第13話 ゴルディロックスの少女
ゴルディロックスと三匹の熊とは、筋骨隆々の勇士ゴルディロックスが村を襲う三頭の人喰い熊を死闘の果てに討ち取る物語……ではない。
ゴルディロックスと聞くと、どうしても語感から筋肉モリモリのタフガイを思い浮かべてしまう。
しかしゴルディロックスというのは実は少女の名前なのだ。ゴルディは金、ロックスは髪を意味するという。
ゴルディロックスと三匹の熊とは、金髪の少女ゴルディロックスによって、三匹の熊の平和な生活が乱されるというイギリスの童話だ。
森に大中小、三匹の熊が住んでいた。
彼らは熊でありながら、高等な知能を有しており、自ら家を建て、椅子やベッドなどの調度品も揃えて豊かに暮らしていた。
ある日、彼らが朝食のおかゆを作り(彼らは野獣でありながら火を恐れない)それぞれのお椀によそった。
しかし彼らは熊なのに猫舌だったので、おかゆが冷めるまで散歩に出掛けることにした。
そこへやってきた少女ゴルディロックス。彼女は「丁度いい」という理由で小さい熊の熱すぎず冷たすぎない粥を食べ、小さい熊の椅子に座って破壊し、小さい熊のベッドで眠るという悪逆非道に及ぶ。これだから金髪はいけないのである。黒く染めるべきだ。
散歩から戻った三匹の熊は家が荒らされていることに気がつく。森の中において生態系の頂点に立つ自分たちの住処が襲撃を受けるはずがないという慢心が招いた事態であった。
そして小さなベッドに寝ていた少女は目を覚ますと三匹の熊に囲まれていることに気づき、大慌てで逃げていきましたとさ。めでたしめでたし。
この童話はいったいなんなのだろうか。何を伝えたいのだろうか。昔のイギリスには人間に近い知性を持った熊が居たということだろうか。金髪は邪悪だ、ということだろうか。
ゴルディロックスと三匹の熊から得られる教訓がなんなのかはよくわからないにしても、この童話自体は世界でよく知られていて、少女が熱すぎず冷たすぎない粥を選んだように、「ちょうどいい程度を選択する」ということを「ゴルディロックスの原理」などと言ったりするらしい。
例えば松竹梅の三段階でレベル分けされる御膳があったら竹が一番よく売れる、みたいなことを指すと理解しておけば大きな間違いはないだろう。
で、なんの話かということだが。僕は今、忍野さんにおすすめするカレー屋を決めかねている。
単純に美味しい店、コストパフォーマンスの良い店、雰囲気が良い店、珍しいカレーを出す店。
忍野さんにおすすめすべきカレー屋として「ちょうどいい」のはどんな店だろうか。
先日、まんまと忍野さんから連絡先を聞き出した。それから何度かやりとりがあった末、忍野さんから大阪でおすすめのカレー屋を教えてほしいと聞かれた。
大学入学以来、大阪に住んで7年目。それなりにカレー屋を巡ってきた。
僕は今、忍野さんから7年の探究の成果を示せと迫られているのである。
「先輩のおすすめのカレー屋さんを教えて下さい!」
そんなLINEが送られてきたのは昨日のこと。
大学院生ともなれば、これまで似たようなメッセージを後輩から投げかけられたことは何度もある。
僕の周りの後輩たちは、僕から得られるであろう有益な情報はカレー屋情報くらいであることをしっかり承知している。
そういうときは決まって、
「僕のおすすめのカレー屋を紹介するには通信量が不足している」
「その日の気候やあなたの体調によります」
「我、未だカレーを知らず。いずくんぞカレー屋を知らん」
などと億劫がって適当なことを吐いてあしらっていたので、最近はおすすめを聞かれることもなくなっていた。
しかし今回ばかりは本気で回答しなければならない。MO2作戦の成否に関わる。
ここでベストのプレゼンを提供することで、忍野さんに僕がカレーを「おすそ分けするに足る男」であると知らしめなければならない。
忍野さんは僕を「カレーに一家言ある人」と思っている。ここで薄っぺらなカレー屋紹介をしようものなら「カレーに一家言あるように見せかけて、カレー大好き、いたいけな私をたぶらかそうとしていたのですね!」となるだろう。
そういうわけで、僕は昨夜の忍野さんのLINEを通知で確認して以来、未読で保留している。既読をつけた瞬間に当意即妙の回答を発信するためだ。そして寝ずに考え、いま新聞配達のカブの軽快なエンジン音を窓の外に聞いたところだ。
「寝てました」からの「今起きました、僕のおすすめは……」で回答を示すとすれば、タイムリミットはあと数時間。そろそろ文面を起草しなければならないが、なかなか苦戦している。
「仕方ない、一旦、彼の意見を聞こう」
僕は一か八か、的場に架電した。生活リズムがトチ狂っている彼なら起きている可能性がある。法曹志望者の理路整然とした思考の力を借りたい。
「どうした? UFOでも見たのか?」
「ごめん、寝てた?」
理路整然のリの字もない唐突なことを言う電話の向こうの的場。唐突に電話したのはこちらなので僕に彼を責める権利はない。
「いや、これから寝るとこ」
「なら良かった。ちょっと力を貸してほしいんだが」
「なに」
「おすすめのカレー屋教えて」
「まず君の言うカレー屋とはなにか。定義を示してくれなければ有効な返答ができない」
「そういうのはいいんだよ!」
的場も僕と同じような人間であった。
「なんなんだ藪から棒に。だいたいこの辺のカレー屋なんて君は知り尽くしているだろう」
「忍野さんからいいカレー屋を教えてくれと頼まれてる」
「……切るわ」
「待ってくれ! 力を貸してくれよ!」
「よりにもよって俺にデートの相談をするやつがあるか」
そんなことを言われて電話を切られてしまった。
「デート?」
デートとはなんだ。定義を教えろ的場。
「デートデート……そうか!」
デートの三文字ほど僕と無縁な単語はない。無縁すぎて存在を忘れていたくらいだ。しかし、そうだ。その手があった。むしろそれが自然とすら言える。僕はただ「おすすめのカレー屋」という情報をいかに文面で伝えるか、ということばかりに気を取られ、カレー屋を紹介するには別の、もっと優れた方法があることを失念していた。
僕は忍野さんとのトーク画面を開いた。
「すみません寝てました。おすすめのカレー屋だったらいい店を知っているので今度一緒に行きましょう」
これがベストだ。僕の拙い文章ではカレー屋の素晴らしさを伝えるには不十分だ。百聞は一見にしかず。
的場からはいいヒントをもらった。彼は寝ぼけてデートなどと勘違いしていたようだったが、彼に電話したのは正解だった。おすすめのカレー屋を紹介することがなぜデートになるのか。
それでは忍野さんから遠回しに僕をデートに誘ってきたみたいではないか。
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