第17話 カレーの方程式
カレーを食べた僕たちは、夕暮れまで市内を散策した。僕の知る範囲で見どころを案内したが、果たして満足してもらえたかどうか。
忍野さんは謎に大阪取引所前の五代友厚像でテンションを上げていたりした。いまいち好みが掴みづらい。意外とディープめの歴女なのかもしれない。
「五代ですよ! 先輩!」
「僕は渋沢のほうが好き」
一万円札になるし。
* * *
日が暮れる頃、梅田駅まで戻ってきた僕たちは一緒に臙脂色の電車に乗り込んだ。帰りは一緒だ。
席が一つ空いていたので忍野さんを座らせて僕はつり革に掴まった。
「先輩、今日はありがとうございました」
「いえいえこちらこそ」
電車が走り出すと西日が差し込んできた。
「どうでした、混ぜカレー?」
「とても美味しかったです!」
夕日をバックに、はにかむ忍野さんを見て、とりあえずカレー屋の選択に誤りはなかったと安心する。
「あんなふうに色んなカレーを混ぜながら食べるというのは初めてです。楽しい体験でした」
「ええ、僕も初めて食べたときはカレーの既成概念を覆されました」
「それほどまで……?」
初めて混ぜカレーを食べるまで、僕はカレーライスというのはルウとライスの一対一関係が美しいのだと思っていた。あいがけカレーやそれに類する複数種のルウをかけたカレーは邪道だと考えていた。
「あいがけは邪道ですか?」
「いや、そう考えていた時期もありました。なんかこう……よくばるなよって思っていました」
僕はなんとなく複数のルウをかけることを、まるでひとつの味では途中で飽きるとでも言わんばかりの行為だと思ってしまっていた。カレーを提供する側が、自分のカレーに自信を持てていないような、保険をかけているような、消極的な提供法なのではないか。勝手にそんな風に考えて「あいがけ」を避けている時期があった。
「でも、あの店の混ぜカレーを食べて少し考えが変わりました」
三種のルウと付け合せ。その組み合わせは無数にあって、どのように組み合わせるかは食べる側に委ねられている。どのようなカレーにするかは食べる側の選択なのだ。一対一のルウとカレーでは生み出せない味がそこにはある。
カレーライスはルウとライス、二項の結合。分離している二項を食べる側がスプーンによって結合させていくことが、カレーライスを食べるということだ。食べる側の意思が重要だ、ということは的場がカレーライス成立論として散々語っていた。
さらに発展して、ルウの種類が増えたならば、ルウと別のルウという新たな結合も生まれることになる。ルウが増えれば食べる側の選択肢は指数関数的に増えていく。食べる側とカレーライスの対話は多次元の会話へと昇華していって……。
「あ、すみません。一人で盛り上がっちゃって」
ビルに反射した夕日が目に入って僕は我に返った。忍野さんをほったらかして遠くを見つめながら語ってしまっていた。恥ずかしい。
忍野さんはくすくす笑っていた。
「先輩は本当にカレーが好きなんですね」
「ま、まあ割と」
「とても楽しそうにカレーについて話されてました」
なぜだろうか。的場とカレーについてあれこれ話してもなんとも思わないのに、なぜか忍野さんにカレーについて熱く語っているところを見られるのはすごく恥ずかしく思える。
「いいものを見させていただきました」
「いいもの?」
忍野さんはいたずらっぽく笑って言った。
「先輩の素顔」
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