アメ横
しばらく足を進めるとアメ横の看板が現れた。仄暗い夜の空気の中シャッターの閉まった店が並んでいる。自分の知っているあのアメ横ではないように見えた。酷く不気味だ。自販機や街灯に照らされ見通しは良い。
《影》がいることは間違いなかった。濃い穢れが匂うのだ。慎重に辺りを見回し狙いを定める。
「......そこだな」
ゴミ箱の辺りに視線を集中させる。その途端黒いシルエットが弾けた。黒い塵が舞って骸があらわになる。骸は一体。吸収はまだしていないようだ。
骸をそのままにするのは少し心が痛んだがいちいち回収するわけにはいかない。一瞬手を合わせてから私は顔を上げた。
酔っ払いが千鳥足で向こうへ向かっている。そっちは危ない……穢れの匂いがあんなに強いというのに。私の推測が正しければおびただしい数の《影》が......
「ニホコチニュコヒフカヌリァア!!!!」
耳をつんざく叫び。《影》のものに違いなかった。
「危ないッ」
酔っ払いを睨んで縛りをかけ空へ放り投げる。酔っ払いの体が店の屋根に乗っかったのを見届けて私は飛び上がった。
足元に《影》が這い寄っていたのだ。人の形をしたそれは指を曲げては私へ飛び付こうとする。なかなかの大型で道は《影》でうまっていた。
今までの《影》とは明らかに違う。まず輪郭がしっかりしている。それはこの世に存在してはいけないものだった。目は無い。ぱっくりと裂けた口のようなものから長い舌が覗いている。唾液の糸を引きながら《影》はこちらへ向かってくる。
たくさん手足を持っているくせに上手く操れていない。おかげで時間は出来る。
「タニュハズッニルゥウウウニュンガ」
『針地獄』
まずは伸びる手を刺す。
イメージを膨らませ針を太く鋭くさせる。《影》の内部から生えた針が手をちぎった。どす黒い血がどっと流れ出した。
動きは大分鈍い。手足の再生の速度も。
《影》の舌が飛んでくるのを避けながら全身を目で捉える。やってみる価値はあるかもしれない。
今まで通り『縛-シバリ-』を使う。違うのは、ここからだ。《影》の身体を黒い紐のようなものでくくる。あとは、締めるだけ。
神経を集中させ縛りを強くする。額に冷や汗が滲み出た。
「タフゥヌグゥゥシャッナヒィク!!!」
「散れッ」
《影》の体が散り散りになっていく。狙い通りだ。縛りで《影》を締め上げられたのだ。
ある程度の反動を覚悟する……身体に異変はない。痛い、どころかアスファルトに広がる《影》の血を見て快楽に浸っている自分がいる。
一種の興奮状態に至っていた。
落ち着け、私。能力を使って傷つける快感に目覚めてはいけない。硲は言っていたはずだ。
「依頼されて呪う場合は一線を越えにくい。あくまでも仕事だからだ。一線を越えるのは理由もなく人を傷つけはじめた時。その時は業界から粛清される。 歯止めを掛けるには何よりも平常心。自分を一回ぶっ叩くと良い」
そうだ。この感覚に酔ってはいけない。幾度か頬を叩き息を吸う。
能力者が快感を覚えてしまったらその先に待つのは破滅だ。本人にとってもこの大地にとっても。
呼吸を落ち着けてから酔っ払いを屋根から降ろす。酔っ払いの意識は飛んでいるようだった。そりゃあそうだ。あんな《影》を見て正気でいられるはずがない。
まぁ夏だし置いておいても死にはしないだろう。酔っ払いを一瞥してから私は足を進めた。
穢れの匂いはまだ強い。まだ大物がいるはずだった。
ふと振り向く。醜いあの《影》の叫び声が聞こえた気がしたのだ。
いや、したのだ。 私の背後には無数の《影》が這い寄っていたのだから。
「ヒッっっ」
飛び上がって咄嗟に睨む。道を覆う《影》たち。ぎょろりと一体の《影》が充血した目を剥く。半開きの口からは人間の腕が。
まさか。 太い腕に巻かれた腕時計。見覚えがあった。
さっきの酔っ払いだ。
《影》がごくりと腕を飲み込む。びくり、と痙攣し一回り大きくなる。
これが、吸収......
背筋の辺りが冷たくなっていく。動かなければいけないのに足が上手く動かなかった。
とりあえず視界に入った《影》を睨む。《影》の体が飛んでいく。このくらいなら反動はかからない。
だがこの数を始末できるかと言われると......
雑魚から潰すしかない。
『影薙-カゲナギ-』
睨んで放った白い光が《影》たちをなぎ倒していく。
私が療養中に編み出した《睨み》だ。呪いが専門の私には《影》に有効な術は少なかった。そこで編み出したのがこの影薙だ。
器の肉体の破壊。それから憑いた霊を祓う。それが一度に行えるのだ。まずこの一撃を受ければ器の肉体は吹き飛ぶ。
大半の《影》は身が打ちつけられていた。血が吹き飛び私の服にもべったりと血がこびりついている。
ただ数が尋常じゃない。吸収もかなりしている個体もいるようだった。
「......手こずらせやがって」
何なんだろう。この数は。これだけ骸があるわけが無い……《影》は謎に包まれている。まだ何も私たちは分からない。
「フゥキクスァコヨキュ」
「うるさいんだよッ」
《影》の腕が伸びてくる。ぬるっとした体液が私の頬へ垂れた。生暖かくて粘性がある。気持ち悪い。腕を睨んで体から落とす。どうせ落としたところでまた生えてくる......
『縛-シバリ-』
強度を最大限にした縛りをかける。《影》たちを全員囲って無理矢理中央へ寄せた。
イメージをしっかり思い浮かべる。
「往ね」
縛りを絞る。《影》の体がうねって血を吐き出した。さすがに《影》が多すぎる。頭の隅が痛い。疲労が現れてきているのだ。
縛ってちぎってもまだ動ける《影》がいるのを針で刺してから一息つく。
あともう一体。さっきの酔っ払いを吸収した《影》を睨む。
あの酔っ払いにだって人生があったのに。《影》が一瞬でそれを奪い去った。
私は人の人生を踏み躙って生きてきたけれど。今更、正義感など持つ、つもりも無いけれど。
祓いたい。《影》は地上の摂理に反している。
睨んで、睨んで、睨んで。
《影》の醜い舌を針で貫く。針を曲げて目玉に刺してそれから脳天を。
それから針を太くして。
「爆ぜろ」
目を瞑る。グチャっと嫌な音がした。もうこれで祓えた筈だ。目を開けるとそこに《影》の姿は見受けられなかった。血の跡も骸も無い。
影薙の効果だろう。《影》は霊的なものとしてこの世から排除されたのだ。
まだ穢れは匂う。アメ横といっても大分広い。《影》はもっといるのだろう。その手間を考えると吐き気がしたがしょうがない。
大金が入ってきたらもう少しマシな家に住めるかもしれない。
それに……硲の言葉を借りるようだが私だって人を呪うより助けて金稼ぎをしたいのだ。その分負担は増えるけれども。
私は上野のぼんやりと明るい夜を駆けていったのだった。
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