第27話 Betriebsstörung

 焚き火台の薪がパチパチと音を立てる。


 特に工夫するでもなく、もちろん胃薬を入れるでもない。ごく普通のカレーを作ったが、みなそれなりに満足してくれた。


「誰にでも取り柄くらいあるものね」

「伊達に何年もカレー作ってないさ」


 得意げな僕に水を差してくる的場。


「カレーを作る以外何もしてないからな君は」

「カレーを作ってるだけましだろう」

「なにしに大学いってんのよ」


 なにしにいってるんだろうなあ。


「でも、本当においしかったです! 先輩の青春をかけた味って感じでした!」

「勝手に僕の青春をかけないで」


 ただのカレーなんだが。


 しかし、ベタだけど空気の良いところで火を囲って食べるカレーというのは良いものだ。


* * *


「さあて、お片付けしますか」


 立ち上がってノビをする妹。


「そうだな」


 続いて僕も立ち上がろうとすると肩を上から押さえつけられた。


「いいのいいの。お兄さまとななみんは座ってて」

「な、なんだよ」

「作ってもらったんだから、片付けはあたしたちに任せなさいって。ね、的場さん?」

「え? ああ、うん」

「じゃあね」


 妹は手をひらひらさせて的場と炊事場に行ってしまった。


「なんなんだあいつ」

「あ、あれですよ、きっと! 火の番は二人でっていうキャンプの鉄則!」

「ああ、それ僕がテキトーに言ったやつだから」

「ええ……」


* * *


 ときおり薪をくべながら、僕は忍野さんと星を眺めていた。


「どうだった夏休み?」


 何度も夏休みを味わって食傷気味な僕に比べたら、忍野さんは大学生活最初の夏休みを新鮮に迎えられたのではないだろうか。


「楽しかったですね。いろいろなところに行きました」


 忍野さんは夏休みの思い出を語り始めた。


「青春18きっぷってご存知ですか? あれを使っていろいろなところを旅してきました」


 青春18きっぷは期間限定でJRの各線が一日乗り放題になる素晴らしい切符だ。僕も高校生のころ青春18きっぷで旅行したことがある。


「知ってました? 青春18きっぷって18歳超えても買えるんですよ」

「え! まじで!?」


 知らなかった。18歳以下限定の切符でJRは青春の終わりを18歳と定義しているものだと思っていた。


「JRの青春は終わらないのです」

「それは知らんけど」

「私は18歳の夏を青春18きっぷで旅することに使おうと思ったんです」

「まだ誕生日迎えてなかったんだね」

「はい、私遅生まれなので」


 忍野さんは冬生まれらしい。


 あまりイメージはないが。


「どこに行ったの?」

「全国津々浦々を」


 忍野さんはそういうと財布から何かを出して見せてきた。それは使い終わった切符だった。3枚あった。


「ほんとに北から南まで行ってる……」


 青春18きっぷは一枚で5日分使える。その日最初に乗った駅で駅名の入ったスタンプを押されるので、切符を見ればどのあたりを訪れたか分かる。


 3枚一人で使い切ったとすれば、相当の期間旅をしていたことになる。


「行動力の化け物だな」

「それほどでもないです! じゃあこれはお焚き上げということで」


 忍野さんはあっさり切符を焚き火にくべてしまった。


「思い出に取っておけばよかったのに」

「いいんです。先輩に見せられたから」

「そうなの?」

「はい」


 忍野さんのすっきりしたような顔が焚き火に照らされている。


「本当にいろいろなところに行ったんですよ? それで行く先々でカレーを食べました」

「へえ、いいじゃん」


 忍野さんは全国レベルでカレー屋めぐりをやっていたらしい。せいぜい近畿圏しかまわっていない僕とはやはり行動力が違う。


「とても辛いカレーに変わった色のカレー。見たこともない野菜が入ったカレーや特産物を上手に使ったカレー。つくる人の数だけカレーはあるんですね」


 燃えていく切符を見ながら、忍野さんは行く先々で出会ったカレーを思い浮かべているのだろうか。


「夏休みに入る前、私、カレー屋さんを見つけるたびに先輩に報告してましたよね」

「そうだったね」


 旅先で見つけたカレーを教えてくれなかったのはなぜだろう。そんなふうに思っている自分に気づく。別に忍野さんにそんな義務はないのに。


「旅行中に見つけたカレーを先輩にお伝えしなかったのはなぜでしょう」


 僕の心を見透かすように、忍野さんは言う。


「僕のことなんて忘れていたんだろう」


 ただの隣人でしかないのだから。それが当然だ。


「いいえ。むしろカレーを食べるたびに先輩のことを思い出していました」


 忍野さんと目が合う。瞳に映る火がゆらゆらと揺れていた。


「先輩ならこのカレーを食べてなんて言うだろう? このカレーはどんな工夫をされているのか、先輩なら分かるかな? こういうカレーは先輩は嫌いかもしれない。こっちのほうが先輩の好みかな? そんなふうに……。でもなぜか先輩に連絡しようと思えませんでした」


 視線が逸れる。忍野さんは空を見上げた。僕もつられて上を見る。


 星が落ちそうな夜空が広がっていた。


「私はきっと連絡したくなかったんですね。今日、久しぶり先輩にお会いしてわかりました」


 隣を見る。


 空を見上げ、焚き火に照らされる忍野さんの横顔は美しい。


「直接お会いして、話したかったんですね」

「それってどういう……」


 忍野さんはバンザイするように両手を掲げると勢いをつけて立ち上がった。


「先輩? 一つお聞きしてもいいですか?」

「え……なに?」


 なんだこの雰囲気。なにを聞くつもりだ。まるで告白でも……。


「第二外国語はなんですか?」

「……? 中国語?」

「なるほど! 予想通りです! 使う文字が漢字ならなんとなく楽そうだ! みたいな理由で選択されましたね?」


 まさにそのとおりだが、なんだその質問。


「ちなみに私はドイツ語です! 響きがかっこいいから、という理由で選択し、格変化の多さに苦しんでいます!」


 それもありがちだね。


 忍野さんは深呼吸するようにたっぷりと高原の空気を吸って言った。



──Ich liebe dich !



「なに? なんて言ったの?」

「ふふ。ドイツ語です」

「それはなんとなく分かったけど」


 なんとなく分かった。なんとなく心臓の音が大きくなって、薪の弾ける音も、風に芝生が揺れる音も、聞こえなくなる。


 ニコニコ笑っている忍野さんの赤く照らされた頬を、僕は見上げている。


「月が綺麗ですね、といいました」


 なんなんだよその照れ隠し。まどろっこしいやりかた。


「忍野さん」


 僕も立ち上がって、ノビをした。


「死んでもいいって、ドイツ語でなんて言うの?」


* * *


 こうしてMO2作戦は失敗という形で結末を迎えた。


 隣の女子大生にカレーをおすそ分けしてもらうという作戦だったのに、隣の女子大生はただのお隣さんではなく、彼女になってしまったからである。

 



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