第15話 レイダース 失われた鰻

 僕は書店を出て集合場所で忍野さんを待った。


 彼女は時間ぴったりにやってきた。


「すみません先輩! お待たせしました」

「や、僕も今来たところ」


 お決まりのやり取りをして僕たちは一旦外に出た。HEP FIVEの観覧車を横目に人混みの中を南に向かって歩いた。


「私、お上りさんなのでキョロキョロしてしまいます」


 そんなことを言って、忍野さんはキョロキョロしている。そのたびに髪が揺れて夏の日差しがきらめいた。


 忍野さんは薄い水色のカットソーにネイビーのスカート、足元はおしゃれサンダルという涼し気な装いだ。


「もしかして梅田初めてですか?」


 興味を惹かれたものに引かれてジグザクに先を歩く忍野さんを見て僕は聞いた。


「3回目くらいです! でも何度来ても面白い街ですね」


 確かに僕も大阪に来たばかりの頃は用事もないのに梅田に来て北区を散策したものだ。


 朝の繁華街を歩いていて、シャッターのしまった「無料案内所」なる建物を観光案内所かと勘違いして「あら、どこに案内してくれるのかしら」などと素朴に思ったピュアな自分が懐かしい。今は汚れつちまつた悲しみを噛みしめるばかりだ。


 行き先も知らないだろうに先を行く忍野さんを眩しいものを見るような気分で見ている自分がいた。


 梅田駅から15分ほど歩いたところで堂島川に差し掛かった。大江橋を渡って中之島に上陸する。


 この大阪市北区の堂島川と土佐堀川に囲われた細長い島、中之島には市役所やら日銀やら公会堂やらがひしめいている。僕たちが通う大学のどこかの学部もかつてはこの島にあったと聞いたことがある。しかし学生には誘惑の多すぎる土地なので移転して正解だと僕は思う。


 中之島を突っ切ろうとする忍野さんを捕まえて、堂島川を西へ沿って歩いた。僕の目的のカレー屋もこの島にある。


 堂島川を眺めていて、思い出したことがある。


「そう言えばもうすぐ土用の丑の日ですね」

「そうですね……、あ、もしかして今から行くカレー屋はうなぎカレーを出す店ですか!?」

「違う」


 うなぎカレー。うなぎの無駄遣いだと思う。


「実は的場と、この川でうなぎを獲って食べたことがある」

「え! この川で!?」


 ドブ川とまでは言わないがお世辞にも魚が棲んでいそうな川ではない。


「あれは確か3回生の夏だったと思うんですが中之島の東端の公園がある辺りに罠を仕掛けたんですよ」

「えーと……なぜ?」

「なぜってうなぎを食べたかったからに決まっているでしょう」


 それ以外の理由が必要だろうか。


「まあ僕らも遊びのつもりで、まさか捕れると思ってなかったんですけど、二匹捕れたんですよ」

「それで、食べちゃったんですか?」

「もちろん。そのつもりで獲ったんだからね。まずは一匹さばいて食べました」

「ど、どうだったんですか……味は?」


 心なしかそう尋ねる忍野さんの顔が青ざめている。気になるのは味なんだ。


「これが……意外に普通」

「普通……」


 なぜか忍野さんは胸をなでおろしていた。


「まずいとかうまいとかなく。まあうなぎかな、位の普通さでした。結局蒲焼きなんてタレ次第で……」

「先輩! それ以上はいけません!」


 この世の真理を暴露しそうになったが、すんでのところで忍野さんに制止された。


 しかし、ドブ川でとったうなぎなのだから、泥の味しかしないとか、逆に過酷な環境で育った分無茶苦茶美味しいとか、そういうのを期待して食べたのだが拍子抜けするくらい普通だったので、僕たちはがっかりした。


 これでは話の種にもならない。そこで終わっていたならば。


「で、一匹はそんな感じで消費したわけですが、もう一匹は育ててみることにしたんです。育ったら食べごたえが出るかなと思って」

「なるほど」

「で、的場の部屋で飼おうとしたんですが……」

「したんですが……?」

「消えたんです」

「消えた?」

「僕たちは堂島川で釣ったうなぎを一旦バケツに入れて的場の部屋まで持ち帰りました。で、比較的大きい方を選んで食べ、もう一匹はバケツに入れたままにしていたんです。ですがうなぎを食べた翌朝、バケツは空になっていました」

「逃げ出したってことですか?」

「わかりません」


 僕たちはうなぎが脱走したのだと思い、的場の部屋を捜索した。しかし狭い四畳半にも関わらずうなぎは見つからなかった。


「そんなことって……」

「まあ不思議なこともあるもので。ちょっと気味が悪いと思いましたが仕方ないので放っておいて僕たちは銭湯に行きました。朝風呂です」


 的場の下宿はシャワーはあるが風呂がない。


「まあ脱衣所で服を脱ぐわけです。で、なんとなく違和感がして的場の方を見たら……」


 僕は首のあたりをさすりながら言った。


「この辺に何かで締め付けたようなアトが……」

「ヒッ……」


 忍野さんはまたもや顔を青ざめさせていた。期待通りの反応で面白い。


「まあ、嘘ですけど」

「う、嘘ですか! 」

「ちょっとは涼しくなったでしょう」


 7月の陽気の中歩くのは結構厳しい。


 しかし堂島川を見るたび、僕は思い出す。


「……あのうなぎ、どこ行ったのかな」

「え! 先輩いま、なんて……」

「あ、着きましたよ」


 うなぎ話に花を咲かせていたら目的地に着いていた。


「え、先輩! 嘘なんですよね! 先輩!!」


 僕は振り返るとちょっと堂島川にお辞儀して建物に入った。


 





 


 

 

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