邂逅

 翌日。午前7時に家を出た。いつものパーカーにショートパンツ。ハイカットのスニーカーを履いてフードを深く被る。フードを深く被れば人と目を合わさずに済む。《睨み》の暴発を防ぐことができる。

 朝の街は酷く静かだった。路地裏の向こうに三毛猫が通りすぎる。私と目が合った猫は一度身体を震わせ、走っていってしまった。獣に嫌われる、だけだったら良いのだが。このあるのだかないのだか分からない目力のせいで避けられることは多々合った。

 シャッターのしまった骨董品店の前で足を止めた。私には理解の出来そうにない、絵の具をぶちまけたような絵画や、日焼けした本が並んでいる。

 その中に私の身長程ある姿見が立てかけてあった。覗き込むと案の定黒い空間が鏡の奧に見えていた。硲風斗の能力の一つ『開ーヒラキー』だ。一種の異空間を創ることができる。

 基本的にどこにでも開くことができるらしいが鏡など、境を意味する場所に『開–ヒラキ』ができやすいらしい。

 あいにく、私の家に鏡などないのでいつもこの骨董店の鏡を借りていた。

 指先を伸ばすと引っ張られるような感覚があった。視界がぐらり、と揺れ身体が持ち上がる。やはり今も慣れない。




「月ちゃんどうしたの遅いじゃん」

 安定の低音ボイス。《睨み》を効かせないように硲を睨む。癖のある黒髪をうなじあたりでまとめた中年の男。顔の彫りの深さといったらギリシャ人を思い起こされる。

「今何時だと思ってるんですか?」

「昔は6時には来てた。ま、そんなことはどうでもいいね。2人に挨拶しな」


 硲が差し出した手を跳ね除け身体を起こしフードの間から目を覗かせる。そこにはバーカウンターのような薄暗い空間が広がっていた。

 棚にずらりと並んだ酒や見ただけでは何なのかさっぱり分からない漬物の瓶、壁にかかったどこかの国で買ってきたであろう怪しい仮面。硲の趣味で出来上がった空間である。

 硲が椅子に座った2人を手でさした。

「燕です」

と青い目の青年。ミルクティー色の髪といい日本人離れしたその顔立ちはヨーロッパの血を受け継いでいるように見える。とてもこの業界の人間には見えなかった。

白狛しろこま......です」

と小さな声で上目遣いに私を見てくる少年。ツヤツヤとした黒髪に小柄な身体。もしかして高校生ではないかと思う。

 どちらも能力者特有の殺気のようなものは微塵も感じられなかった。

「月と申します」

 2人がうやうやしく頭を下げた。

「みんな何飲みたい?ワイン?日本酒?焼酎?」

硲がカウンターに回り込む。一応店主のつもりらしい。

「そもそもみんな未成年なんじゃ......」

「月ちゃん、燕は22。白狛は25だよ」

ぎょっとして白狛の方を見る。くりくりとした瞳が怪訝そうに私を見る。童顔というレベルではないのでは、と口から言葉が滑り出しそうだった。

「月ちゃんはバリバリの19歳。最年少だね」

「島凪のミルク割り下さい」

「はいはい。2人は?」

「月さんって未成年でしたよね......?」

「燕君余計なことはいいのさ」

 気にしてはいなかったが本当は酒を飲んではいけなかったことを思い出した。まず酒を買うとき年齢確認をされたことがない。

 燕が控えめに珈琲を頼む。硲はおもむろにインスタントコーヒーを取り出す。

「ブラック派?」

「はい」

「白狛君は?」

「......魔王......あります......よね......???」

白狛が棚の焼酎群をちらりと見た。ずらりと並んだ瓶。硲が出張という名の酒蔵巡りで手に入れたものがほとんどだ。

「良いよ〜」

 あの顔で芋焼酎を飲むのかと少し意外に思う。硲も同じことを思っていたようで眉を少し上げた。

「ほぉ〜お目が高い。 そうだ。今から仕事の説明するからちゃんと聞いててな」

 硲がインスタントコーヒーの蓋を開けた。鼻腔に珈琲の匂いが飛び込んでくる。


「最近、《影》の被害が相次いでいる。こちらの業界の人間が1人葬られた。一般人はすでに50人は《影》に吸収されている。吸収すればするほど《影》は強くなる。事態は日に日に悪化するってことだ。そこでだ。君たち3人に《影》を消し去って欲しいんだ。君たちはこの業界でも10本の指に入る強さ。腕を見込んで俺が直々に頼むわけだ。わかるね?」

 硲が珈琲と焼酎と島凪ミルク割りを差し出した。私たちがごくりと唾を飲み込むのを硲は面白そうに眺めていた。

「とりあえず一体討伐して欲しいんだ。今までに人間を数十体程吸収した《影》をね。君たち3人でやってもらう。何、簡単なことさ。」

 こういう話をする時硲の声のトーンは落ち着いたものになる。ただの落ち着きではない。威厳に満ちた、冷酷さに満ちた声なのだ。長い間能力者の頂点として君臨してきた、ということはこういうことなのだ。

 

「《影》の穢れは強いから俺の能力で追えるんだよ」

「はぁ」

「ラビリントスの毛糸、何ていう名前で呼ばれたこともあったね」

 硲が笑って指と指を突き合わせた。


『迹–シャク–』


光がほとばしる。眩しさに私は目を細めた。目玉から赤い紐のようなものが垂れていたのだ。紐はぼんやりと光を放ちながら出口の鏡に飛び込んでいく。

「あれを追っていけば良いんだ。中々に便利な能力でアレは俺たちにしか見えない。視界共有の能力といってもいいかな。」

 白狛が感心する様にくりくりの目を見開く。寡黙な分表情は豊かなようだ。一方で燕は珈琲をちびちび飲みながら無表情にその様子を眺めていた。

「早速今すぐ追いかけて欲しい。こうしてる間にも人間が吸収されてるかもしれないんだからな」

「前金は」

燕が硲に視線を送った。硲が右の手の平を見せた。......50万。

「ほらほら報酬の話なら後でちゃんとするから。行ってきな」

 硲はにっこりと笑って私たち3人の背を押した。鏡に身体が飲み込まれていく。

 「まだ......残ってたのに......」

 白狛が惜しげに魔王に手を伸ばしていた。そんな白狛の努力も虚しく鏡から私たちは放り出されたのであった。

 鏡の外は見慣れない、パイプが張り巡らせられた路地裏だった。赤い紐は路地のもっと奧へ伸びていた。

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