ひとときの休息
トーストを食みながらぼんやりと虚空を見つめる。眠くて頭にはモヤがかかっているようなのに《影》の姿が頭を駆け回っていた。
気色悪い舌を伸ばして私へ近づくのだ。お前の身体は穢れで出来ているのだ、と。それから吸収された酔っ払い。亡霊となって私を追ってくるだろうか。
「月さん?」
「……はい?」
「顔色が」
燕が私を心配げに見た。
「悪い、ですか。」
「《影》を討伐した後に朝食なんてキツいですよね。俺もさっき吐いたばっかなんです。」
燕の皿は空。無理をして食べたのだろうか。
「人が吸収されるところを見ました。初めてあんな恐怖を感じた。それだけです。」
あっけなかった。私がものを想うより早くあの人の命は奪われた。
そんな死は見たことがなかった。私は、酷く怯えている。
それでも嘆く暇なんて私達にありはしないのだ。飽きるほどに死は重ねられる。そんな時の中でそのうちあっという間に迫ってくる。
「そうでしたか...俺は幸い狩るだけ狩って帰れたので。月さんは反動もあって...」
「大したことないですよ反動の方は。」
見栄でもなんでもなく反動は大したことがない。前は死にそうになるくらい反動が酷かった。硲のおかげだと思うと少し腹はたつが。
「そういえば一応、硲さんから連絡が入ってたんです。今夜は3人で討伐するじゃないですか。上野公園行けって。」
「上野公園の《影》はもう討伐したんじゃ?」
燕が少しはにかんだ顔をしてみせる。
「
「纏を……かけたんです。動きを……封じる」
白狛が恥ずかしそうに俯いた。なんだこの25歳は。と何度思ったことか。
「その纏なら1日はそいつの動きを止めておけるらしいです。あんまりに空気がおかしかったから清もかけたんですけど効果無さそうでした」
それはかなりの大物ではないだろうか。燕の清もかなり強化されたのに穢れも祓えないとは。うーんと首をひねりながら最後の1口を口へ放り込む。ある程度の反動は覚悟しておかないといけない。
「僕の纏が解ければ……《影》はすぐに動き出しますからね……それまでに……身体を休めときましょうよ」
「じゃあその大浴場やらへと行ってみましょうか!」
「あ、私も風呂入りたいな」
無料で大浴場だなんて最高だ。長らく自宅の狭い風呂に身を沈めていたのだから。
ごちそうさま、と口の中で呟いてから席をたった。
「安西さん?」
「はい何でしょう」
「風呂行きたいです」
かくして私たちは大浴場へ向かったのだった。安西エミリがポニーテールを揺らしながら楽しげに歩く。
「早川社長の次の目標は大浴場に温泉を引くことなんですよ!」
思わず燕と白狛と目を合わせた。この従業員、テンションが高すぎる。
「ハイ、ここが大浴場ですよ〜当然貸切!大浴場で泳ぎ放題!」
「俺、泳ぎませんよ!」
そんな燕の言葉も無視して安西はにっこり笑う。
「イッテラッシャイ!!」
赤い女湯ののれんへ背中を押される。強引だな、と睨む間もなく私は更衣室へ放り出されたのだった。プラスチックの黒い籠にはパジャマとバスタオルの一式。
良い匂いがするな、と思いながら服を脱いで扉を開く。湯気が広がって頭へ覆いかぶさった。黒光りする石の浴槽に湯がはられていた。一瞬シャワーを浴びようかと思う。いや、貸し切りだ。せっかくなら、と湯へ飛び込んだ。
「んん〜」
手足の先に湯の暖かさがしみていく。冷房で冷えた身体がじわりと温まっていく。こんなに気持ち良いものだっただろうか。詰まっていた頭がほぐれていくのを感じる。あくびをして頭を浴槽の縁へ置く。
ふと湯桶が目に入る。じっと見つめ力を入れた。
『縛』
湯桶が中央から歪んでいく。何とも歪だ。そのままねじ切って湯桶を割った。からり、と空虚な音が響く。後で早川に謝らないと、と思いながら湯に顔を沈める。
日常生活ではまるで役に立たない能力だ。何かを破壊したり苦しめさせたり。こんな能力さえなかったら自分がここにいることも無かった。
能力など無視すればいいのではないか、と人は問うだろう。……無視できるほど便利な能力ではなかった。気づけば人を傷つけていた。コントロールする度に《睨み》は強くなっていった。いつの間にか《睨み》を使って呪うことが生業となっていた。
能力がなければ。何度もそう願ったのに。神は私をこんな身体にしたというのに死んだ後は地獄へ落とすのだろう。勝手だ。
この《影》の討伐が終わって大金が入ったらアパートでも買って一生家賃収入で暮らしていこう……《睨み》は疲れる……
考えが頭を巡ってしばらく空っぽになる。風呂で寝落ちはマズイ……マズイが……
「月さんっっっ何寝てるんですか!あっっ桶割ってる!コラァ!」
「……水ください」
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