微睡の中で

「彼女の容態は?」

「安定しているよ。ただね、傷はとても深いよ。もちろん物理的な傷もそうだが穢れが酷すぎる。《影》の空気に触れていたのもあるが一番の原因は《睨み》だ。反動で穢れも負わなきゃいけない」

 反動…睨み…白狛の声?それから知らない女性の声…

「大した能力だ。そこまで反動が大きい能力を僕は初めて見たよ」

「よく言うな。おまえも呪いの類を操るのに」

「僕は呪っても反動は来ない。普通呪いには代償が付き物なんだけどね。人を呪わば穴二つと言うだろう。にしても月の反動は特殊だ。あれは能力を持つ人間が試される。」

「痛みを耐えられるか、か」

「想像以上に辛いことだと思う。僕だったらあんな能力御免だね。」

「そう思うのなら何故本気をださなかった。お前今日は黒狛を出さなかっただろう」

 黒狛......?

「黒狛がどういうものなのか分かってから言ってほしいね。あんなもの出し続けていたら僕も大地も持たないでしょ。何より月の実力をはかりたかった。正直この目で見るまで《睨み》なんて役に立たないと思ってたから」

「相変わらずゲスいな白狛は。そもそも助けるつもりもなかっただろう。あんなナイフを持っていって…下手したら彼女死んでたぞ」

「そこで死んだら《影》に立ち向かえるはずがないじゃないか。僕は誰にも甘くするつもりはないよ」

「その童顔どうにかならないのか。その顔で言われると違和感がすさまじい」

「違和感?へぇ、人は誰でも本性を隠すのに」

 朦朧とした意識の中私は睡魔に襲われているのを感じていた。身体が落ちていくかのような感覚が私を揺さぶった。

 


 目を覚ます。知らない天井。いぐさの香り。布団の重み。

「《影》......」

 喉が酷く渇いていた。誰かを呼ばなければ、と身を起こそうとしたとき身体に強い痛みが走っていった。

「おはよう。気分はどうだ?」

 女性の声がした。首を傾けて声の持ち主を探す。私の傍らに白衣の女性が座っていた。腰まである三つ編みを揺らし私に駆け寄る。綺麗な人だ、と思う。キッパリと刻まれた二重まぶた、ゆるいカーブのまつ毛、トビ色の瞳。少し不健康そうな青白い肌さえ美しい。一体何歳だろう。20代でも30代でもしっくりとくる。

「私は鳳子という。医者のようなものだ。燕君も白狛も軽傷で済んでいるよ。」

 白狛の名前を聞いて思い出す。先程の夢に出てきたのはこの人の声だ。でもその声を聞く前に夢を見るはずがない…もしも夢じゃないとしたら。けれど白狛があんなに饒舌になるはずがない。絶対にあれは夢だ、と無理矢理自分に言い聞かせる。

「月さん、大丈夫ですか?」

「......す、す、すっごい心配してたんです......」

 燕と白狛が障子の隙間から頭を出す。二人ともあんなに接近戦をしていたのに本当に軽傷で済んでいるようだった。燕は右腕に包帯を巻き付けているが白狛に至っては頬の絆創膏しか目立った外傷がない。

「私は大丈夫......グヘッウッ」

 思わずむせ、口元を押さえる。全く大丈夫ではない。身体のそこらが痛むし圧迫感がある。きっと穢れが身にまみれているのだろう。

 鳳子が私の腰に手を差し入れ起き上がらせる。ひんやりとした手が熱い身体に丁度良かった。

「白湯だ。ゆっくり飲むといい」

 鳳子から湯呑みを手渡される。言われた通りにゆっくり飲んでいくと白湯が身体中にしみわたっていくのがわかった。喉がすっと楽になる。何とか落ち着き私は鳳子に向き直った。

「ここは一体どこなんです?」

「池袋の私の診療所だ。白狛から連絡を貰ったから駆けつけて搬送したってわけだ。穢れはある程度取り除けたがまだ自由に動けはしないと思う。それと」

 鳳子が目配せをした。白狛が障子を開く。


「《影》の器だ」

 白い布が覆い被さった人の形が奥の畳に在った。


「この人の死因は《影》に関係するものではないと思う。多分、冷え込みの激しい最近に死んだ浮浪者や日雇い労働者のはず。その骸の魂が抜け何かの拍子に亡霊やら生き霊やらが依り身として使っていた…人間を吸収するたびに力を増してあんなことになったのだろう」


 鳳子は寂しげにそういった。大量の骸が頭の中に浮かび上がる。冷え冷えとした思いが心の中に広がっていく。

「…とりあえず腹が減っただろう。食事にしようか」

 鳳子が立ち上がって向こうへ消えていく。三つ編みが揺れる様を私は呆然と見つめていた。

「鳳子さんって何者なんですか?」

 白狛が私に身を寄せた。

「医者…のようなものって…言ってましたよね…その通りで…医師免許持ってない…んです。ようはこっちの界隈の…医者ってことです…多少の医学の知識は持って…いるみたいですけど」

「白狛さんと鳳子さんは…」

「知り合い…なんです…僕が呪われた時に行くのは…この診療所だった…んです」

 ということはかなり頻繁に呪われていたのではないだろうか。どれだけ恨まれていたらそんなに呪われるのだろう。少なくとも白狛は人の恨みを買う人間には見えなかったのだが。

「もしかして俺と同じ系統の能力じゃないですか?」

と燕。

「そう…みたいです…祓と清の能力と…蘇の能力を…蘇は鳳子さんの一族しか…使えないとか」

 そこまで言って白狛は言葉を止めた。鳳子がお盆を持って来たのだ。

「粥だ。食えるか?」

「はい」

 傍らの低いテーブルにお盆を置かれる。湯気をたてる粥の入った茶碗と漬物。匂いからして美味しそうだった。いただきます、と手を合わせ粥をスプーンですくい口へ運ぶ。優しい塩気が口へ広がった。粥ってこんなに美味しかっただろうか。

「食べながらでいい。白狛、お前の能力の話をしたほうがいいんじゃないか。準備不足で行ったからこんなことに」

「大体硲さんのせいです…」

「だから嫌いなんだよあの男は」

 鳳子は明らかに硲風斗が嫌いなようだった。目つきが一気に険悪になる。

 白狛が自分を指さす。

「ってっても…大した能力じゃない…ですよ。ゲームでいうバフができるんです…」

「バイキルトとか…?」

「あぁ…そうですね」

 ステータスを上昇させる呪文や道具、行為の事をバフという。現実世界においては想像がどうもしにくかった。

「僕の場合…武器にでも人にでもバフ…『纏-マトイ-』を掛けられるんです。この…お陰で…なまくらでもまともに…切れるし…相手からの攻撃もかろうじて…受けられます。で…僕の一番の収入源は相手を弱める纏なんです…」

 デバフといったところか。大した能力ではないとは言っているが割と役に立ちそうだ。いつだって相手を弱める呪いは需要がある。

 「すいません…連携取れてれば…怪我させることも無かったんじゃ…纏で反動を軽減させることもできたはずだし…」

 白狛が俯く。

「それより硲は…」

 鳳子が言いかけた時、音がした。鈴の鳴るような音だった。

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