不忍池

 午後11時半。私たちはホテル松竹梅を出た。私は支給されたストレッチパンツに灰色のパーカーといった格好である。どうやらその服には白狛が纏をかけてくれたらしい。白狛がもじもじしながらも「攻撃が...当たりにくくなります...よ?」とか言っていた。

暗い夜道を安西が運転するマイクロバスのライトが照らしている。安西が窓から不安げな顔を出した。

「皆さん...気をつけて」

「死なない程度に頑張りますよ」

そう言って安西に笑いかけた。安西がこっくりと首を縦にふってハンドルを回した。未だ明るい上野の夜をマイクロバスが行く。信号の赤、ビルの白銀、派手な看板の点滅。どこかで鳴ったクラクション。都会の喧騒が私たちを急かす。

「行くとしますか!」

燕が手招きをした。高層ビルが映りこんだ不忍池には花弁を閉じた蓮が浮かんでいる。蒼に限りなく近い漆黒に映えた光たち。こんなに明るいのに恐怖が湧き上がってくる。

 そう、穢れだ。ずっと濃い穢れが空気を煮詰めている。息をするのも、はばかられる。

「これ昼間の観光客よく生きて帰れましたね......」

「夜は《影》が出ないんだとしてもコレは穢れが酷すぎますね。一般人でも穢れはまぁまぁ感じ取れるものですし」

「......これは......マズイです......ね」

白狛が例の刀を一回しした。刀身が短いにしても当たりそうで少しヒヤヒヤする。おっかない。

「とりあえず池を回ってみますか」

「ええ」

燕が先頭に立って歩き出す。白い指がクイクイと動いていた。

『清』

やけにドスがきいた声。辺りが一瞬だけ明るくなる。それと同時に空気が少し柔らかくなった。穢れが薄まったのだ。

といっても空気がおいしくなった、など間違ってもいえないが。

「《影》どこでしょうね。穢れの元は大体分かるものなんですけど」

「...そろそろ...纏...解けるだろうから...注意しなきゃ...」

「え?」

白狛の方を振り返る。

「フュヂュヒュヂュキュシュヅッック」

耳をつんざく高音。黒いシルエットが白狛の後ろへ忍びよっていた。白狛が華麗な身のこなしで《影》の手をのけた。かと思うと手すりへ一度足を乗せそこから飛び上がって《影》へドロップキック。刀を使う必要はなかったらしい。《影》は霧散し始めていた。

「ふぅ」

「まさかこれが例の......なワケがなかった」

「雑魚......ですね。大物の《影》の穢れが......《影》を呼び寄せてるんでしょう......」

ということは大物が動きだしたのだろうか。穢れはずっと濃くなっていた。白狛が刀を鞘から抜く。刀身が光に当たって眩しかった。

少し歩いた頃、白狛が足を止めた。


「本命、来たんじゃないですか」

と白狛が顎をしゃくった。びくりと肩を震わせた。思わず目をつぶる。生ぬるい水が頬にかかっていた。顎から滴り落ちる水を呆然と見つめる。歯を食いしばってそれを見上げる。

間違いない、本命だ。

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