘇のおかげなのだろう。穢れはすぐに落ち怪我も治癒した。そんなわけで私は一週間も経たずにホテル松竹梅を出ることができたのだった。
「訓練というか立派な仕事でしたね。まぁ《影》大量発生の謎も解けたから良かったんですけど」
燕が私の荷物をかついでホテルを振り返る。燕と白狛は私よりもずっと早く治ったが私が治ったと聞いて迎えに来てくれたのだった。
どういうわけだか燕も早川から貰ったTシャツを着ている。UENO♥LOVE。硲といい否めない海外観光客感。
いつの間にかに自動ドアの前に早川と安西が立っていた。安西が手を振って笑う。そういえば、と思い出し口を開く。
「安西さん、《影》倒した時のエピソード教えてありがとう。あなたがいなかったら私はきっと死んでいた」
安西がきょとんと首をかしげ、それから笑顔になる。
「私役に立ったんですね!光栄!また会いましょうね!!」
あえて私が言わなかったことをさらりと口にする。また会う、だなんて不確かなことを。私は言えない。
何も言わず頭を下げた。
「それじゃ行きましょうか」
「ですね」
早川と安西に別れを告げて歩きだす。夏の湿った空気が肌をなぞっていた。
「そういや月さんの家ってどこなんですか?」
「西新宿ですよ」
「送っていきましょうか?」
「大丈夫ですよ。荷物ももう持てますし」
燕と白狛から荷物を引っ張って早足で歩いていく。2人には悪いことをしたな、と思いながら駅へ向かう。
帰る前に銀行に寄ろう。それからコンビニでカロリーメイト......
錆びた家のドアを開くと、むっとした熱気が広がってきた。サウナみたいな蒸し暑さ。夏に家を開けるとこうなるからイヤなのだ。家へ入って冷房をつける。設定温度は18度。このくらいの暴挙は許されるだろう。
それから服を脱ぎ捨てソファへダイブした。ソファもだいぶ温まっていて肌の熱は抜けそうにない。ため息を吐いてコンビニで買ってきた缶ビールを一気飲みした。冷えたビールが喉を通り抜けていく。こわばった身体がじんわりとほぐれていくのが分かった。そしてソファに顔を埋め、目を閉じると何とも幸せな気分になる。
幸い霊が家に入り込んでいることもないようだった。外へ長く出ていると高確率で霊が寄ってくるのだ。きっと私の能力の匂いに惹かれてやってくるのだろう。霊が家にいるとろくなことがない。霊の始末でせっかくの休みが潰れてしまう。
もっと悪いのは家に呪いが仕掛けられている場合。こういう仕事をしていることもあって敵は多い。
敵に能力者がついた時、最初に特定されるのは私の家なのだ。そうなるとかなり厄介なので私はできるだけボロいアパートに住むことにしているのだ。
古ければ古いだけ人の念は集まりやすく霊は集まる。その穢れの匂いに私の能力の匂いが紛れる。
本当だったら私も新築に住みたい。ただ命には変えられない、そういう理由でしょうがなくボロアパートに住み続けているのだ。
今日は休日らしい休日が過ごせそうだった。隅のパソコンを取り出して、起動する。
呪いの依頼はこのパソコンに送られるようになっている。少し前は手紙を送ってもらおうと思ったこともあったが、住所がバレるといけないし、封筒に呪いが紛れている場合もある。
そんなわけで依頼はこのパソコンで受け取るか、硲の持ち込んだ依頼を受けとるのみになっている。
さっそく依頼の確認をしてみる。ざっと30件。なかなか多いじゃないか。依頼は多くて一日に一件ほど。紹介制にしているので私に辿り着ける人物は限られている、というわけだ。依頼は絞らないと反動が酷いし有名になってしまうし。
30件。訓練した今の私ならこなすことは難しくないだろう。
少し気になって依頼内容を確認した。大体が呪いの依頼。何ヶ月間か苦しませろ、とか醜態を晒させろ、とか中には殺人の依頼も。論外。私は殺し屋じゃあないのだ、と悪態をつきながら画面をスクロールする。
あらゆる文面からその人物の顔までが見えてくるようだった。言うなれば人の歪んだ心が映し出された鏡。液晶から穢れが湧いてきそうだ。
せっかくの休みに見るものではなかった。パソコンを放り出して突っ伏す。一件くらいは受けてやって良いと思っていたが一気にめんどくさくなった。
硲の仕事をするのが先だ、というのは建前かもしれない。人を呪ってしまったらせっかく積み重ねた徳が消えてしまうようで......何を今更、と自分でも驚く。この自分が徳を積んだところで天国に行けるはずがなかろうに。でも今、自分は人を呪いたくないと思っている事は確か。
だったら無理に今、仕事をしなくて良い......気持ちがスッと楽になる。実際、《影》を倒す方がずっと心地よい。しばらく本業の方は休もう。たった今そう決めた。
冷房は無事動いているようだ。部屋は随分と冷えていた。夏に冷えた部屋。そうだ、アイスでも食べよう。
その日、私は財布を持って久しぶりにコンビニへアイスを買いに行ったのである。
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