寄生
池いっぱいに身体を浸からせた《影》。身体中に張り巡らせられたのは大量の眼球。それから手すりを掴んだ四つの手、数メートルあろうかというほど長い舌が牙で埋め尽くされた口からはみ出ていた。
そしてかつては人間のものであっただろうものが体中に刺さっている。白目を向いた人間の首、歪に曲がった自転車、黄色い帽子、百貨店の紙袋...
昼間の観光客は生きて帰れたのではない。異変に気づく前に《影》に喰われたのだ。
「月さん!危ないッ」
気づくと《影》の手が私の首へ伸びていた。白狛が刀で手を切り落とす。震えが止まらなかった。状況は頭では理解できているのに...
「《影》を池からコッチにおびき出しましょう!」
「は、はいっ」
走りながら《影》を睨む。
『棘地獄』
《影》が身体をうねらせ水をはね飛ばした。こんなに図体がデカいようでは縛で吊り上げることはできない。だったら私が《影》を挑発するしかなかった。
「レニニエセニセフジュジュジュズゥウウウウウアァアアアアアアアアアア」
《影》が身体を伸ばす。池から伸びあがった身体が宙へ舞った。黒い液体が宙から降ってくる。《影》の身体の一部だ。
燕がそれを見て手を振り上げる。
『浄』
黒い液体がつややかに光って肌を滑っていく。燕が浄化してくれたのだろう。異常は見当たらない。
《影》の無駄に大きい身体が地面に打ち付けられる。地面が震えた。燕が足を滑らせそうになる。
「フィウウウウゥァアアアアアンガァアアアアアアア!!!」
「るせんだよォ!」
私がそうがなる。《影》の黒目が一斉にこちらを見た。どろどろの手が身体から生えてくる。
『針地獄』
狙ったのは手の付け根。針が生えたと同時に手が切り落とされた。すぐさま手は再生して私のもとへ伸びてくる。
「この手、キリがない...!」
「僕が切り落とします!その間に燕さんは目玉を!月さんは本体を!」
白狛が素早く手を切っていく。ごろりと転がった手が僅かに動いている。まさか。
「白狛さん!」
燕が白狛の身体を突き飛ばした。白狛が受け身をとって顔をしかめた。切った手が地面を這っている。黒い液体が白狛の足首にベッタリとついていた。
「この手...動くのか」
見ると切り離したはずの手が私たちへ向かっていた。ミミズのようなゆっくりとした動き。気持ち悪い。
『影薙』
そこにある手全てを睨む。斬撃が手を薙っていく。大体の手は霧散し始めていたいたが数体はぴくぴくと痙攣している。しぶとすぎる。
明らかに先程の《影》とは別物だ。人を喰った回数のせいか...?いや、違う気がする。《影》が人工的に作られたものだとすると...そういう風に作っているのか?
燕が飛んできた手を払いのける。それから指が《影》の目玉の方をさした。
『潰れておくれ』
少しかすれた声が耳をなぞった。ぞわりと鳥肌が立つ。
珍しい言葉選びだ。技名は自分が技を使ったことを自覚し技の効果を底上げするために言うことが多い。
口にし、気合を入れるとでもいうのだろうか。短く言うだけでも効果は充分なので漢字一文字で済ます場合がほとんどだ。単純にカッコつけたいから無駄に長い技名を唱える輩もいるらしいが......燕はそれとは別もののようだが。
ちなみに古来より魔女と呼ばれていた能力者の使った呪文は呪文自体に力があるわけではない。単なる気合入れだったというわけだ。
少し遅れて技が発動する。《影》の前面についていた目玉が血を放って剥がれ落ちる。
「シゥスゥゥアアアアアアッッッッ」
なんて醜い叫び。
「変わった気合入れですね」
暴れる《影》を《睨み》で押さえつけながら燕に笑いかけた。
「これでも祓うことが仕事ですから呪うときは丁寧にしなきゃと」
潰れておくれ、が丁寧なのか。よく分からない。というか呪いを丁寧にする意味はあるのかさえもあやしいが。
再び目玉が生えてくる。先程より数は増えているようで黒目が動き回っているのが何とも気持ち悪い。
「またか......」
震える《影》の手を潰していた白狛が呆れたように呟いた。
「再生速度が......まるで違う」
所詮人間の身体がもとなのだから再生には限りがあるはずだが。
《影》の手がアスファルトへ突き刺さるのを見届けて飛び上がる。粘液が舞い上がった。燕の白い首筋に粘液がつく。
「燕さ...」
粘液が染み込んでいく。音をたてて煙が吹き上がっていた。首筋に広がったシミから目玉が浮き出る。《影》の目玉だ......
「痛ッ。コレ、何ですか?」
燕の手が目玉に触れた。
「目玉です。寄生されてるんじゃ」
白狛がサラッとそう言う。残念ながらその通りだったらしく首筋には目玉の他に手や口が生えていた。
相変わらず手をこちらに伸ばしてくる《影》が笑っていた。
「これって睨んでいいんですか!?」
「キモイのでさっさとやってくれれば!」
睨もうと構えた時、燕に生えた口が開いた。赤い液体が大量に飛ぶ。それに反応するだけの時間は無かった。呆然と液体が浴びさせらるのを他人事のように眺めていた。
「月さん!月さん!」
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