第19話 おいしいカレーの作り方

 つがいを求めて鳴き叫ぶセミの声が頭蓋骨に反響してめまいがする。


 太陽に焼き尽くされたアスファルトから立ち上る蒸気のように、ゆらゆらと自転車を漕ぐ僕の姿は車道を行く自動車の車内からはどんなふうに見えるのだろうか。


 いい加減原付バイクくらい買えばいいものを、僕はいまだに中学生以来のママチャリに乗り続けている。


 僕の愛車、雪風号。かつては磨き上げられて鏡面のような輝きを放っていたボディも、いまはくすんで、その表面には何も映らない。ペダルを踏むたびにキリキリと軋むのは、まるで悲鳴を上げているようで罪悪感を覚える。十数年僕の足として働いてきた雪風も、ママチャリとしての寿命を迎えようとしている。あと少し、もってくれよと念じながら、僕は雪風にまたがっている。


 自転車を漕いで、10分。無限に続くかと思える灼熱地獄を抜けて、僕は目的のスーパーについた。流れ落ちる汗を拭って自動ドアをくぐると、そこには楽園があった。クーラーバンザイ。


 かごをとって青果コーナーをまわる。店内BGMを口ずさみそうになるのをなんとかこらえて野菜を物色する。外で茹でられた脳に、スーパーのBGMは毒だ。ポップな曲調、素っ頓狂な歌詞、無限ループ。最早洗脳である。なんでも買い物かごにいれてしまいそうになる。


 無意識に目的外の商品を手に取りそうになるのを耐えながら、僕は夏野菜カレーの材料を探す。


 まずは玉ねぎ。玉ねぎなしにカレーは語れない。玉ねぎのないカレーなど、じゃがいものない肉じゃがのようなものだと思う。カレーをよく作る僕は、かつて玉ねぎを常備していた。しかし、あるときうっかり一つの玉ねぎを腐らせてしまって以来、買いだめせずに使い切るようになった。腐った玉ねぎというのはこの世のものとは思えない腐臭を放つのだ。注意されたい。


 次にかぼちゃ。普段ならじゃがいもにするところだが、今回は夏野菜カレーということでかぼちゃを採用。


 そしてピーマンとパプリカ。ピーマンは良いとして、なぜパプリカはこんなに高価なのだろうか。色づいた程度で調子に乗っているのではないか。赤いのがそんなに偉いか、黄色いのがそんなに立派か。普段ならパプリカなんて死んでも買わないが、今日は沈んだメンタルを回復させるためなので目をつぶってかごに投入した。


 最後になす。子どものころはきゅるきゅるぐにぐにした食感が苦手でどうしても食べられなかったが、いつのまにか好きになっていた。煮浸しを考えた人は天才だと思う。


 野菜を揃えたら次は肉だ。ひき肉と迷ったが結局鶏もも肉にした。


 カレーをつくるとき市販のルウを使うかスパイスから作るか。これは迷うところだが、今回はルウを選択する。心と時間に余裕のあるときにはスパイスから作ることを楽しめるが、いまはそういうコンディションではない。


 市販のルウを選ぶ時、僕は中辛を選びがちだ。カレーが好きだというと辛党だと勘違いされがちだが、僕が好きなのはあくまでカレーなのであって、辛さではない。そもそも辛さとは味覚ではなく痛覚なのだから、辛いもの好きというのはつまるところドMだということではないか。僕は痛みを悦びに変えるコンバータを搭載していない。


「おっと」


 レジに向かおうとして忘れ物に気づく。トマト缶だ。ホールよりカットを僕は愛用している。


 レジで会計を済まし、外に出ると一気に汗が吹き出した。再び幽鬼のような顔をさらし、家路についた。


* * *


 帰宅した僕は買い物袋ごと冷蔵庫に詰め込んでふとんに倒れ込んだ。


「一旦休憩」


 クーラーのリモコンを操作したところで力尽き、僕は眠りに落ちた。


 目を覚ました時、既に日は落ちていた。空腹を自覚した僕は力を振り絞って台所に立った。


 まず玉ねぎの皮を剥く。三個買ってきたうち2つはみじん切りにし、1つは串切りにする。僕は形がなくなるまでとろけさせるのも好きだが、玉ねぎの食感が残るのも好きなので切り方を分けていいとこ取りしようということである。ピーマンとパプリカもみじん切りにする。


 みじん切りにした玉ねぎを熱した鍋に投入し、冷蔵庫から出したにんにくとしょうがのチューブを適当に絞って炒める。焦げ茶色になるちょっと手前まで炒めたらピーマンとパプリカを入れる。ピーマンとパプリカに火が通ったところでトマト缶をあけて水分が飛ぶまで炒める。


 鍋を一旦火からおろし、替わってフライパンを熱する。輪切りにしたなす、串切りにした玉ねぎ、鶏肉にあらかじめ火を通しておく。なすと玉ねぎはレンジで温めたかぼちゃと一緒に最後に鍋に入れる。


 鍋をコンロに戻して水と鶏肉を入れ、火を付ける。水はルウのパッケージに示された定量より少し少なめに入れる。野菜を沢山入れているというのもあるが、僕はドロドロのカレーの方が好きだからだ。


 水が沸騰したところで火を弱め、ルウを投入し、しばらく煮る。


 水を入れてからルウをいれて煮立てている時間というのはカレー作りで最も落ち着いた時間だ。時折おたまでかき回す以外に特にすることはない。僕にとって、この時間が人生でもっともゆったりと時間の流れる瞬間だ。


 僕は渦巻く鍋を眺めながら物思いに耽る。様々な考えが浮かんでは消えていく。過去、現在、未来。思考の時系列とその対象はアトランダムに移り変わっていく。時間も空間も相対化され、フラットな思考が巡っていく。


 僕はいつもカレーを作っている。はじめて自分で作ったのはいつだったか。小学生の時だ。野外活動のキャンプでみんなとカレーを作った。あのときは甘口だった。


 キャンプでみんなと。


「……キャンプ、いいな」


 僕は串切りの玉ねぎ、なす、かぼちゃを鍋に入れた。なすとかぼちゃが崩れないように少しかき回して火を止めた。野菜に味がしみるように一度冷ましたほうがいいのだが、僕の空腹は限界に来ていた。


「あ、米ねえし」


 皿にカレーをよそおうとして判明する驚愕の事実。


 僕は夜の街を疾走することになった。






 

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